王は勇者を恐れていた。
「現在、我が国は、危機に瀕しておる!」
木製の簡素な玉座から立ち上がり、国王ヴォルムスが大きく言い放った。
ここは、ブルグント王国の王都ヴィエンヌ。
聖ライン河の下流域にあり、国内最大級の広さを誇る城塞都市である。なだらかな丘陵地帯になっており、丘を取り囲むように城砦が並び、その頂上に王宮が鎮座している。かつては、他国との交易の拠点として栄えていた王都も、現在では、港を往来する船のほとんどが、国内向けの運搬船ばかりだ。
そんな衰退著しい王都の王宮に、俺は連れて来られていた。
ここは、王宮内にある大広間だ。
王宮の外観は、権威を示すためなのか、壮大かつ壮麗で、どこか芸術的な雰囲気を醸し出していたが、内部は驚くほどシンプルな造りで、要所要所に飾られている宝飾品も、どこか古臭さを感じさせるものばかりだった。これらは、大国として栄華を誇っていた時代の遺物だろう。現在では、過去の華々しい栄光がかすむほど、質素な生活が伺える。
長きに渡る戦争が生み出した魔物。そして、大陸を呑み込み続ける森。他国と盛んに行われていた交易も遮断され、国家は瞬く間に縮小してしまった。
それでも、かつて栄華を誇ったブルグント王家の末裔であるヴォルムス王は、威厳ある態度で、俺たちを出迎えた。
「そなたらは、我が国において、唯一無二の存在だ。よって、そなたらに頼みがある!」
大広間には、俺を含めた四人が立っていた。
右から、ミーネ、シュタイン、ルピナス、そして俺の順番で立っている。
異世界転移したばかりの俺には、この三人が何者なのか全く分からなかった。ただ、耳の尖ったとんでもない美人に驚いたことは覚えている。
あまりの美貌に、思わず見惚れていると、ルピナスから、殺気を帯びた視線が突きつけられ、慌てて視線を反らしたことも覚えている。
当時は、三人とも、やたらと殺気立っていた。
俺とは違い、三人には、明確な目的があったから仕方ない。
「貴方がたは、我が国における、数少ないS級冒険者です。お願いです。どうか、我々からのクエストを御受け下さい」
王の隣にいた司教が、懇願するように言った。
やたらと丁寧な口調になったのは、隣に王いるからか。
「クエストって、魔物退治のことか?」
「いえ、魔物退治ではありません」
司教が続ける。
「クエストの内容は、竜骨の回収です」
「竜骨の回収? なんじゃそりゃ?」
「竜骨の回収とは……」
王が、軽く咳払いすると、司教が言葉を止めた。
代わりに、王が喋り始めた。
「我が国には、悪しき竜が、多数存在しており、我々は、それら竜の脅威に怯えながら暮らしておった。しかし、三年前、異世界転移してきた勇者によって、悪しき竜が次々と討伐されていき、少しずつだが、我が国は平和を取り戻しつつある」
王が続けた。
「だが、厄介なことに、国内各地に、討伐された竜どもの亡骸が残ってしまったのだ。竜の亡骸には、膨大な魔力が宿っており、それを魔物が屠ると、魔物は竜へと変化してしまう。そこで、そなたらで、竜の亡骸を回収してもらいたい。無論、報酬はいくらでも払うつもりだ!」
ん? 何か腑に落ちないのだが。
「いやいや、竜を殺したのは勇者だから、勇者が死体を回収するのが筋じゃないのか?」
俺が正論をぶつけると、司教がにこやかに、こちらを睨んだ。
「勇者様の本来の目的は、魔王討伐。竜の亡骸を回収する暇などありません」
今さらだが、王も司教も真っ赤な嘘をついている。
国王が、勇者に、悪しき竜の討伐を依頼をしたのは、一匹だけだ。
他は、すべて無害な竜だ。
勇者が異世界転移した直後、ブルグント王国は、突如として出現した邪竜によって滅亡の危機に瀕していた。ヴォルムス王は、魔王討伐のために転移させた勇者に、邪竜討伐を依頼し、ブルグント王国の至宝とされる屠竜武器バルムンクを授けた。
不死王ザイフリートが、《ニーベルゲンの財宝》を守る竜を屠った伝説の屠竜武器だ。
しかし、バルムンクには、ザイフリートによって討伐された竜の呪いがかかっており、ブルグント王家は、その呪いを恐れ、バルムンクを、王宮の地下深くに封印していた。ヴォルムス王は、そのことを知った上で、呪いのことを告げぬまま、勇者に授けたのだ。
一方、馬鹿な勇者は、喜んでバルムンクを受け取り、勇んで邪竜討伐へと向かった。そして見事、邪竜討伐に成功した。その際、竜が金になることを知った勇者は、バルムンクを借りパクして、この三年間、無害な竜を討伐しまくっているというのが真実だ。
この真実は、王宮に泊まった際、夢でばっちりと見た。
王宮内で起こったことは、すべてスクリーンに映し出されていた。
しかし、気になるのは、バルムンクにかけられた竜の呪いだ。
呪いは、いつ、どのような状況で発動するのだろうか。
そして、発動したら、一体、どんなことが起こるのだろうか。
勇者は、今も元気に、異世界でバルムンクを振り回して、竜を殺しまくっている。
この三年間、勇者に呪いが降りかかっている様子はない。
世界の平和のため、さっさと呪いが発動して欲しいのだが、何事もそう都合よくはいかない。
都合よくいかないのが現実である。
ただ、一つだけ、分からないことがあった。
なぜ、国王は、勇者からバルムンクを取り上げないのか。
勇者が、バルムンクで竜を討伐し続けることで、加速度的に竜骨が増えていっている。どう考えても、俺たちで、ちまちま竜骨を回収していくよりも、元凶である勇者から、さっさとバルムンクを取り上げ、竜の討伐を止めさせるほうが先である。
勇者を止めない限り、何の解決にもならない。
なぜ、国王は、勇者からバルムンクを取り上げないのか。
王が長きに渡って、勇者にバルムンクの返却を求めていることは知っているが、あの勇者が従うわけない。
だったら、武力で奪い返すしか方法はない。
だが、勇者に対して、蜂起する様子は微塵もない。
勇者を恐れているのか。
なぜ、勇者を恐れているのか。
確かに、この世界の王は、想像以上に脆弱な存在だ。国内には多くの領主が存在しているが、すべての領主が、王に忠誠を誓っているわけではない。王が保護している領地の領主だけが忠誠を誓っており、王の保護を受けていない領地の領主は、独立国家のように振舞っているのが現実だ。
そんな不安定な統制下において、勇者の存在は脅威といえる。
実際、王の領地にいる騎士や魔導士の魔力を合わせても、勇者一人の魔力には遠く及ばない。もし勇者に反逆を起こされれば、王の軍勢に勝ち目はない。
だが、王は、国内の大半の領地を保護しているため、いざ戦となれば、各地から多くの諸侯が駆け付けるはずだ。さすがの勇者であっても、それだけの軍勢を敵に回せば勝ち目はない。
つまり、勇者から、武力でバルムンクを奪うことは可能だということだ。
だが、王は、それを行動に移すことはしなかった。
国が危機的状況に瀕しているにもかかわらず。
やはり、王は勇者を恐れていた。
なぜだ。
勇者がへそを曲げて、魔王討伐を拒否するかもしれないからか。
勇者には光属性が宿っており、世界で唯一、魔王の闇属性を相殺する力を持っている。魔王が宿す闇属性は、竜属性のように、物理攻撃と魔法攻撃を無効化する力があるらしく、勇者の光属性で、魔王の闇属性を相殺しなければ、対等に戦うことすらできないらしい。
ただ、現時点で、魔王軍の進撃は、国境から遥か北の島で停滞している。
特に動き出す様子もなく、沈黙を続けている。
つまり、魔王討伐に早急性はないのだ。
だったら、なぜ、王は勇者を恐れているのか。
異常なほどに、王は勇者を恐れていた。
少なくとも、俺にはそう映っていた。