絶好の告白チャンス。
俺は、聖ライン河の方向へと走っていた。
ルピナスに会いたい一心で、全力で走っていた。
彼女が、会いに来てくれたことが、嬉しくて仕方なかった。
麦畑を縫うように続いていた農道を抜けると、目の前に、雄大な大河が広がった。
聖ライン河だ。
透明度の高い水面は、風が止まり、波が静まると、鏡のように、群青の空を映し出した。
俺は、足を止めて、群青に染まる川べりを、ゆっくりと歩き始めた。
ヴェスト村は、高地にあるため、夏が訪れても、吹いてくる風は少しだけ冷たい。
だから、まだ咲いていると思う。
その時、足元に一輪の花を見つけた。
ゆらゆらと揺れる青紫色の花。
ルピナスの花だった。
ふと、視線を向けると、聖ライン河の畔は、ルピナスの花で埋め尽くされていた。
そして、咲き乱れる青紫色の海の中に、ルピナスが立っていた。
少しだけ伸びた金髪が、冷たい風を受けて、柔らかに揺れていた。
風に煽られ、ルピナスの花が、一斉にざわめいた。
あの時と同じ、どこか嬉しげで、でも、どこか悲しげな表情だった。
諦観めいた表情。
光と闇が緩やかに混ざり溶けあったような、それでいて穏やかさと静けさを感じさせる不思議な表情。
俺は、その表情に、見惚れてしまっていた。
ふいに、ルピナスが、こちらを振り向いた。
一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐ笑顔に戻った。
優しい笑みだった。
「あはは、驚かそうと思ったんだけどね」
ルピナスは、両手に花を手に持ち、嬉しそうに言った。
「久しぶりだな」
「うん、久しぶり」
冷たい風が流れて、さわさわと花たちが擦れ合った。
「どうしても、早く、お礼が言いたくて、な」
「お礼?」
ああ、と俺は頷いた。
「助けてくれて、ありがとな」
すると、ルピナスが、花を掻き分けながら、勢いよく近づいて来た。
そして、俺に顔を近づけ、目尻をつり上げて言った。
「まったく、竜骨を齧るなんて、どうかしてるわ! 次、齧ったら、承知しないわよ!」
憤然と頬を膨らませるルピナス。
よかった、いつものルピナスだ。
「でも、あたしたちを助けるためだったんだよね。ごめんなさい。最後の最後で力になれなくて……」
顔を曇らせるルピナス。
「でもね、竜骨を齧るのは絶対にダメ! あたしたちは魔物じゃないんだから!」
俺は、小さく溜息を吐いた。
「ああ、二度と竜骨は齧らない。あんな地獄は、もうコリゴリだからな」
すると、ルピナスに笑顔が戻った。
「だったら、よろしい!」
ルピナスが、優しい笑みを浮かべた。
その時、風が止まった。
水面に、俺とルピナスの姿が、鏡のようにくっきりと映し出された。
花たちの、ざわめきもない。
ただ、二人の間に、静寂だけが訪れた。
自分の鼓動だけが聞こえる。
もしかして、これは、チャンスなのではないか。
そう、絶好の告白チャンスではないのか。
だが、いかんせん、生まれてこの方、まともに恋愛をしてこなかったため、異性に告白などしたことはない。
クソっ、いい年こいたオッサンが、告白ごときで、たじろいでどうする。
小学生ですら、コクっただの、コクられただの、友達同士で言い合っているのだぞ。
アラサーのオッサンが、ビビって恥ずかしくないのか。
あきめたら、そこで試合終了だろうがっ!
諦めない。逃げない。これが社畜時代に学んだ信念だろうがっ!
俺は、大きく息を吸い込むと、静かに、そして、ゆっくりと吐き出した。
よし、決心はついた。
後は、この想いを伝えるだけだ。
「あ、あのな……」
「あ、あのね……」
俺が口を開くのと同時に、ルピナスも口を開いた。
「あ、んん、ど、どうした?」
想定していなかった展開に、必死で動揺を隠す。
「い、いや、ちょっと、エイミに、聞いておきたいことががあって……」
ルピナスが照れ臭そうに、上目遣いで、こちらを見つめた。
「聞いておきたいこと?」
何だろう。
急に緊張してきた。
「あっ、エイミも、何か言いかけたよね? いいよ、先に言って」
「いやいや、俺は、まあ、そ、そんな大したことじゃないから……」
ああっ、いろいろと、こじらせているせいもあって、思ってもないことを口にしてしまった。やっぱり、どうしようもないアホだ、俺は。
「だから、ルピナスから、先に言ってくれ」
「あっ、う、うん、分かった……」
青紫色の花畑が、静まり返る。
広大な水面に、幾つもの光が射し、二人を優しく照らす。
経験したことのない良い雰囲気が、俺たちを包み込んでいった。
はっ、と、俺は、何かに気づいた。
――お前のことが、好きなんじゃよ!
ミーネの言葉が脳裏に蘇った。
嘘だろ……。
この展開はもしかして……。
逆告白かっ!
一気に緊張が込み上げてくる。
暴れている心臓を必死で抑え、努めて冷静に振舞う。
俺は、どう答えるのが適切なのか、懸命に頭の中を巡らした。
だが、あまりにも時間が足りなかった。
ルピナスの口許が、ためらいがちに、開いていく。
くそっ、ここまで来たら、この想いを、ありのままに伝えるしかない。
「あ、あのね……」
ルピナスの美しい瞳が、俺を見つめた。
やはり彼女は、綺麗だった。
そう、誰よりも、綺麗だった。
俺は、小さく頷いて、彼女の言葉を待った。
すると、僅かな逡巡を経て、ルピナスが、ゆっくりと口を開いた。
「モズノハヤニエって、なに?」
これにて第一部は終了です。第二部に関しましては、まとまりましたら、ちょこちょこ投稿していく予定です。ここまでお付き合いして下さった皆様、本当にありがとうございました。