表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

130/132

彼女の感触だけは、今も鮮明に覚えている。

 三ヶ月前。


 無謀にも竜骨を齧り、激しい魔力中毒を起こした俺は、ルピナスとミーネによって、ヴィーネリント小教区の施療院に運ばれた。


 意識を取り戻したのは、施療院のベッドの上だ。


 俺は、重度の魔力中毒に侵されていたため、早急に魔力浄化を行わなければならず、大量の聖水が必要となった。そして、用意された聖水は、最高濃度のもので、竜骨の魔力浄化に使われているものだった。その聖水の中に何度も沈められ、膨大な量の聖水を飲まされた。


 その間も、断続的に禁断症状が起こり、想像を絶するほどの熱と渇きに襲われ続けた。そのたびに、聖水の中に沈められ、大量の聖水を飲まされた。あまりの苦さに嘔吐を繰り返したが、禁断症状から解放されたい一心で、俺は聖水を飲み続けた。


 幾度なく襲ってくる凄まじい禁断症状に耐えながら、俺は必死で聖水を飲み続けた。すると、二週間ほどで、徐々に禁断症状が和らいでいった。さすがは超濃縮された聖水である。効果はてきめんであった。


 もう、あの地獄のような熱と渇きは、二度と味わいたくない。今さらながら、《竜骨生物群集帯(ドラゴン・フォールズ)》の魔物が狂暴な理由を理解した。


 あれは薬物の依存症状とは、まったくの別物だ。


 恐怖を刻み込ませる禁断症状だ。


 魔物たちの竜骨に対する異常ともいえる執着は、恐怖による禁断症状だったのだ。


 この恐怖は、経験した者しか分からないだろう。


 そんなこんなで、俺が、禁断症状と激マズ聖水と戦っている間、シュタインは、別の施療院で魔力浄化を行ってもらい無事に回復した。ルピナスとミーネは、ブルグント魔導団や、生き残った宗教騎士団テンプルナイツとともに、掃討隊を結成して、森の中へ逃亡した赤帽子レッドキャップの残党狩りに向かった。


 しかし、森の中を熟知している赤帽子レッドキャップは、地の利を生かして逃走を続け、掃討隊を翻弄し続けた。結果、掃討隊は、多くの赤帽子レッドキャップを取り逃がしてしまい、すべての竜骨を回収することはできなかった。


 今後、赤帽子レッドキャップの中から、新たな王が生まれれば、竜骨を持つ彼らは、必ず人間を襲いに来る。


 一体、どれほどの数の赤帽子レッドキャップが竜化して現れるのか、現時点では皆目見当もつかない。


 剣も魔法も通用しない魔物が、いつ襲って来るのか分からない状態の中、ブルグント神聖教の教皇は、竜骨を守り抜くのは困難だと判断し、ヴィーネリント小教区を放棄する決断をした。


 大量に保管されている竜骨は、聖ライン河の南の終点、ブルグント王国最南端の領地にあるウーテ小教区に移されることとなった。ここは、国内で唯一、森の浸蝕から逃れている半島であるため、魔物の脅威が最も少ない地域であった。


 ただし、聖ライン河の下流域に位置するため、海水と交じり合うことが多く、魔力浄化の機能が格段に落ちてしまうようだ。つまり、竜骨の魔力浄化に、これまで以上の時間を要してしまうということだ。


 これは、竜骨が魔物に奪われることを阻止するため、苦肉の策であった。


 竜骨が魔物に奪われた結果、ハーデブルク司教座都市とヴィーネリント小教区は、放棄せざるを得なくなり、結果、人間の生存域は大きく削られてしまった。逆に、魔物の生息域が大きく広がったのである。


 人間が絶滅した時、ニーベルゲンの呪いは解かれる。


 ニーベルゲンの呪いは、確実に、人間を絶滅の道へと追いやっている。


 事実、今回の事件では、五千人以上の人間が殺され、揚げ句、竜骨も奪われ、都市と教会が放棄された。


 これは、人間側の完全敗北である。


 こういった敗北を繰り返していき、やがて人間は絶滅していくのかもしれない。


 そして、人間が絶滅すれば、ニーベルゲンの呪いも解かれ、俺たち異世界人も、この世界から消えてしまうのだろう。


 どう足掻いても、消える運命なのだ。


 ならば、運命を受け入れるのか。


 それとも、運命に抗うのか。


 どちらにしても、俺は、この世界のことを何も知らない。


 この世界を知らなければ、運命を受け入れることも、運命に抗うこともできない。


 まずは、この世界に興味に持つことから始めよう。


 やはり、無関心に生きるのは、難しそうだ。


 施療院で治療を始めて一か月が過ぎた頃、国内各地の教皇領から、多くの人々が、ヴィーネリント小教区に押し寄せ、竜骨の引っ越し作業が始まった。小教区の住民やハーデブルクからの避難民は、別の小教区や都市へと移住させられ、聖職者たちも各地の教会へと散り散りになっていった。その間も引っ越し作業は進み、昼夜を問わず、竜骨を詰んだ船が、次々とウーテ小教区へ向けて出発していった。


 無論、俺とシュタインも、治療が終わるや否や、ヴィーネリントから追い出されてしまった。シュタインは故郷で療養することになり、俺は、ハヤトのいるヴェスト村で療養することにした。


 そんなこんなで、俺は、ヴェスト村にいる。


 村で、病気療養を始めて、もうすぐ二ヵ月になる。


 村の田舎道を、とぼとぼと一人歩いて行く。


 延々と続く麦畑は、収穫が終わっており、一面、原っぱのようになっている。


 三ヶ月前は、黄金色の穂が、遥か彼方まで広がっていた。


 風が吹くと、金色の波が押し寄せ、より輝きを増していた。


「そういやあ、三ヶ月前は、ルピナスと一緒に、この道を歩いたんだっけ」


 ずいぶんと懐かしく思える。


 あれから彼女とは、一度も会っていない。


 施療院に、何度か、お見舞いに来てくれたそうだが、運ばれた当初は、禁断症状があまりに酷かったため、面会が困難だったらしい。確かに、あの時は、獣のように悶え苦しんでいたため、とても見せられる状況ではなかった。その後、ルピナスは、赤帽子レッドキャップの掃討隊に参加し、ヴィーネリントを離れたため、以降、彼女とは会っていない。


 あの時、ルピナスが聖水を飲ませてくれなかったら、俺は、いったいどうなっていたのだろうか。


 俺は、唇をそっと指で触れた。


 彼女の感触だけは、今も鮮明に覚えている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ