熱と渇き。
竜骨を甘いと感じるのは、身体が魔力を欲しているから、そう感じるのだろうか。
普通、落ちている骨を齧って、甘いなんて感覚はありえない。
そう言えば、脱水症になると、普段は、しょっぱいはずの経口補水液が、甘く感じることがあるらしい。どうやら、身体に塩分や糖分が不足していると、味覚が変化するらしい。
確かに俺は、ここに来るまで、大量の魔力を消費していた。だから、無意識に身体が魔力を欲していたのかもしれない。
だが、どうにも違和感がある。
竜骨の甘さは、経験したことのない異質な甘さだった。
この痺れるほどに蠱惑的な甘さは、舌だけで感じ取っているのではなく、全神経で感じ取り、ゆっくりと精神に浸透していくような感覚だった。
俺は、握りしめている竜骨を眺めた。
その溶けていくような甘美な誘惑に、唾液が溢れ出し、脳が陶酔していくのが分かる。竜骨を齧りたい衝動が、肉体を侵食していく。
だが、自我を保つことはできていた。
確かに、もう一度、あの蠱惑的な甘さに浸りたい衝動はあるが、魔物のように、自我を喪失して、貪りつくような状態にはなっていない。
やはり魔物は、知能が低く、本能に忠実であるため、自制が効かなくなるのかもしれない。
とにかく、この程度の依存症であれば、禁煙、禁酒ならぬ、禁骨を続けていけば、いずれは改善していくだろう。
俺は、勝手にそう納得した。
「エイミっ!」
視界の遥か先、ルピナスが手を振りながら、こちらに駆け寄って来るのが見えた。
その後ろで、ミーネが、シュタインを支えながら、こちらに向かって来るのも見えた。
「やれやれ」
俺は、嘆息した。
まあ、何はともあれ、みんな無事でよかった。
後は、赤帽子の残党を始末して、隠し持っている竜骨をすべて回収すれば、ミッションクリアだ。
赤帽子の王を失い、指揮系統が完全に麻痺してしまった赤帽子たちは、蜘蛛の子を散らすように、森の方へと逃げている。早く仕留めないと、森の奥まで潜られ、見失ってしまう。
「よしっ、後始末に取り掛かるとするか……」
再度、気合を入れようとした時、全身に熱を感じた。
身体が熱い。
経験したことのない異常な熱さ。
骨や肉を溶かし、血を蒸発させ、皮膚を消し炭に変えるような凄まじい熱さ。
体内が、煮え滾る溶鉱炉のように熱い。
「な、なんだよ……これ……」
次の瞬間、恐ろしいほどの渇きが全身を襲った。
鈍い呻き声が漏れた。
もう、言葉にすらできない。
全身を呑み込んでいく熱と渇きは、理性も本能も容赦なくドロドロに溶かしていき、跡形もなく消し去っていく。
蹂躙されていく意識の中で、微かに感じたのは、人間ではなくなっていく感覚。
獣へと変貌していく感覚。
これが、魔力中毒による禁断症状なのか。
いや、違う。
これは、殺された竜の怨念だ。
苛烈なる負の情念。
怒り。憎しみ。悲しみ。苦しみ。
ありとあらゆる負の情念が、燃え盛り、煮え滾り、何もかもを溶かし尽くしていく。
呪いだ。
これは、紛れもなく、竜の呪いだ。
呪いが、すべてを呑み込み、すべてを溶かし尽くしていく。
俺は、断末魔の咆哮を放った。
獣へ堕ちていく。
早く、
早く、
早く、
竜骨を、
竜骨をっ、
竜骨をっ、齧らせてくれっ!
熱と渇き。
この地獄から解放されたい。
ああ、齧りたい。
齧りたい。
齧りたい。
齧りたい。
俺は、再び咆哮を上げると、握りしめていた竜骨を、勢いよく、口へと持っていった。
犬歯を剥き出し、竜骨を齧ろうとした瞬間、腕に強い衝撃が走った。
「エイミ、落ち着いて、もう何も心配しなくていいから」
ルピナスが、俺の手首をしっかりと握りしめていた。
彼女は、ミーネから小瓶を受け取ると、中に入っていた水を、静かに口に含んだ。
俺が、吼え叫び、手を振りほどこうとした、その時、彼女の唇が触れた。
柔らかな感触が伝わり、唇から滑らかな水が、静かに流れ、ゆっくりと肉体を浸透していった。
ルピナスから流れる優しい水は、燃え盛り、煮え滾っていた熱を冷まし、悶え苦しむほどの渇きを潤していった。
体の中が、優しい水によって浸されていく。
高ぶっていた感情が、緩やかに解かれていく。
熱と渇きが治まっていく。
同時に全身の力が抜けていった。
俺は、ルピナスに身体を預けると、そのまま意識を失ってしまった。