ブラック企業のきな臭さとよく似ている。
女性から通された部屋は、不気味なほど薄暗く、空気が重く感じられた。
窓はなく、部屋の四隅に置かれたロウソクだけが、唯一の灯りだ。
そんな部屋の中心には、巨大な魔法陣のようなものが描かれていた。
よく漫画やアニメで見るような幾何学模様と、古代遺跡で見るような象形文字が組み合わさって描かれた魔法陣だ。
ロウソクの灯りによって、ぼんやりと浮かび上がる大きな魔法陣。
魔界から悪魔でも召喚するつもりなのだろうか。
そんな魔法陣の淵には、簡素な椅子が並べられており、そこに三人の男が座っていた。
この世界では、明らかに違和感のある恰好だったが、俺にとっては見慣れた格好をした男たちだった。
俺を見るなり、男たちが手招きをした。
イマイチ状況が掴めないまま、俺は、男たちの座る椅子に腰を掛けた。
そこで彼らと、いろいろな会話をした。
結論から言うと、彼らは、日本人だった。
年齢も、さほど変わらない。
どうやら三人とも、俺と同じように、日本から、異世界転移してきたらしく、一人は、俺と同じく、元社畜で、過労死して転移してきたそうだ。残り二人は、元ニートで、病死と事故死で転移してきたとのことだった。
なぜか、異世界転移して来る連中は、社畜とニートのオッサンが多い。
共通して言えるのは、社畜とニートは、現実逃避への願望が凄まじい。
もしかすると、彼らから発せられる膨大な現実逃避エネルギーが、次元を超越して、異世界への干渉を果たし、転移を可能にしているのかもしれない。
まあ、すべて妄想に過ぎないが。
やはり、皆、気が付くと、あの廃教会にいたらしい。そして、俺と同じく、わけも分からないまま、一本道を進んで行き、城塞都市に辿り着き、城門を警備していた衛兵の言葉に従って、この市庁舎にやって来たようだ。
衛兵や、市庁舎の女性の様子を見る限り、俺たちのような存在は、それほど珍しくないように思えた。
ただ、三人の話を聞いていると、皆、若干だが、違う年代から転移してきたことが分かった。
社畜の男は、俺よりも、少しだけ過去の世界から転移してきたらしい。一方、ニートの男たちは、俺よりも、少しだけ未来から転移してきたみたいだった。
興味本位で、ニートどもに未来の話を聞いてみると、俺が死んだ翌年に大地震が起こり、その9年後に世界でパンデミックが起こったそうだ。さらにその5年後には、再び大地震が起こり、その翌年には第三次世界大戦が勃発し、その後、氷河期へと突入したそうだ。SFさながらの終末世界は、正直、眉唾ものだったが、二人の話には、やたらと共通点があり、やけに信憑性があった。
つまり、あのまま生き続けたとしても、ろくでもない未来しか待っていなかったということだ。死んで異世界転移したほうが、マシだったのかもしれない。
ちなみに未来の話で一番驚いたのが、超少子高齢化による超人手不足で、スーパーマーケットとコンビニが、24時間営業を廃止したことだ。
生前、俺が勤務していたスーパーマーケットは、超絶劣悪な労働環境で、際限なく従業員が辞めていく職場だったが、募集をかければ、いくらでも替わりの従業員を補充することができた。当時は、それほど人員が余っていたのである。
かつて、ウジ虫のように湧いていたフリーターやニートたちは、一体どこに消えてしまったのだろうか。みんな死んでしまったのか。もはや異世界にいる俺に知る術はない。特に知りたいとも思わないが。
そんなこんなで、異世界転移の仲間たちと、たあいもない談笑をしていると、聖職者たちが、ぞくぞくと部屋に入って来た。
聖職者たちは、特に歓迎する様子もなく、無表情のまま、俺たちを見渡した。
すると、彼らの中で、ひときわ豪奢な衣装に身を固めている老人が、俺たちに向かって口を開いた。
「君たちは、異世界人で間違いはないか?」
挨拶もなく、突然、問いかけてきた老人に、唖然とした。
「もう一度訊く、君たちは、異世界人で間違いないか?」
俺たちは、曖昧に頷いた。
異世界人から見れば、俺たちは異世界人になる。
後々知るのだが、この老人は、この司教座都市を統括する司教だった。
取り巻きの聖職者は、部下の司祭たちである。
「我が国では、異世界人は、冒険者として働いてもらうことになっている」
冒険者という言葉に、ニートたちが色めき立った。
嬉々としている二人を横目に、俺は、異世界転移者の職業選択が、冒険者しかないことに違和感を覚えた。
「よって、君たちの魔力量を計測させてもらう」
おいおい、話が勝手に進んでいってないか。
「ちょっと待って下さい。冒険者って、どんな仕事なんですか?」
俺が尋ねると、司教が、あからさまに顔を歪めた。
「国や領主、または個人から依頼されたクエストを受ける仕事だ」
「クエストって、どんな仕事なんですか?」
「魔物退治だ」
は? 魔物退治? さっきまでスーパーの店員だった、俺が、か?
できるわけないだろ。
一方、ニートたちは嬉しそうに目を輝かせている。コイツら、何もかも簡単に受け入れすぎだろう。
「森の浸蝕に伴い、魔物の数は年々増加している。近年では、魔物が、村や街、都市までも襲うようになり、人々の生活を脅かし続けている。各地の騎士団や傭兵団に、魔物の討伐を依頼しているが、まったく数が足りておらず、危機的な状況に陥っている。君たちには悪いが、冒険者として、我が国で跋扈する魔物を、すべて退治してもらいたい。もちろん、依頼に応じた報酬は、きちんと支払われる。だから安心してくれ」
「いやいや、魔物退治なんて無理ですよ」
「問題はない。君たち異世界人は、人知を超えた魔力を宿している。魔法の扱い方さえ習得すれば、大抵の魔物は討伐できるはずだ」
「うひょっ、それって、つまり、チート能力ってことっスね!」
ニートの二人がはしゃいだ。
チート。
元社畜の俺でも、意味ぐらいは分かる。
めちゃくちゃ強いってことだろ。
だが、強いという感覚はまったくない。
そもそも、どうやって魔物を退治すればいいのか分からない。
「とにかく、君たちの魔力量を計測させてもらう。その後、冒険者ギルドで登録を行い、ギルドが管轄する施設で、約二週間、剣と魔法の訓練を受けてもらう。それらが修了した後、本格的に冒険者として活動してもらう予定だ」
「はあ? 二週間?」
たった二週間の研修で、魔物と戦う術を会得することができるのか。
どう考えても、無理だろ。
「さあ、さっそく魔力量の計測に取り掛かろう」
これ以上の質問は受け付けたくないのか、司教は、さっさと会話を終わらせると、部下の司祭たちに指示を出し、何やら準備を始めた。
どうやら、さっさと俺たちを冒険者にして、魔物退治に駆り出したいようだ。ニートの二人は、嬉しそうに、はしゃいでいるが、明らかに怪しい。果たして、たったの二週間で、元社畜と元ニートのオッサンが、剣と魔法のスキルを習得して、魔物を退治することなどできるのだろうか。
いやいや、どう考えても、無理だろ。
どうにも、きな臭さを感じる。
俺は、既視感を覚えた。
似ている。
ブラック企業の新入社員研修に似ている。
ブラック企業は、常に人手不足であるため、新入社員の研修期間は、二週間ほどしかない。しかも、研修内容のほとんどは、くだらないビジネスマナー講習ばかりで、実戦に役立つことは、何も教えてもらえない。そして研修が終了したら、容赦なく現場に放り込み、すべての責任を背負わせる。
やはり臭う。
これは、明らかに人手が足りていない。
人手が足りていないのは、ブラックな証拠だ。
このきな臭さは、ブラック企業のきな臭さとよく似ている。
間違いない。この国では、冒険者が不足している。