毛根ヤバすぎだろ。
「しかし、よくもまあ、生きておったのう」
ようやく辿り着いた陸地で、ひっくり返っていると、ミーネが、呆れ顔で近づいて来た。
「ふっ、俺は、とんでもなく往生際の悪い男だからな……」
社畜時代に培った往生際の悪さが、ここにきて初めて役に立った。
元来、社畜という生き物は、逃げたり、諦めたりすることを、負けだと思い込む節がある。負け続けてきた人生だからこそ、負けることへのコンプレックスが人一倍強いからだ。だから、社会に負けても、他人に負けても、絶対に自分には負けない。これが真の社畜のプライドだ。この歪んだプライドが、とんでもない往生際の悪さを生み出すのだ。
精神と肉体が摩耗し続け、擦り切れてしまっても、社畜のプライドだけは残り続ける。
社畜は、命よりも誇りを選ぶ。
そう、現代の武士だ。
俺もまた、その武士の一人だ。
そして今回、武士の誇りによって、窮地を潜り抜けることができた。
社畜の経験も、無駄ではなかったということだ。
人生、何が役に立つか分からない。
「結局、あのグリフォンって、何だったのかしら……」
濡れた髪を掻き上げながら、ルピナスが湖から上がって来た。
俺は、湖畔に静かに横たわる竜の亡骸へ視線を向けた。
眠り竜。
黄緑色の小さな竜。
「その辺りの事情は、竜骨の回収が終わったら説明する」
「何か知っているの?」
俺は、小さく頷いた。
「ほう、あのグリフォンの残留思念を見たんじゃな」
「ああ、何もかもが繋がっている。そして、すべての元凶は、勇者にある」
ルピナスとミーネが、同時に厳しい表情を浮かべた。
「とにかく、今は、竜骨を回収するのが先だな」
ふと、辺りを見渡すと、遠くで座り込んでいるロルシュを見つけた。
おもむろに彼の元へ近づくと、ロルシュは、脇腹を押えながら、怪訝そうに、こちらを見上げた。
「ありがとう。アンタのおかげで助かったよ」
ロルシュは薄く笑った。
「そりゃどうも」
ロルシュは続けた。
「それよりも、あの竜骨を回収するんだろ。君たち、荷車は持って来てるのかい? どう見ても、手ぶらにしか見えないんだけど」
「あっ!」
俺、ルピナス、ミーネが、同時に声を上げた。
「なければ、僕たちの荷車を使いなよ。荷台の中に、魔封じの布も入っているから、自由に使うといい」
「わ、悪い、助かる……」
ロルシュは、どうも、と冷たく笑った。
「でも、シュタイン、どうしたのかしら……」
シュタインは、ハーデブルクにいた怪我人や病人を、ヴィーネリントへ送り届けた後、俺たちと合流するため、こちらへ向かっているはずだ。竜骨回収の現場まで、それなりの距離はあるが、シュタインの身体能力を考えれば、もう到着していてもおかしくはない。
「もしかして、道に迷っているのか?」
ミーネが、かぶりを振った。
「いや、それはなかろう。ワシが事前に地図を渡してあるからのう。まあ、あやつに限って、迷うようなヘマはせんじゃろう」
ドワーフ族は、複雑に入り組んだ洞窟や、暗闇に覆われた地底を根城としているため、広くて明るい地上では、深い森の中であっても、大した障害にはならないらしい。
「じゃあ、途中で、赤帽子の群れに襲われた、とか?」
シュタインは荷車を引いているため、極力、森の中を避けて移動しているに違いない。もし、最短距離で現場に向かっているのであれば、大量の赤帽子がうろついているハーデブルク周辺を通らなければならない。
「うーん、シュタインのことだから、赤帽子の群れを、器用に避けながら向かっていると思うんだが」
シュタインは無口で表情も変わらないが、非常に慎重な性格をしている。さらに、冷静で、頭も切れるため、しくじるような姿を見たことがない。
「うむ、そうじゃな。もし仮に、赤帽子の群れに遭遇したとしても、今のあやつならば、問題はあるまい」
「どういうことだ?」
「恐らく、あやつの髭は、もう生え揃っておる。つまり、あやつの魔力は、しっかりと蓄えられておるということじゃ」
「ん、ちょっと待て、髭が生え揃っているとはどういうことだ。さっき見た時は、ツルツルだったぞ?」
「ドワーフ族にとって、髭は、魔力を貯留するための重要な器官じゃからな。剃っても、数時間ほどで生え揃うようになっておる」
「いやいや、毛根ヤバすぎだろ」
シュタインが、魔力全開だと言うことは分かった。
「魔力が充足した状態のあやつが、雑魚の赤帽子に苦戦するようなことはあるまい」
だったら、余計に合流できていないのはおかしい。
「まあ、王に遭遇しておれば、話は別じゃが……」
赤帽子の王。
奴は、すべてにおいて別格だ。
やはり、シュタインに何かあったのか。
「ちょっと、これっ!」
突然、ルピナスが声を上げた。
「どうした?」
ルピナスが、湖畔に横たわる竜骨を見ながら言った。
「ところどころ、骨がなくなっているわ!」
「なんじゃと!」
確かに、背骨の部分を中心に、骨が幾つも欠損している。
「おいおい、どこいっちまったんだ?」
ミーネが険しい表情を浮かべた。
「赤帽子どもが、持っていきおったか……」