とんでもなく往生際の悪い男だからな。
スクリーンには、見慣れた光景が流れていた。
解体され、骨だけとなった竜に、赤帽子が群がり、狂ったように齧りついている。
小さな竜のため、赤帽子が数匹群がるだけで、その姿は見えなくなる。
赤帽子は、一匹の王によって厳しく統制されているため、魔物の中でも、ひときわ高い社会性を持っている。そのため、目の前に竜骨があっても、決して、奪い合ったり、争ったりはしない。しっかりと時間を決めて、順番に竜骨を齧っている。
そんな赤帽子たちの映像から、湖の映像へと切り替わる。
水面をぷかぷかと浮いている巨大な影。
グリフォンだった。
羽根は黒く焼け焦げ、全身を覆っていた獣毛も剥がれ落ち、皮膚は赤黒く爛れていた。森から吹きつけてくる風が、容赦なく傷口をなぶり、その度に、グリフォンは、ビクンと身体を上下させた。
虫の息のようだ。
そして、グリフォンは、長い時間、傷口を風になぶられ続けた。
風になぶられる度、グリフォンの身体は、ゆらゆらと波に流されていき、やがて、湖岸へと辿り着いた。
大地に触れたグリフォンは、僅かな力を振り絞って、陸地へと上がり、這いずりながら、ある方向へと前脚を伸ばした。
グリフォンの鳴き声が響く。
消え入りそうな鳴き声を上げ、地面を必死に這いずりながら、グリフォンは、竜の元と向かっていく。
太陽はとっくに沈み、辺りは漆黒の闇に包まれている。小さな虫の音と、微かに揺れる水面の音しか聞こえてこない。
美しく立派だった羽根は、逆方向に捻じ曲がり、滑らかで艶やかだった獣毛は、ほとんどが剥がれ落ち、晒された皮膚からは血が泡立っている。
それでもグリフォンは、必死で、母のいる場所を目指していた。
母がいつも眠っていた湖の畔。
その一点を目指して、グリフォンは、命を燃やしながら、その歩みを進めている。
どれくらいの時が過ぎたのだろう。
ようやく母の元に辿り着いた。
骨となった母の元に。
グリフォンは、母の亡骸に身をすり寄せると、突然、悲鳴のような鳴き声を上げた。
あまりにも深い悲しみを孕んだ、嘆きの咆哮。
闇の中に響き渡る、痛々しいほどの慟哭。
グリフォンの鳴き声は、途切れることなく、夜明けまで続いた。
ごぼっ。
意識が覚醒した。
仄暗い水の中。
ここは湖の中だ。
どれくらい水中にいたのだろうか。まだ意識はしっかりしている。もしかすると、数秒ほどの気絶だったのかもしれない。
体感としては、二時間以上経っている気がするのだが。
長かった物語の最終回だった。
あまりにも悲しくて、胸糞悪いバットエンドだった。
俺の手には、バルムンクが握られており、刃はグリフォンの腹部を貫通していた。
俺は、グリフォンとともに、ゆっくりと湖底に向かって沈んでいる。
グリフォンの嘴からは、一粒の泡も漏れてこない。
すでに息絶えているようだ。
俺は、静かにバルムンクを抜いた。
ゆらゆらと黒い血が、水面に向かって長い尾を引いた。
グリフォンは、真っ暗な湖底へと、ゆっくりと沈んでいった。
俺は、その様子を静かに見守っていた。
「ごぼっ!」
急に息が苦しくなった。
慌てて水面を見上げる。
けっこうな距離がある。
やばい。
俺は、ありったけの魔力を込めて、身体強化を発動して、両手で思いっきり水を掻き、両脚で思いっきり水を蹴った。
この時ほど、小学生の頃、スイミングスクールに通っていてよかったと思ったことはない。
当時は、スイミングスクールに通うのが、嫌で嫌で仕方なかったが、まさか異世界で役に立つとは思ってもいなかった。
ここで泳げなかったら、完全にアウトだ。
不格好な平泳ぎから、がむしゃらなクロールに変え、無我夢中で水面を目指す。
水面に反射する明かりが、少しずつ近づいて来る。
だが、それでも、遠い。
泳いでも、泳いでも、辿り着かない。
意識が、朦朧となってきた。
くそっ、こんなところで死んでたまるかよ。
俺は、とんでもなく往生際の悪い男なんだ。
その時、水面のほうから、こちらへ向かって来る人影が見えた。
まるで人魚のような、軽やかでしなやかな泳ぎだ。
人魚は、無駄のない泳ぎで俺に近づくと、腕を力強く握り、そのまま、一気に水面まで引き上げてくれた。
湖面に注ぐ光の眩しさに、視界が白一色に変わる。
ぶはぁっ、と、俺は、大口を開けて、死にもの狂いで呼吸をした。徐々に、肺が酸素で満たされていき、細胞が目を覚ましていくのが分かった。
「ハアハア、まったくもう、ガラにもなく、無謀な作戦だったわね」
降りしきる陽光が、助けてくれた人魚の姿を鮮明に映した。
「ルピナス……」
彼女は呆れながらも、口許からは笑みがこぼれていた。
「死んじゃったのかと思って、本当に心配したわよ」
浮かべる笑みの中に、僅かだが、涙が見えたような気がした。
心臓が大きく波打った。
「ふっ、俺は、とんでもなく往生際の悪い男だからな……」
そう笑みで返すと、急に力が抜けて、沈みそうになった。
すかさず、ルピナスが抱きしめ、水面から顔を引き上げてくれた。
「わ、悪いな……」
「ううん、たまには、あたしにも助けさせてよ」
「はあ? なに言ってんだ、いつも現場で助けてもらっているのは、俺のほうだろ?」
「いいの」
ルピナスが、ぎゅっと力を込めた。
その柔らかさと、温かさに、安堵した俺は、そのまま、彼女にゆだねることにした。