異世界人の方ですね。こちらへどうぞ。
それでは、俺が異世界転移した時のことを話そうか。
仕事中に過労死した俺は、気が付くと、古びた石造りの建物の中にいた。
薄暗い室内を見渡すと、そこら中に、塵や埃が降り積もり、崩れた落ちた瓦礫が散らばっていた。朽ち果てた祭壇には、大きな十字架が掲げられており、割れた壁の隙間からは、光が差し込み、床をキラキラと照らしていた。
混濁していた意識が、徐々に鮮明になっていく。
俺は、ここが礼拝堂であることに気が付いた。
教会のようだった。
風化の具合から見て、放棄されてから、かなりの年月が過ぎているようだった。
わけも分からずに、起き上がり、パンパンと服を叩く。
白シャツにネクタイ、黒いスラックス。そして、染みだらけのエプロン。
死んだ時と、まったく同じ格好だった。
途端、あまりの埃っぽさに、咳と鼻水が止まらなくなった。
たまらずに、光が射す方へと向かった。
視界が白に染まる。
全身が光に照らされる感覚。
少しずつ視力が戻るに連れて、俺は、奇妙な感覚に襲われた。
空だ。
空が、不気味なほどに青かった。
空が青いのは当たり前なのだが、その青が、やたらと濃く感じた。空は空色と呼ばれ、明るい青色と称されているのだが、俺が見ている空は、まるで飛行機の上から見るような群青色の空だった。
眩暈がするほどの青さに、身震いを覚えながらも、俺は、周囲の景色に視線を巡らせた。
どこまでも続く緑の平原。脛の辺りまで伸びた草が、風で静かに揺れている。そんな緑の絨毯の上を縫うように、細く曲がりくねった道が、延々と伸びている。もちろん舗装されていない。草を刈って、土を固めただけのあぜ道だ。
ふと、振り返ると、小さな教会が建っていた。
壁面は大きくひび割れ、ところどころが崩れ落ちている。さらに、建物自体が、大きく斜めに傾いており、今にも崩落しそうな勢いである。
完全なる廃墟である。
さっきまで、あの中にいたと思うと、背筋が寒くなった。
教会の背後には、巨大な森が広がっていた。
建物よりも遥かに高い木々が、鬱蒼と生い茂り、森の奥は、昼間にも関わらず、深い闇に包まれていた。濃く深く密集している木々が、大地に覆い被さるように迫る様は、まるで押し寄せる大津波のように見えた。いずれ、この教会も、森の濁流に吞み込まれて、跡形もなく消え去ってしまうのだろうと感覚的に覚った。
真っ暗な森の奥で、時折、赤い光が明滅した。その度に、得体の知れない、どこか不気味な気配を感じた。本能的に、森から離れたい衝動に駆られた。
それにしても、ここはどこだろうか。
少なくとも、俺の知っている景色ではない。
あの世なのだろうか。
それにしては、肉体の感覚がやけに強い。
まさか、異世界転移でもしたのか!
とにかく、ここにいてもしょうがない。
森の中は、明らかにヤバそうなので、とりあえず、目の前に伸びている道を進んでみることにした。
太陽の下を歩くのは、いつ以来だろうか。スーパーマーケットの店内で働いていると、時間の感覚がやたらと鈍くなる。レジ付近であれば、出入口が近いため、ある程度の時間は把握できるのだが、店の奥に行けば行くほど、時間の感覚は鈍くなっていく。倉庫に至っては、年中薄暗いため、疲労困憊、意識朦朧とした状態で働いていると、今が、朝なのか、昼なのか、夜なのか、分からなくなる時がある。
そんな生活を三年も続けていたせいか、空から降り注ぐ優しい光も、身体をすり抜けていく柔らかな風も、踏みしめる土の弾力も、その何もかもが、ひどく懐かしく思えた。
自然の心地良さに身を委ねながら、のんびり歩いて行くと、巨大な建物が見えてきた。
豊かな大自然の中に、人工的な城壁がそびえたっていた。
城壁は東西に長く伸びており、その中心に、巨大な城門が見えた。
城門は、固く閉ざされているようだ。
廃教会から続く道は、蛇行を繰り返しながら、城門まで伸びていた。
どうやら、本格的に異世界転移したようだ。
俺は、すんなりと現実を受け入れた。
まあ、特に、前の世界に対して未練はない。
むしろ、強制労働から解放されて、ホッとしている。
前の世界では、仕事で死ぬか、逃げてニートになるか、その二択しか存在していなかった。そんな世界に未練などあるはずがない。もう勘弁してくれ。もういい加減、許してくれ。これが本音だ。
とりあえず道を辿っていき、城門まで辿り着くと、衛兵が立っていた。
俺が話しかけようとすると、衛兵は、特に驚いた様子もなく、勝手に話し始めた。
「城門から、真っすぐ北に行くと、中央広場に出る。その中心に市庁舎がある。そこで魔力量を計測してもらえ」
RPGゲームのモブキャラばりに事務的な口調だった。
いろいろと尋ねようとしたが、衛兵からは完全に無視された。
衛兵が城門を開けると、半ば無理やりに城門をくぐらされた。
衛兵の態度の悪さに呆れながらも、俺は、周囲の景色に目を奪われた。
城壁の内側は、完全に中世ヨーロッパの都市だった。
木造の三角屋根の建物が密集して建っている。どれも三階建てから四階建ての建物ばかりで、その壁面には、大きな窓が取り付けられていた。高い建物がひしめき合っているため、道路は狭く、そして薄暗く、しかも迷路のようになっている。
そんな迷路のような道を、人々が行き交っている。皆、西洋風の顔立ちをしており、服装もスカーフやエプロンを身に付けている者が多く、現代の日本人とは大きくかけ離れていた。
俺は、衛兵に言われた通り、迷路のような路地をひたすら真っすぐ進んだ。
すると、急に開けた場所に出た。
薄暗く狭い路地から、一変、光溢れる大きな広場へと、視界が埋め尽くされた。
活気ある声が響き渡り、多くの人々が集まっている。いたるところで、市場や催し物が開かれており、広場一帯は、ものすごい賑わいで溢れていた。
どうやらここが中央広場のようだ。
そんな中央広場の中心には、石造りの立派な大聖堂が鎮座しており、建物から伸びた尖塔には、巨大な鐘楼がぶら下がっていた。
この大聖堂が、衛兵の言っていた市庁舎なのだろうか。
他にそれらしき建物は見当たらないので、たぶんそうなのだろう。
市庁舎だと信じて、大聖堂の中へと入っていくと、豪華な装飾が施された祭壇が、俺を出迎えてくれた。
そこには、大きな十字架に磔にされた聖人像が掲げられ、その下には聖母像が飾られていた。
やはりここは、中世ヨーロッパなのかと思ったが、どうにも違和感があった。
さっき、衛兵が、さらっと魔力量をなんとかどうとか言っていた。
冷静に考えてみると、魔力ってなんだ? MPのことか? てことは、魔法があるってことか? もちろん、中世ヨーロッパに魔法など存在しない。
こりゃあ、いよいよ、異世界転移が現実味を帯びてきたな。
祭壇の前に、聖職者らしき女性を見つけたので、とりあえず話しかけてみることにした。
すると女性は、極めて事務的な笑みを浮かべた。
「ああ、異世界人の方ですね。こちらへどうぞ」
そのまま女性から、祭壇の横にある扉へと案内された。
やっぱりここは、異世界のようだ。