嘆きの咆哮。
俺は、竜骨のある方向へ、一直線に走っていた。
ルピナスとミーネ、そしてロルシュは、後方で散り散りに分かれ、一定の距離を保ちながら、俺の後をついてきている。
竜化した魔物は、本能的なのか、バルムンクを避けようとする。
実際、勇者パーティーの魔導士が、バルムンクをかざしただけで、赤帽子たちの動きが止まったのを見た。あの赤帽子の王ですら、何もせずにその場を去ったのだ。それほどまでに、バルムンクから放たれている魔力は、竜を忌避させる力を持っていると言うことだ。
空を旋回しているグリフォンは、俺がバルムンクを持っていることを把握している。よって奴は、狙いを、ルピナス、ミーネ、ロルシュの誰かに絞ってくるはずだ。恐らく負傷しているロルシュが最初に狙われるだろう。
俺を狙って来ることはない。
だが、この作戦は、グリフォンが、俺に狙いを定め、俺を捕らえないと、開始することはできない。
だから、絶対に捕らえられなければならない。
そこで俺は、単独で、竜骨のある方向へと、一直線に向かった。
竜骨は、麻薬のようなものだ。
竜骨を齧った時点で、竜の魔力が取り込まれ、魔物へ変貌し、魔力中毒に侵される。そして、竜の魔力が切れれば、激しい禁断症状に襲われる。そのため、竜骨に対する魔物の執着は凄まじく、奪われると察知すれば、命を晒してでも、猛烈な抵抗へと出るのだ。
グリフォンは、俺が竜骨へ向かっていることを察知し、上空から追跡して来ている。
咆哮を放つタイミングを見計らっているようだ。
だが、俺は、極限まで身体強化をして、森の中を、高速で、しかも、ジグザクに駆け抜けているため、簡単には捉えきれないようだ。
全身のあらゆる機能を最大まで強化し、それを持続し続けながら、なおかつ、片手にはバルムンクも持っているため、膨大な魔力が消費されていくのが分かる。
普通のS級冒険者であれば、間違いなく枯渇する魔力消費量だ。
だが、俺は、まだまだ余裕だった。
魔力に関して言えば、俺はチートなのだ。
俺は、全速力で森を駆け抜けていく。その間、幾度となく視界を通り過ぎていくのは、串刺しにされた教皇座聖堂騎士団の騎士たちと、赤帽子の無残な死体だった。
竜骨に近づくほど、死体の数はどんどん増えていっている。
「もうこれ、モズのはやにえじゃないだろ」
モズのはやにえとは、モズと呼ばれる鳥が、捕らえた獲物を、木の枝に突き刺す習性のことだ。諸説いろいろあるようだが、冬の保存食と、雌を獲得するための栄養食だと言われることが多い。
だが、どう考えても、保存食にしては多すぎるし、雌を獲得するための栄養食だとしても、他のグリフォンは、山岳地帯で群れを成して暮らしているため、はぐれグリフォンには無縁の話だ。
「なぜここまで、串刺しにこだわっているんだ?」
そんなことを考えながら走っていると、徐々に視界の向こうが明るくなった。
密集した木々の隙間から、幾つもの光が射している。
間違いない。
この先に、竜骨がある。
俺は、眼前に射し込んでいる、幾条もの光の中に飛び込んだ。
あまりの眩しさに、思わず瞼を閉じる。
そこかしこから、小鳥の囀る声が聞こえる。
そして、水の流れる、微かな音。
俺は、ゆっくりと瞼を開いた。
森の中に、ぽっかりと浮かんだ空間。
緑の草原が広がり、その向こうに、コバルトブルーの湖が広がっている。
それは、夢で見た光景と、まったく同じものだった。
そして、コバルトブルーの湖の畔に、黄緑色の小さな竜が眠っている、はずだった。
そのはずだった。
だが、そこには、白骨化した竜の死体しか残っていなかった。
急激に胸が苦しくなった。
分かっていた。
分かっていた、はずだった。
それでも、涙が止まらなかった。
あの竜が、何をしたのか。
ただ静かに、ここで暮らしていただけだろう。
あのグリフォンと、幸せに暮らしていただけだろう。
なぜ、殺す必要があったのだ。
なぜ。
なぜ。
なぜ。
なぜ、殺した。
なあ、人間どもよ。
嘆き悲しんだところで、何も解決しないのは分かっている。ただ、このぶつけようのない怒りと悲しみに、心が圧し潰されそうだった。
刹那、天空から咆哮がこだました。
今だから、分かる。
これは、嘆きの咆哮だ。
皮膚がひりつき、肉が震え、骨が軋み、内臓が歪む。
一瞬にして、俺の身体は自由を奪われた。
そして、天空から、巨大な怪鳥が、傲然と降り立った。
聖獣グリフォン。
夢で見た、あの愛くるしさと、神々しさは、もう微塵も存在していない。
燃えるような憎悪に満ちた、凶獣が、俺を見下ろしていた。
俺は、溜息を吐き、絶望を滲ませながら、小さく笑った。
「お前に、この感情をぶつけるのは、あまりにも筋違いだよな」