人間関係さえ悪くなければ、どんな仕事であっても、続けていくことができる。
さて、仕事選びをする時、何を基準として選ぶだろう。
給料が良い。残業がない。土日祝日が休み。人間関係が良い。ついでに美人の同僚がいる。
この辺りを基準として選ぶだろうか。
俺が生きていた時代、こんな好待遇の仕事など、夢のまた夢だった。
低賃金、長時間労働、サービス残業は当たり前、休日出勤も当たり前、ついでに上司のパワハラも当たり前。
これこそが、日本の会社だ。
当時は、超就職氷河期からの、リーマンショックによる世界恐慌で、労働者の人権は、次々と失われていき、奴隷へと堕とされていった。
奴隷ともなると、仕事の選び方も変わってくる。
低賃金。長時間労働。サービス残業。休日出勤。パワハラ。
これらすべて、当たり前の時代。
つまり、これらの中から、一つでも少ない職場を選ばなければならない。
究極の消去法である。
俺は、三流大学卒業後、転職を繰り返し、様々な職場を渡り歩いてきた。
そして、辿り着いた境地があった。
職場選びで重要となるのは、やはり人間関係だ。
人間関係さえ悪くなければ、どんな仕事であっても、続けていくことができる。
そう、気付いたのだ。
では、人間関係を悪くする大きな要因とはなにか。
それは、紛れもなくパワハラだ。
上司からの理不尽で不条理なパワハラを受け続ければ、次第に精神が病んでいき、やがて肉体の不調へと繋がっていく。精神と肉体の両方が病んでしまうと、社会復帰が困難になってしまう。
よって、精神と肉体が病む前に、パワハラから逃げなければならない。だが、逃げるには、とんでもなく大きなエネルギーが必要となってくる。心身喪失の状態では、逃げるエネルギーが残っていない場合がある。逃げることもできず、助けも来ないまま、深い闇へと堕ちていき、そこから這い上がることができなくなる。
そうなると、社会へ戻ることは絶望的となる。
なぜそこまでして、労働者を追い込む必要があるのだろうか。
パワハラを行う連中の根幹には、絶対的な自己の肯定と、徹底的な他者への否定がある。
パワハラ上司は、自分の考え、自分の行動が、すべて正しいと思い込んでいる。同時に、部下の考え、部下の行動が、すべて間違っていると思い込んでいる。
つまり、どう足掻いても、部下はパワハラの対象となるのだ。
パワハラ上司というのは、会社という領域でのみ、チート能力を発動することができる厄介な存在なのである。
異世界という領域でのみ、チート能力を発動する勇者とよく似ている。
究極の弱者である就職氷河期世代が、チート上司に抗うすべはない。
精神と肉体が、粉々になるまでこき使われ、修復不可能と分かれば、ゴミのように捨てられる。
その運命からは、逃れられない。
よって、この苛烈極まる日本社会で生き残っていくためには、まず、パワハラのない職場を選ばなければならない。
パワハラさえなければ、人間は、どんな過酷な労働環境でも働いていける。
そう確信していた。
低賃金、上等。
長時間労働、上等。
サービス残業、上等。
休日出勤、上等。
まとめて、かかってこいや!
そんなこんなで、俺が最後に就職した先は、24時間営業のスーパーマーケットだった。
24時間、延々と働き続ける現場。従業員は、ロボットのように黙々と働き続けており、会話は業務連絡しかなかった。どの従業員も、過労と疲労、そして体調不良により、喋る気力すらなかったのだ。
それは上司も同じだった。
この職場には、パワハラが存在しなかった。
パワハラは、感情的で攻撃的なエネルギーを消費する。説教したり、怒鳴ったり、殴ったり、と、そのエネルギーの消費はかなり激しい。24時間営業のスーパーマーケットでは、上司を含め、すべての従業員が、予備電源の省エネモードで働いているため、パワハラを起こすほどのエネルギーがなかったのである。
そもそも、全員が、極限状態で働いていたため、他人のことまで気にする余裕がなかったのだ。
それほどまでに、過酷な労働環境だった。
それでも、パワハラが蔓延している職場に比べたらマシに思えた。
いや、そう思い込むようにした。
そして、自らをロボットに変えるため、心を殺して働き続けた。
心を殺すことが、社畜への第一歩だ。
俺は、社畜ロボットになる。
そして、不眠不休の労働を始めてから三年が過ぎた。
俺は、ロボットの電池が切れるように、ゆっくりと、その動きを止めた。
そう、最期を迎えたのだ。
そして、異世界に転移した。
「ちょっと、まだ寝てるの、早く起きなさい、もう出発するわよっ!」
ゆっくりと瞼を開けると、碧瑠璃色の大きな瞳が、こちらを見下ろしていた。
絵画に描かれた女神のように美しい容姿だ。
寝ぼけてふわふわしている俺に、美女は細く長い手を差し出した。俺がその手を握ると、彼女は力を込めて、俺の上半身を引き起こしてくれた。
「よくもまあ、地べたで、ぐうぐういびきかいて眠れるわね」
地べたにあぐらをかいたまま、俺は、ぼんやりと美女の顔を見つめた。
「ちょ、ちょっと、なに見てんのよ!」
美女の白い頬に、微かな赤みがさした。
「あーあ、もう、背中、泥だらけじゃないのよ!」
美女は呆れながらも、俺の後ろに回り、しゃがみ込んで、背中についていた泥を、パンパンと手で叩き落としてくれた。
その手が、妙に暖かく感じた。
ふいに、ポンポンと肩を叩かれた。
おもむろに振り向くと、毛むくじゃらの少年が、ごつい身体を傾け、背中に乗れとジェスチャーしていた。
「なんじゃ、まだ眠いんかっ? まったく、手の掛かる奴じゃのう、ほれ、ワシのシャベルの上で寝ておけ」
派手な恰好の少女が、六本のシャベルの刃を器用に組み合わせて、即席のハンモックを作って、俺の前に差し出した。
俺は、思わず吹き出してしまった。
三人が不思議そうにこちらを見つめる。
「いや、待たせて悪かったな。さあ、行くとするか」
俺は立ち上がると、尻に付いた泥を叩いて、職場の同僚たちを見渡した。
「なに、ニヤニヤしてんのよ、気持ち悪いわね」
ルピナスが怪訝そうに睨んだ。
俺は、荷台に積まれた大量の竜骨に視線を向ける。
今回の報酬は、かなり期待できるな。
群青の空に浮かぶ太陽を見上げた。
時間は、正午過ぎたあたりか。
夕方には、小教区に到着するだろう。
今回の仕事は、これで終了だ。
一つの現場が終われば、緊急の回収が入らない限り、しばらくは休暇が取れる。
給料は良い。残業はない。土日祝日も休み。しかも長期休暇あり。そして、少々クセは強いが、人間関係もさほど悪くはない。ついでに美人な同僚がいる。まあ、性格は度外視しておく。
まさか、異世界転移して、すべての基準に当てはまる仕事に就くことができるとは、まったくもって皮肉な話である。
まあ、しくじれば、一瞬で魔物に殺される職場なのだが。
つまり、すべての基準に当てはまる仕事に就くには、死を覚悟する必要があるということだ。
命を賭けないと、理想の条件に当てはまる職場には、辿り着けないということだ。
それでも、人間関係さえ悪くなければ、どんな仕事であっても、続けていくことができる。
命を失う危険があっても、だ。
まとめると、どこの世界も、ろくでもない仕事ばかりだということだ。
だから、さっさと稼いで、さっさと引退する。
もう、そう決めている。
なぜならそれが、最も利口な考えだからだ。