Ep.1–5 Personation / 演戯
Overpowered Witchcraft Lightning 通称: O.W.L
4年前、突如現れたこの女ハッカーはシンドウ社にハッキングを仕掛け、最高機密である人工血液の開発に関する資料全てを盗み出し、それを新地球全体へと拡散させた。その後も依然としてシンドウ社の影響は大きいものの、ほぼ独占状態だった人工血液市場が崩壊、『ニューリンク社』、『SCAB社』、『アトス・システム社』など強力な競合企業が出現した。
アスター・シティ・ステイトのC S B I、S C S I Dによる協力体制であってもそのハッカーの足取りは掴めなかった。捜査資料によると、彼女はわずか2分足らずでシンドウ社の難攻不落と言われたA i Sを突破、その後、O E Sをも無効化してネクタル・ブラッドに関する情報を抜き取っていた。
彼女はその圧倒的なハッキング技術とスピード、アバターである梟のペストマスク姿からO.W.Lと呼ばれるようになった。オウルの人工血液を拡散して完全義体化をより身近なものにしたヒーロー的行動は世界中から称賛された。そして彼女の正体が未だに分からず、声が若い女性であることも相まってカルト的人気を博することとなった。
「もう少し冷静な娘だと思っていたが? レイラ=エマ=シエル、いやO.W.L」
マルト=ジンカワの言葉が、その場を去ろうとしていたレイラの足を止める。カークはレイラの一瞬の動揺とその静寂を悟られないようにマルト=ジンカワを馬鹿にしたように告げる。
「おいおい、O.W.Lなんてこんな場所をうろうろしてるはずねーだろ、おっさん」
「そうかい? 私は意外と近くにいると思うのだがね」
これまでレイラは、彼女の仕事を目の当たりにした者たちの中からO.W.Lと疑いをかけられることはあった。それらの者たちは単にレイラのハッキングを見て発言するなど確信のない言葉であったり、O.W.Lを炙り出すためのブラフであったりするだけだった。
しかし、マルト=ジンカワの声色はどこか確信めいたものでこれまでのように適当にあしらうことをレイラは躊躇っていた。
「私の仕事をそう評価してくれるのは嬉しいわ。何せO.W.Lはとんでもない技量の持ち主だものね。けど私は違う」
レイラは様子見のためにいつもの否定文句をマルト=ジンカワに告げた。マルト=ジンカワは微かに笑みを浮かべた後にレイラにデータシャードを手渡した。
「それを読み込んでくれたまえ。君のその余裕もなくなるぞ」
渡されたシャードをレイラは受け取ると後ろ髪を少し掻き上げ、左耳の後ろ側にあるスロットに差し込む。レイラ独自のA i Sがデータシャードを自動で洗浄、危険がないことを確認してからデータの読み込みを開始する。
データに映し出されたのは首なしヘドバンの電脳空間・『グリーンモンスター』で行われたオークションの様子だった。見上げた視界には巨大なモニターが見え、マルト=ジンカワの死を記録したサンプルが流されている。
「おい、何が記録されているんだ?」
レイラが目を見開いた様子を見てカークは尋ねた。レイラがマルト=ジンカワの方を見るとそれを察したマルト=ジンカワが「どうぞ」と言い、レイラはカーク、ミュリエルの2人にもシャードを共有した。
「こいつぁ……驚いた」
思わずついて出た言葉にカークの驚愕が見てとれる。ミュリエルは無言のまま時折、左目の眼帯を擦りながらシャードに記録された映像を注視している。
「君はO.W.Lほどのハッカーではないと言うが……だからと言って君が簡単にO.W.Lからデータを盗まれる、ましてやそれにすら気付かないというのは考えづらいと思うのだが」
マルト=ジンカワは少し低い声でレイラに告げた。押し黙るレイラにマルト=ジンカワは笑ってテーブルのワイングラスを手に取ってゆっくりと回す。その間、レイラは映像を見ながら事態を整理していた。
(どう考えてもオークション参加者からの漏洩ね。私をO.W.Lと知る者はカーク、ミュリエルを除いて限られた協力者のごく少数のみ)
レイラは横目でカークとミュリエルの様子を観察する。
(カークはあの反応を見る限り白ね……。ミュリエルは一見冷静そうだけど……)
レイラはミュリエルの左手が眼帯を擦る回数が多いことに気付く。
(ミュリエルも初めて知ったみたいね。眼帯を擦る回数が多い)
レイラはカーク、ミュリエルとの付き合いは長い。それ故に彼らの癖をある程度知っている。ミュリエルは動揺した時に眼帯を擦る癖があり、それがこの状況が彼女にとっても予想だにしないことだと示している。
(2人が違うとしたら武器屋か、義体整備士か。2人にはいくつか貸しがあるけど、それ以上の利益になる金を積まれたと考えればあり得る? いや同じモルスヘレナ出身、しかも彼らとは同じ集団。その絆を大事にする彼らが? それにあの2人のネット技術で首なしのM Mに入るどころか、見つけられるなんて考えられない。第一、彼らの参加を私が気付かないはずがない)
マルト=ジンカワは何か言葉を付け加えることもせずにじっくりと楽しむようにレイラを眺めている。カークは自身の言葉でレイラが不利にならないように黙っておくことを決めているようで汗をかきながらレイラの言葉を待っている。レイラは釈然としない状況に焦りを感じ始めていた。
(いや、そもそも奴の潜入だったとしたら私の考え自体が意味をなさない。これが念入りに時間をかけて計画されたものだったとしたら私が感知することなんて不可能。でも、何か抜け落ちているような……違和感が)
レイラは得体の知れない気持ち悪さを感じ、その違和感が何なのか分からないままもう一度記録された映像を見る。
(……!)
レイラはサンプル映像を再生し直し、違和感の正体を探る。
——視点。この映像の視点が、おかしい。
(サンプル映像。この見上げるような視界……あり得ない)
『グリーンモンスター』の構造は中央にステージを構え、その周囲を高い壁が囲む。観客席はさらにその上部に位置する。そして、サンプル映像が流れるモニターは、観客に向けられる。
(観客席にいる者の正面にモニターが映る。だが……)
この映像は違う。視点の高さが違う。低すぎる。
——観客席ではなく、ステージからの視点だ。
(その視点になる者はいない。私と……首なしを除いて)
レイラの指が、ほんのわずかに震えた。
(つまり、マルト=ジンカワは……首なしヘドバン本人)
瞬間、レイラは自動的にマルト=ジンカワのM Mに飛ばされた。目の前には頭部のないタキシードを着た男、首なしヘドバンが現れる。
(私のA i Sを突破した⁉︎)
——どうやら上手くいったようだ。一か八かだったんだが
首なしヘドバンは手を組んで上に伸ばしながら満足そうに呟いた。
——いつものヘビィメタルな格好はどうしたのかしら、マルト=ジンカワ
——M Mでは本名ではなくハンドルネームが常識だろう? O.W.L
首なしヘドバンは呆れたようにO.W.Lに告げ、そのまま言葉を続ける。
——シャードには特殊なナノマシンγを少量紛れ込ませていてね。『君が私を首なしヘドバンだと判断した』という信号を持ったナノマシンγを検出したら私のM Mに強制的に招くように設定しておいたんだ
——シャードには差し込んだ者に信号を送るためにそもそもナノマシンγが含まれていること、条件が揃うまで無害であることが功を奏して私のA i Sを突破できたみたいね
現実世界のマルト=ジンカワは、M Mでのオウルの返答を聞くと、微かに口元を緩めた。
「さてレイラ君、君の返答を聞こうかな」
——現実の方では適当に話を合わせてくれ。O.W.Lであることを認めても認めなくてもどちらでも構わない
首なしヘドバンはM MでO.W.Lに告げ、O.W.Lは黙って頷く。現実世界でレイラが口を開いた。
「確かにこれはあなたの依頼でやった死贈業の映像ね」
「そうだろう? この映像を出品したのはO.W.Lだ。君がO.W.Lだとこちらが判断するのは自然だと思うが」
現実世界でレイラとマルト=ジンカワが会話を繰り広げる中、M Mではオウルと首なしヘドバンは別の会話を交わす。
——それで、なぜわざわざこんな回りくどい真似を?
——現実世界だと誰に話を聞かれているか分からないからね。私自身に手垢が付いている
——あなたに手垢を? 首なし、それこそあなたなら排除できるでしょ?
——表向きはシンドウ社勤務の75歳だ。このレベルの手垢を排除したら怪しまれてしまう
O.W.Lは首なしヘドバンの答えが論理的であると納得する。
「でもO.W.Lは私じゃないわ」
「君がデータの盗難に気付かなかったと?」
レイラはM Mでの話を聞いた上で、マルト=ジンカワに手垢が付いていることからO.W.Lであることを認めない方針を固めた。
「私が編集を完成させたのは今日の早朝5時。そこから夕方6時まで寝てたのよ。その間に抜かれていたとしたら気付けない。寝てたことを疑うなら記憶データを見せても構わないわよ」
「改竄の可能性が捨てきれん」
「そんなの詳しく調査すれば編集の手垢を見つけられるでしょ。それに立場が危うくなるのはあなたも同じよ」
「どういうことかね?」
「首なしヘドバンのM M。死のデータシャードみたいな多くの違法物が出品される。そこにシンドウ社の社員がいたことが知られてみなさい? 反感を買うわよ」
「潜入捜査ならば問題はない」
「一般人にはね。裏世界の連中はどう思うかしら。ただでさえシンドウ社の評判は悪いっていうのに」
「そう。私はシンドウ社の社員。しかも常務取締役だ。この意味が分かるかね? 正直、君がO.W.Lでなくても構わないんだ」
——あなた結構面倒くさいって言われない?
O.W.Lは現実世界での会話から首なしヘドバンにため息まじりに尋ねた。
——君ほどのハッカーを相手にするんだ当たり前だろう?
O.W.Lは気が抜けたように息を大きく吐くと話題を戻す。
——それで? 私をスカウトする目的は何? 理由をシンドウ社に知られたくないんでしょ? わざわざこんな茶番をするくらいなのだから
——話が早くて助かる。単刀直入に言おう。私はシンドウ社、及びここアスター・シティ・ステイトの政治体制には疑問を抱いている。もちろん、犯罪の芽を事前に摘むことや抑止することで民衆の安全を保つことが第一だ。その上で政治家やシンドウ社の汚職やその関係を洗いたい
——良い心がけね。でもそんなことして何になるの? トップが変わらない限りどうせ同じことの繰り返しよ
——そうだな。変わらなければ、だが
……あなた本気で言ってるの?
現実世界のレイラとM MでのO.W.Lがそれぞれ同じ台詞を発した。
「本気だとも。証拠などいくらでも持ってくれば良い」
「ハッタリね」
「試してみるかね?」
現実世界ではレイラとマルト=ジンカワの間に緊張が走る。それはM Mにおいても同様で、首なしヘドバンが最終的な目的を伝える。
——シンドウ社、及びアスター・シティ・ステイトの体制を崩壊させる
——そしてその頂点にあなたが君臨すると?
——同じ志を持つ者であれば私でなくて構わん
——その同じ志を持つ者って?
——それはこれからだ
——随分と楽観的
——少なくとも君はそうだろう。4年前の大規模ハッキングが確たる証拠だ。そして君も気になっているだろう? その義体は完全なシンドウ製だ。こちら側に付けば内部からアクセスできるぞ
——そんな隙があれば良いけど
——ならばやめるか?
やるわ
レイラとO.W.L、現実世界とM Mで同時に告げた。マルト=ジンカワは微笑むと満足そうに返答した。
「良い判断だ」
M Mでも首なしヘドバンは右手をサムズアップの形にして頭部がないながらも満足そうにしていることが見てとれた。
——ちなみに私が首なしヘドバンであることは〝スティンガー〟=ミュリエルは知っている。隣の少し鈍そうな彼には伝えていないが
——カークのことなめ過ぎよ
——ククク。そうか。こちらの接続は切るとしよう
首なしヘドバンはそう言うとユニタス接続を切った。
「……イラ! レイラ! 正気か?」
現実世界ではカークがレイラに信じられないといった表情で話しかけていた。レイラは手でカークを制してマルト=ジンカワに尋ねる。
「それで、もう終わりかしら?」
マルト=ジンカワは自身の連絡先を送信した後に返答する。
「シンドウ社はS C S I Dという独自の捜査部を持っているのは知っているだろう? 常務取締以上からは自身が管理する特殊捜査部隊を持つことができる。所属はS C S I Dということにはなるが、指揮系統が異なる」
「なるほどね。あなたの指示であればS C S I Dの命令も無視して良いってわけ」
「言い方に問題はあるが間違ってはいない。特殊捜査部隊の最低構成人数は指揮官1名、部下7名の計8名だ。メンバーは君に任せる」
「驚きね。あなたの両脇のボディーガード、少なくとも1人は入れ込んでくると思ったけど」
レイラの言葉を聞くとマルト=ジンカワはめを軽く閉じて笑うと、両脇のボディーガード2人はまるで糸の切れた操り人形のように頭を垂れて一切動かなくなった。
「この通り遠隔操作義体だ。近くでないと精密には動かせない。君やO.W.Lといった凄腕のハッカーなら話は別かもしれんが」
「……アンドロイドすらも使わないなんて良い趣味してるわね」
「友達が少ないのだよ」
マルト=ジンカワは自虐的に笑うと再び動き始めた遠隔操作義体と共に立ち上がる。
「基本的に命令がない場合には自由に行動してもらって構わない。もちろん、これまでのようにノマドの仕事をしてもね。可能であればだが」
「好きにさせてもらうわ」
「そうか。ではまた連絡する」
そう言い残すとマルト=ジンカワは部屋を後にした。
「どういうことなのかちゃんと説明しろよ」
マルト=ジンカワが部屋を去ってすぐにカークがレイラを問いただす。レイラは微かに頷くとグラスに入った白ワインを口にした後に事情を説明し始めた。
こうしてレイラ=エマ=シエル、及びO.W.Lはマルト=ジンカワの下、S C S I Dに所属することとなった。