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BORDER  作者: SELUM
Chapter1 - Scouting
4/19

Ep.1-4 Human Or Machina ? / 人か機械か

 メガロアーバン市 アップビート地区 『ニコール・バー&サロン』 22時


「よく来たね、レイラ」


 ミュリエル=マーケイニーズはそう言ってレイラにハグし、頬に軽くキスをする。レイラの眉間に2本の皺が薄く刻まれる。レイラの心情とは裏腹に頬を緩ませたミュリエルは軽くレイラの腰に手を回してニコール・バー&サロンの中へと促した。 

 中に入ると受付の女性をパスして少し古びた重い扉が両側にスライドして開かれる。中の騒々しい声と音楽が開放され、一瞬目を伏せるほどに激しい照明が飛び込む。ダンシングエリアには多くの男女が踊り狂う。カウンタースペースには酒を飲みながらバーテンダーの女を口説く者がいるなど秩序が感じられない。


「クラブスペースできてから品がなくなってない?」


 レイラは怪訝な表情を浮かべながらミュリエルに告げる。ミュリエルは依然、レイラの腰に手を回したまま笑って答える。


「ハハハ、良いじゃないか。馬鹿どもを見るのも嗜みの1つだ。サロンバーの方は常連しか入れないようにしているさ。個室なんてその中でもVIPしか入れない」


 レイラとミュリエルはクラブスペースを素通りするとそのままサロンバーへと入った。これまでの環境とは正反対に薄暗がりで緊密な空気が漂う。流れる音楽もクラブ・ミュージックではなく、ジャズやフィーリング系が流れる。大声で話す者はおらず、軽くグラスのぶつかる音や氷の音が聞こえてくる。仕事仲介人フィクサーとノマドが集うのによく使われるこの場所特有の緊張感がサロンバー全体を包み込む。


「こっちの雰囲気の方がお前の好みか?」


 ミュリエルはそう言うとレイラの腰に回していた手を下げ、臀部に触れる。レイラはその手を払いのける。


「ちょっと」


 ミュリエルはレイラの反応を楽しんでいる。それはさながら意中の子に意地悪をする園児のようである。

 2人がバーカウンターに座るとバーテンダーのクレア=エイム=ハナザワが声をかけてくる。レイラはミュリエルのセクハラから免れられると少し安堵した。


「ミュリエル、セクハラは大概にしなきゃ嫌われるわよ」

「固いこと言わないでくれ。レイラに決めてから他の女に手を出すのは控えているんだ」


 ミュリエルは両手を広げて肩を竦める。クレアは呆れたように首を振り、レイラは中指を立てる。


「私はシャードを渡したらとっとと帰るつもりなんだけど」


 レイラはクレアから受け取ったソルティドッグを一口飲んでからミュリエルに告げた。ミュリエルは「相変わらず可愛いな」と小さく呟くとウォッカをストレートで一気飲みしてグラスを置いて答える。


「仕事の話なんだ、腹違いのカーク(愚弟)が来るまで待とうじゃないか」

「そうよ、カークは? あいつが10時にって連絡してきたのにもう20分過ぎてる」


 ミュリエルは豪快に笑いながらレイラに告げる。


「あいつは23時くらいに来るよ。あぁ、私が連絡したんだ」


 23時と聞いて、すぐさまカークに通信で文句を言おうとしたレイラに気付いてミュリエルが付け加えた。


「何でよ?」

「そりゃあ、好きな娘と2人っきりで話したいという乙女心さ」


 レイラが再びミュリエルに対して中指を立てる。


「そう強がるな。本当は不安なんだろう?」


 ミュリエルはレイラをそっと抱き寄せる。クレアは「お邪魔かしらね」と言って心なしか目を潤ませてクレアを見ているレイラにウィンクした後、別の客の方へと離れてしまう。


「……何の話よ」


 レイラはミュリエルの酒臭さに辟易しながら尋ねる。


「ごまかすのが下手だな。お前はモルスヘレナ(郊外)出身ということになっているが実際のところは分からん」


 ミュリエルの言葉に黙ったレイラは正面を向き直してソルティドッグを少し口に含める。そんなレイラを他所にミュリエルは続ける。


「モルスヘレナの砂漠で見つかった動かぬ義体。壊れたアンドロイドと思われた矢先、突如動き始めた。それがお前だ」


 グラスの中では氷が溶けて淡黄色のソルティドッグが透けていく。微かに鳴る氷とグラスのぶつかる音が店内に流れるピアノのメロディーと絶妙に混じり合っていく。


「脳と脊髄も機械化された完全義体は文字通り全てが機械だ。言ってしまえばアンドロイドと人間の境界線が薄くなっている。だからこそ皆、完全義体化前の記憶を大事にするんだ。その延長線として死贈メメント業があり、それに関わる殺人を国認可にまでしている。分かるか? 意思、アニムスの所在こそが最も重要なんだ」


 ソルティドッグに入っていたいくつかの小さな氷が完全に液体に溶け込み、その姿が消え去っていく。


「自分は果たして〝人間〟なのか意思持たぬただの〝機械〟なのか。お前は常に心の奥底で自問している。このアニムスだと感じている意思はただプログラミングされた紛い物なのではないかと。使われている義体素材がシンドウ製であること、実脳年齢が23歳と明確であること、ナノマシンβとγや人工血液ネクタル・ブラッドの検出を全ての義体整備士マキナ・ドクが保証していてもだ。なぜならばお前には完全義体化前の記憶が存在していないのだからな」


 グラスについた1つの水滴がいくつもの他の水滴を巻き込みながら底へと滑り落ちていく。レイラはその動きに合わせるように、自分の腕を撫でた。


 柔らかい──だが、その奥に滲む無機質な感触が、じわりと腹の奥に沈んでいく。


「そうやって弱味につけ込んで自分の女にするわけ?」


 レイラは氷の存在を確認するかのようにグラスを振って音を鳴らし、多めに液体を口に含める。


「そんなことないさ」

「私が機械だったらどうするわけ? 失望する? それとも割り切ってセックス人形として扱う?」


 ミュリエルは笑いながらナッツを頬張る。


「乙女だな、レイラ。お前がアンドロイドでも私は変わらんさ。今さらそんなことが壁にはならん。それに私はお前が人間だと確信している」


 レイラはミュリエルの方に顔を向け、真っすぐに見つめる。ミュリエルは抱き寄せていた手をレイラのリブキャミソソールの中に入れて胸に回し、優しく弄る。


「こんなに柔らかくて温かいんだ。人間さ。それに前に寝た時のお前の鳴き声もアニムスが篭っていて美しかったさ」


 レイラは少し顔を赤らめてからミュリエルの頬をパチッとはたいた。


「惜しかったな」

「全然」


 レイラの返答に笑ったミュリエルはウォッカを口に含める。それと同時にサロンバースペース入り口の扉が開き、一瞬クラブスペースの騒ぎが入り込む。不釣り合いな空気がぶつかり、サロンバーにいる仕事仲介人フィクサーやノマドのストレスが上昇したことが感じとれる。

 そんな空気の中、がっしりとした体格の良い男が入ってくる。髪をツンツンと尖らせたブラウンカラーのスパイキーショートで、サイドは刈り上げて黒い機械部分が剥き出しになっている。男の名はカーク=アボット=シグルストン。カークはレイラとミュリエルの姿を見つけると真っすぐバーカウンターへと向かった。


「レイラ、ミュリエル(姉貴)もう来てたのか。23時って聞いてたが少し早いな。てかこっちは相変わらず辛気くせーな。もう少しクラブと似た雰囲気にしようぜ」


 カークは10時50分を示す時計を見ながら話しかける。レイラは顔を向けずにサムズアップした右手を向け、ミュリエルはカークの腹部に蹴りを入れる。2人の正反対な反応にカークは動揺する。


「何だよ」

「23時と言われたら23時に来い。10分無駄にしたぞ。クズが」

「待てよ、〝10分有益に使える〟だろ」


 ミュリエルはカークの不平を無視し、おもむろに彼のところどころ機械部分が剥き出しになったファッションを見て勝ち誇ったように呟く。


「レイラとは趣味が正反対で、そのデリカシーのないファッションは安心できるな。ロマンスも何も起こらないだろう」

「あぁ? 天と地がひっくり返ってもンなこと起きねーよ」

「殺すぞ」


 カークの言葉に苛ついたミュリエルはカークの顔面を蹴飛ばし、カークは「どっちだよ……」と困惑の表情を浮かべた。


「姉弟の戯れ合いは十分かしら? とっととシャードを渡して帰りたいんだけど」


 ミュリエルはレイラの方を見ると少し微笑んで答える。


「そうだな。ここでは何だ、個室ラウンジに行こう」

「あら? VIPしか無理なんじゃないの?」

「お前はいつでもVIPだ。そいつは違うがな」


 ミュリエルは顎でカークを指しながら冷たく言い放つ。カークは肩を竦め、レイラは軽くため息をつく。

 3人はバーカウンターから立つとそのまま奥へと進む。ほの暗いサロンバーとは不調和な真っ白な扉を通ると、ライトグリーンの照明が特徴的な廊下に出る。左に曲がって最奥にはスタッフルームがあり、女性スタッフが中心に出入りして一服している。その途中で右に曲がると両側に個室が並ぶ。扉が開いた一部屋からはワインレッドの明かりが漏れ出し、その怪しさを増長する。レイラとカークが空いた部屋に入ろうとすると、ミュリエルが2人を呼び止める。


「こっちだ」


 ミュリエルが指した部屋は最も奥に位置する孤立した部屋だ。既に扉が閉まっており、先客がいるように思われるが、ミュリエルは顎で来るように指示する。


「シャードは直接渡してやれ」


 ミュリエルはそう言ってレイラの頬にキスし、軽くペロッと舌で舐める。レイラは頬についた水分を拳で拭うと無表情のままミュリエルに中指を立てる。

 レイラとカークはお互いに微かに頷いた後、レイラが扉をノックした。返事がないまま扉が静かに横へ開く。


「おいおい、依頼人(クライアント)が直接ここへ来るなんて常識ねーのか? と言うよりあんたよくこの辺を平気な顔して歩けたな」


 部屋に先頭で入ったカークが少し呆れたように話す。カークの大きな身体を避けて後から入ったレイラが中の人物を見て名前を呟く。


「マルト=ジンカワ」


 L字型コーナーソファの中央に座るマルト=ジンカワがレイラとカークに右手を挙げて「やぁ」と軽く挨拶する。両脇には屈強な身体のボディーガードが立ち、睨みを利かせている。完全義体化されて5日前から少し若返ったマルト=ジンカワは、40代か50代の見た目で、真っ白だった髪の毛に黒が混じっている。70代から健康的になった肉体は、身に纏うダークスーツも相まって働き盛りな印象を与える。マルト=ジンカワはにこやかに手を差し出して3人に座るように促す。


「先日は世話になったね。最後の脳破壊に関しては最悪な気分だったが」

「あら、痛み()をより長く感じたいのだと思って」


 マルト=ジンカワの言葉にレイラは少し鼻で笑いながら答えた。


 ナノマシンα及びナノマシンβはヒトが何らかの要因で命の危機に晒された場合、その生命を維持しようとする機能がある。死贈メメント業においても最終的に脳破壊が死の完了となるが、その際はハッキングによって脳の機能を停止させて終了させるのが通例である。しかし、レイラは言及されなければハッキングは使わずに脳破壊を実行する。これはナノマシンの特性によって痛みをより長く味わうことを意味する。


「腹部への刺し傷で十分苦しんださ」

「その分、シャードの出来は良いから文句ないでしょ。それとも報酬を減らす?」


 レイラはそう言いながら、マルト=ジンカワが絶命するまでの2時間を記録・編集したシャードを投げて渡す。


「そんな言いがかりはしないさ。実際君の仕事は素晴らしかった」

「そう。もう帰って良いかしら? 私、アンタ嫌いなのよね」

「参考までに理由を聞いても?」


 レイラは息を吐いて一呼吸おくと、マルト=ジンカワを目を逸らさずに見ながら答え始める。


「ナイフ限定の刺突に女性限定。直接繋がっていられるとかそういった類の嗜好ね。端的に言って変態だからよ」


 マルト=ジンカワは顔を多いながらクククと含みを持たせながら笑った後に、頬杖を突きながらレイラに話し始める。


「確かに、どうせなら死をよりリアルに感じられるように、という私の変態的嗜好はあったかもしれないが、それは一部に過ぎない。こんな要求をしたのは、条件を多くつけることで中途半端な者が担当しないようにするためだ。さらに女性限定とすることでほぼ確実に君に話がいくと踏んだ」

「……話が見えないのだけれど」


 レイラの声色に僅かな困惑が混じる。マルト=ジンカワは一定のリズムを崩さずにそのまま続ける。


「レイラ=エマ=シエル。君と接触するためだ」

「何のために?」

「私も端的に述べよう。私の下で働いてはくれないかな?」


 マルト=ジンカワの言葉にカークは飲んでいた赤ワインを吹き出し、着ていた青いTシャツに溢す。

 マルト=ジンカワはシンドウ・コーポレーションの常務取締役の1人である。シンドウ社は今日こんにち、一般的となっている人工電脳や完全義体の礎を担った企業で、アスター・シティ・ステイトへの影響力は絶大だ。その影響力は政治への実質的な実権をも握っているほどである。それ故に、シンドウ社は表向きはクリーンさをアピールしてはいるものの、暗躍していることも多く、実態は闇に包まれている。

 マルト=ジンカワの下で働くということは、そんなシンドウ社の下で働くということと同義である。


「お生憎、私は経営の知識がないのよ」

「ハハハ、ごまかすのが下手だな」


 マルト=ジンカワの言葉に笑いを堪えきれなかったミュリエルは左手の甲で口元を押さえる。レイラはミュリエルを少し睨みつけた後にマルト=ジンカワの話を聞く。


「私の管理下の『シンドウ社特殊捜査部』としてスカウトしたい」

「ふざけないで。これまでシンドウ社が私たちモルスヘレナ(郊外)出身者に対してしてきた仕打ちを忘れたとは言わせないわよ」

「あぁ、だからこそ君はこの組織に興味が湧くはずだ」

「どういうことよ?」

「それは君自身で考えたまえ。それに君は断れない」


 レイラはマルト=ジンカワが言い終わらないうちにテーブルを叩いて立ち上がり、部屋を出ようとする。


「もう少し冷静な娘だと思っていたが? レイラ=エマ=シエル、いやO.W.L(オウル)



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