Ep.1-3 Death Record / 死の記録
「麗良、身体は何ともないかい?」
目の前には皺の寄った白衣を羽織ったボサボサ頭の男が、丸みのある逆三角形のフレームのメガネを押し上げながら、心配そうにこちらを見つめている。少し痩けた頬と無精髭はここ数日間あまり寝付けていないことが容易に想像できる。親しげに話しかけてくる彼が誰なのか私は知らない。私が彼に何者なのかを尋ねるよりも早く私の口が勝手に動き始めた。
「大丈夫だよ、パパ。少し眠たいくらいで何ともない」
「良かったぁ」
私に「パパ」と呼ばれたその男は私の頬を両手で愛おしそうに包み込むと、安堵のため息を何度もついた。40歳くらいだろうか? 見た目の割に子どもじみた反応を見せる彼に私は親近感が湧き、彼の頭をポンと軽く叩く。
「よし、じゃあ麗良に少し頑張ってもらいたいことがあるんだ。目を閉じてみて。頭の中で何かが見えて来ないかい?」
「やってみる」
私はそう言って目を閉じた——。
再び私が目を開けるとそこは炎の海に囲まれた、地獄のような光景だった。ついさっき見た時よりも少なくとも10歳以上は老け込んでいるお父さんは私を抱きかかえながら必死に声をかける。
「麗良、お前だけは。お前だけは! 大丈夫だ。私の研究は成功したのだから」
「お父さん……」
目を開けた私は必死にお父さんに話しかけようともがいた。手を伸ばそうとするが、身体が鉛のように動かない。瞼が重く、だんだんと視界が狭まっていく。爆発音が鳴り響き、誰のものかも分からない悲鳴が上がる中で私はひどい眠気に襲われた。
「大丈夫だ。安心してお眠り。そして生きるんだ」
「お父さん、怖いよ」
「麗良、愛してるよ」
私は再び目を閉じた——。
レイラは大きく目を見開くと、勢いよく起き上がる。滝のように汗をかき、ゼェゼェと激しく息を上げながら、天井を見上げる。夢の残滓がまだ胸の奥でくすぶっている。
「また……あの夢……」
レイラはそう呟くと、右腕で顔を拭って水を飲もうと立ち上がる。
完全義体化をしていても生来の肉体になるべく近い形で生活することが可能である。人工電脳は基本的に日常生活における記憶を元に夢を生成する。また、人工電脳がインターネットにおいて情報を収集し、特有の突飛なものまで発生させる。
しかし、レイラの見るこの夢は自身の記憶フォルダには無く、定期的にこの夢に苦しめられている。そもそも夢なのかどうかも分からず、義体メンテナンスを行う義体整備士のサラに診断してもらうことが多い。
時刻は夜6時を示す。レイラは汗でベタ付いたキャミソールを脱ぎながら着替えを持って浴室へと向かう。IF型のフリッパードアから収納されているバスタオルを取り出すと、ブラジャーとショーツを脱いでシャワーを浴び始める。
熱めのシャワーがレイラの肌を打つ。彼女のきめ細かな美しい白い肌が清潔な瑞々しさを取り戻し、汗の気持ち悪さを取り除いていく。だが、心の奥底にこびり付いたあの夢を洗い流すことはできない。
——レイラ、もうジンカワの記憶データは出来上がってるんだよな?
シャワーを浴びている最中にM B通信をしてきたカークから尋ねられる。マルト=ジンカワの一件から5日が経っている。
——とっくに
レイラがぶっきらぼうに答える。
——それなら良かった。ミュリエルから今日、アップビート地区のニコール・バー&サロンに22時に来いだってよ
シャワーから上がり、バスタオルで頭を拭きながら話を聞いていたレイラが、その手を止めてカークに応答した。
——はぁ? 明後日でしょ?
——受け取りを早めたいらしい
——ふざけないでよ。これから首なしヘドバンの電脳空間でオークションよ? シンドウの大物ってことで大トリを任されてるのに」
——知ってるよ。けどよ、〝首なしヘドバン〟とは関わり多いんだし、1番打者に持ってきてもらえよ。リードオフマンもクリーンナップと同じくらい重要だろ?
——信用に関わるのよ
——O.W.Lなんて呼び名は嫌だなんて言うくせによ。それに報酬減らされるぞ
——……とりあえず聞いてみるけど揉めたら責任取りなさいよ。首なしのM Mはそれこそメジャー・リーグなんだから
レイラは首なしヘドバンにメッセージを送ると、白いリブキャミソールの上から大ぶりなセンターベルトが備えられた、ミリタリーでモードなハイブリッドデザインであるダークグレーカラーのワイドレッグオーバーオールを着用する。レイラはオーバーオールの右肩紐を外して内側に収納する。これによってアシンメトリーなルーズ感が演出されるのだ。
——意外ね。首なしから返事きたわよ
——何て?
レイラはオーバーオールを整えながらメッセージを確認する。
——構わないそうよ。彼、機嫌でも良いのかしら
——おーし、これで万事解決だ。ニコールまでだと1時間ちょいはかかるな。21時前くらいに迎え行こうか?
——いいえ。ノアの自動運転でチンタラ行くわ。車内でM Mに繋げる
レイラはカークの提案を断るとそのまま通信を切る。連絡先から乗客運送会社を選択して車両を要求した。
レイラが玄関へ向かうとスライド式の扉が開き、彼女は外へ出た。レイラは30階建ての巨大マンション『ヘイウッドR7』の13階に居住している。ヘイウッドRシリーズは、アスター・シティ・ステイトによく見られるメガビルディングで、主に庶民や貧民が住む。
扉横の壁にはまだ19時前にも関わらず、酔っ払いが寄りかかっていて既に騒がしい。奥の部屋にはN P Dが尋ねてきており、扉をノックする音が響き渡る。レイラはため息をつきながらエレベーターに乗る。乗り合わせた男たちからジロジロと見られるのを我慢して地上へ降り立つと、既に到着していたL Fの中へと乗り込んだ。
「22時にニコール・バー&サロンに到着するようにしてくれるかしら? 私はM Mに接続しているから適当に廻ってちょうだい」
「かしこまりました。現在19時手前でございますので時間を考えると空ではなく陸の運行を推奨いたします。こちらL FをG Aに変更いたしますか? このままですと料金が割高となってしまいますが」
「このままで大丈夫よ」
レイラはそう言うと、首なしヘドバンのM Mへ一体化接続をする。ダウンロードにより情報を手元に引き寄せるのではなく、M Mのような仮想空間や他者の人工電脳などの情報源に、自らの意識が入り込むことによって情報を得ることを『ユニタス』接続と称する。
レイラのアバターは梟のペストマスクを被った黒いフードの姿をしている。この姿や圧倒的なハッキング技術とその速さを元に名付けられた〝Overpowered Whitchcraft Lightning〟の頭文字を取った〝O.W.L〟から『オウル』、『梟』、又はギリシャ神話におけるストリクス(梟の意)より『賢者』と呼ばれている。
首なしヘドバンのM M・『グリーンモンスター』はステージが中央に配され、それを高い壁が取り囲む。壁上部に客席が設置され、観客たちがステージを見守る。赤黒い霧が床を這い、天井には無数の歪んだモニターが浮かぶ。次々にノイズが走り、さらに人が増殖していく。やって来たギャラリーを歓迎するかのように球体や幾何学図形が入り乱れて影がちらつき、観客の目が不気味に光る。
レイラはオウルとして中央のステージ上に立つ。観客席のざわめきが波のように押し寄せ、足元をさらっていく。分かっていたはずなのに、一瞬、何かがひっかかる。水鏡に映った姿が、微かに揺らぐような感覚だ。
ざわめきの向こう、オウルの隣にノイズが走る。次の瞬間、空間が歪み、肉塊が叩きつけられるようにして落ちてくる。スパイクスタッズとデス・メタル系のパッチに覆われたレザージャケット。
首が、ない。
〝首なしヘドバン〟が舞台に現れた。
——本日はお集まりいただき、光栄、光栄
首なしヘドバンは両手を広げながら会場全体に適当な挨拶をする。ノイズが混じるも微かに聞こえる声は年齢を重ねた声色で、ラフな言葉遣いにも重みを感じさせる。
——久しぶりに出品してくれるオウルだが、彼女には時間がないらしい。夜行性の梟は忙しいようだ。ま、ここにいる皆んなは少なくとも夜行性だろうがね
首なしヘドバンは皮肉ともジョークとも取れる言葉を発した後、早速本題に入り始めた。
——さて、今回は皆さんご存知、シンドウ・コーポレーションの役員クラスの者の死を記録したシャードをオウルが出品する。いつも通りここでスタート金額の話し合いを彼女としてオークションを開始しよう
観客席の背後に複数のモニターが移動し、円形に並んだ。モニターには映像サンプルが流れている。
首なしヘドバンのオークションでは出品者との不正をなくすため、当日その場でサンプルを流しながらスタート金額の交渉が進められる。
——300万ミロでのスタートはどうだい?
〝ミロ〟とはアスター・シティ・ステイトで流通している通貨である。オウルは即座に反論する。
——桁が1つ足りないんじゃない? それとも、私の編集技術が低評価なのかしら? 世界共通通貨のユーロドル、レートは1ユーロドル=120ミロで開始よ
——それじゃあ、ご希望は25万ユーロドルかな?
——安い。45万ユーロドル
今日、完全義体化が実現したことで人々の『死』に対する意識が希薄となった。そこで完全義体への移行に際してリアルな死を実感するために死を届ける死贈業が発達した。
医療機関での施術では眠りにつくようにして実行されるため、死の感覚を味わうことが出来ない。そこでノマドたちが依頼を請け負って対象者を殺害、その様子を記録媒体にして贈るのである。これは国が認可した業務でC S B Iが協力する。C S B Iはその死体や周辺の収拾に充てられるため、〝清掃屋〟などと揶揄される。
これらを記録したシャードをコピーすることは本人以外は固く禁じられており、また、それらを商品として売却することも禁止されている。しかし、裏世界ではこれら死の記録をコレクションする者たちは多く存在し、裏オークションで高値で取引されている。
オウルの提示した金額に、会場がどよめく。しかし、誰もが納得していた。アスター・シティ・ステイトを牛耳る世界的大企業シンドウ・コーポレーション役員の記録映像。それをS級ハッカー・O.W.Lが自ら編集したとなると通常の相場をはるかに超えるのは当然だ。オウルが自身の価値を理解できているからこそ強気に出られるのである。
強気に出たオウルだが、実際にはわずかに喉が渇いていた。相手がどう反応するかは予測不能だ。
首なしヘドバンが「まいったね」と言いつつ、ゆっくりと首を左右に振る。首なしヘドバンは気軽な口調を装っているが、微妙に間が長い。迷っているのか、それとも別の狙いがあるのか。
——お静かに
首なしヘドバンはそう言って騒がしくなった会場を落ち着かせる。
——正直、私は構わないと思っている。しかしだ、本当にそのシャードは君が編集したのかい?
——私を疑うってわけ? 信用できないなら他所へ売るだけよ
オウルの声色に緊張が走る。
——ククク、相変わらず威勢が良いね。ここ以上に良心的なオークションがあるなら教えてほしいものだ
——修羅場なら慣れてる
オウルと首なしヘドバンのやり取りに観客は息を呑む。まさか交渉は決裂するのか、一抹の不安がよぎる中で沈黙を破ったのは首なしヘドバンだった。
——まぁいい、お互い冷静になろう。上客を失うのはこちらもごめんだからね。ただ客観的に見て、編集が君によるものかどうか分からない、という意見には一理あるだろう?
オウルは黙ったまま頷いた。
——ありがとう。証明のために手垢を付けてもらえるかな? それがなくても30万ユーロドルでスタートしよう。それがこちらの最大限の譲歩だ。
手垢とは、ネットワーク上に残る指紋のようなものである。ハッキングでは、そこから素性が割れる危険もある。だが、中にはわざと手垢を残し、自らの技量を誇示するハッカーもいる。また、通信を盗聴する際の痕跡を指す場合もあるなど、意味は多岐にわたる。
——私の編集テンプレートのオリジナルプロダクトコードを暗号化して残しておくわ。ここにいるハッカーたちなら見つけられるでしょう?
——OK。皆さんもそれでよろしいかな?
首なしヘドバンの言葉に会場は割れんばかりの大きな拍手を送り、45万ユーロドルからのオークションが開始された。
「ふぅ」
ユニタス接続を解除したレイラは安堵のため息をついて車内から景色を眺めた。取引に少し疲弊したレイラはいつの間にか眠りについた。
「レイラ=エマ=シエル様、目的地のニコール・バー&サロンに到着いたしました」
ノアの知らせに起きたレイラは窓から外に目をやる。相変わらずのネオン色の明かりが鬱陶しいアップビート地区の喧騒。目の前にはピンクの文字で〝Nicole Bar & Salon〟と書かれた派手な看板と、タバコを咥えながらバットを持って睨みを利かせる2人の女用心棒が立っている。
「ノア、帰りもよろしく」
「お時間は?」
「分からないわ。それに場所も変わるかも」
「承知いたしました。いつでもどこでもお迎えにあがれるようにしておきます」
「ありがとう。お願い」
レイラはそう言って車から降りると、入り口へと向かう。
「ここはあんたみたいな可愛いお嬢ちゃんが来るようなとこじゃないわよ」
用心棒の2人に止められたレイラは面倒くさそうに睨みつける。
「あんたら新人?」
「だったら何?」
凄んできた2人は今にもレイラに飛びかかりそうな姿勢をとる。レイラは軽く舌打ちをすると2人の人工電脳にハッキングを仕掛けようとする。
「待ちな」
店の中から、ライムグリーンの髪色で、左側をバズカットにして髪を右側に寄せた、非対称な髪型をした1人の女が現れる。女は右目の黒い眼帯に光を反射させながら用心棒の2人の肩に手を置いて宥める。
「うちの客だよ。それとルーキー、脳を焼かれたくなかったらそいつの顔くらいは覚えときな」
女の名はミュリエル=パナム=〝スティンガー〟=マーケイニーズ。レイラとカークの仕事仲介人の1人である。
「よく来たね、レイラ」
そう言うとミュリエルはレイラをハグし、頬に軽くキスして店の中へと促した。