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BORDER  作者: SELUM
Chapter 2 – From Stillness, Resonance
15/19

Ep.2-9 The Ripple Effect / 波紋の連鎖

エリオットに怒りをぶつけるジャック。

「ファンス捜査官!」


 怒気を押し殺すように、ジャックは声を張った。目の前では、何事もなかったかのように現場の指揮を執るエリオットが背を向けたまま立っている。ジャックの握りしめた拳が微かに震える。そこには強く、静かに、怒りが滲んでいた。


「こんなのでっち上げです」


 しばしの沈黙の後、エリオットは無言のまま振り返り、ジャックに視線を落とすこともなく歩き出した。彼の動きに誘導されるように、ジャックも玄関へ向かう。

 古びた木目調の自動扉が、控えめな電子音を立ててスライドする。2人は、そのまま何も言葉を交わさず、夜の外気に身を晒した。


 時刻は午後8時を回ったばかり。ジャックが潜入した頃よりも、辺りは幾分暗さを増していた。冷えた空気の中、空には雲ひとつない夜天が広がっている。まるで、全てが見透かされているかのように。

 月は、穏やかに光を放っていた。そしてそのすぐ傍らに旧地球パレオ・アースの左半球が、静かに、蒼い光を反射していた。

 それは今のジャックの内心とは対照的に、あまりにも澄みきっていて美しかった。 


「あなただって分かっているはずだ。偶然、俺がここにいてエカスベアを制圧しただと⁉︎ アルビナと一緒にこの件を暴きに来たんだ」


 腕を組んでじっと聞いていたエリオットがゆっくりと口を開く。


「お前が言っている〝件〟とは何だ?」

「レイラ=シエルが拘束されている件です。彼女がこんなに簡単に捕まるはずがない」

「あの女に拘るな?」

「拘っているのはあなたの方だ!」


 ジャックは思わず声を張り上げた。一呼吸の後、言葉を選ぶように静かに続ける。


「シエルに関する資料……情報技術部の更新よりも早くあなたは彼女がS C S I D(シンドウ社特殊捜査部)に加入することを知っていた。誰からの情報ですか? ウィリアムズ主任捜査官ですか?」


 エリオットは、黙ったままジャックを真っすぐに見据えていた。


「彼女を逮捕するため、いや、もっと大きい何かが動いているんですか? 例えばエカスベアを使ってジンカワを貶めようとしている何かが……」

「想像力が逞しいな」


 エリオットは、ジャックの言葉を遮るようにして低く言った。


「ウィリアムズ主任捜査官の主張は自然だ。エカスベアに電脳汚染の痕跡が——」

「そんなものは、なかった!」

「お前と主任捜査官とではハッキング技術に差がある。シエルのようなS級ハッカーの痕跡なら、お前には見抜けなくても無理はない」

「本気で言っているんですか?」

「それにノマドの間でしか流通していないウィルスがエカスベアに流されていたと言うじゃないか。ジンカワ氏といい、疑惑の矛先がシエルに向くのは自然だろう」

「パッケージを流したのは俺だ!」


 ジャックは額に手を当てながら、静かに言った。


「エカスベアを制圧するために利用したんです!」


 エリオットは、抑えた声で諭すように言う。


「それが事実なら、お前は違法ウィルスの所持で処罰対象になる。このまま従っていた方がお前のためにもなるだろう」


 ジャックは、その言葉に乾いた笑い声を漏らす。


「何を言われたか知らないが、あなたはシエルの逮捕にこの状況を利用したんでしょう? 自分では彼女を捕えるための証拠を掴む技量がないから。違いますか?」


 エリオットは下唇を噛みながら何も答えようとしない。


「それが法治国家のやることですか? こんなの、ただの独裁だ。彼女を捕らえるなら、きちんと証拠を集めるべきです。彼女は、都市国家の法律に従って、ノマドとして生きてきただけなんだ」


——この世界は頭が動いているか?


 首なしヘドバン(マルト=ジンカワ)の頭部のない姿と言葉が脳裏に浮かぶ。


「正義とは何ですか? エリオット、俺はあなたの愚直にも真っすぐな姿勢を尊敬していたんです。俺に……それが間違っていなかったと、正しいんだと思わせてください」


 しばしの沈黙の後、エリオットは低く掠れた声で呟いた。


「大人になれ、ジャック」

「目を瞑ることが大人になるってことですか? エリオット、あなたはそれで……本当に納得しているんですか?」

「我々は友人ではない。名で呼ぶな。敬意を持って、ファミリーネームに〝捜査官〟を付けろ」


 話題を強引に切り替えたエリオットの態度に、ジャックは大きくため息をついた。


「ウィリアムズ主任捜査官には〝エリオット〟と呼ばれていましたよ。結局、あなたは立場が大事なんだ」


 その瞬間、エリオットの顔が歪む。次の刹那、ジャックの胸ぐらを掴み、背後の壁へと強く押しつけた。


「いい加減にしろ、小僧が。お前は俺の車を使ってすぐに帰って報告書を書け」


 苛立ちを押し殺した声音のまま、エリオットはシャードを取り出し、ジャックの顔の前に突きつける。


「いいか、ここに今回の概要が書いてある。先ほどの件を最後の項目に付け足して提出しろ。1時間以内だ。アカデミー時代を思い出してたっぷりと詳細に書き上げろ。いいな? 1時間だ」


 怒気のこもった声を残し、エリオットはシャードを乱暴にジャックへ渡した。そしてそのまま踵を返してジンカワ邸の中へと戻っていった。ジャックは、無言のままその背中を見送る。目には深い失望の色が宿っていた。そして静かに、頭を左右に振ると、夜の空気の中へと歩き出した。


 C S B I(都市国家捜査局)専用車両に辿り着くと、ジャックは受け取った認証コードでロックを解除する。運転席に乗り込み、左耳のスロットにシャードを差し込んでデータを読み込んだ。


(これは……)


 シャードに記録されていたのは、レイラ=エマ=シエルに関する情報だった。彼女が活動を始めてからの3年間が詳細に記録されている。政府認可の死贈メメント業を始め、輸送業務、対サイバー攻撃支援、護衛任務……そのどれもが精緻で、手際には特筆すべきものがあった。

 その記録の合間には、エリオットによる検証報告が添えられていた。そこには、手垢は確認されていないにも関わらず、いくつかの事件において大規模な違法ハッキングの関与を疑う所見が記されている。


(エリオットは……なぜこれを俺に?)


 ジャックはHUDをスクロールしていき、最後のページに辿り着く。そこには、レイラ=エマ=シエルに対する捜査権限を示すIDコードと、暗号化されたバーコードが表示されていた。そして1時間後の21時から拘置所を監視する担当者の名前がアルヴァ=イーネン=ハフトであることを見つける。


(エリオット。シエルに会えと言っているのか……?)


 ジャックはすぐにアルヴァに暗号通信でメッセージを送る。


——アルヴァ、お前、21時から拘置所の監視担当だろ?


 間髪入れずにアルヴァからの返信が送られる。


——何でそんな俺の雑用仕事知ってんだよ? てか暗号通信だなんて何かあったのか?

——シエルと面会する。その時間帯の監視記録を消してほしい。

——は? 面会時間は19時で終わりだぞ。

——緊急時を除いて、な。俺はレイラ=シエルの捜査権限を持ってる

——……どうやって入手したかは聞かないでやる。つまり、お前が彼女と会ったって記録をなかったことにすりゃいいんだな?

——あぁ

——分かったよ、相棒。だが、時間がいる。まぁ1時間もあればどうにかなるけど

——恩に着るよ


 ジャックは通信を切ると、シートベルトを締めてハンドルに手を添える。そしてそのまま、ゆっくりと顔を埋めた。目を閉じるような仕草だった。何かを振り切るようでもあり、これから向かう先を見据えるようでもあった。


——答えを欲しがるなぁ、新人


 ユニタス(一体化)接続での首なしヘドバン(ジンカワ)の言葉が、頭の中に蘇る。


(ジンカワとシエルはどうしてエカスベアを泳がせるような真似を……?)


 問いただしても、レイラから返ってくるのはきっと同じような〝答えない答え〟だろう、とジャックは思う。


——流れの中に石を投げても、水面は答えない。それでも波紋がどう広がるかは見ることができる


 また一つ、首なしヘドバンの抽象的な言葉が浮かぶ。


(ネットの連中はどうしてこうも抽象的な奴が多いんだ……。いいさ、シエルに会うまでに、自分なりに調べてやる)


 ジャックはHUDにレイラの住所を表示させる。


「ノックス市アロアステル地区1247ルーファス・ロード。ここに向かうか」


 エンジンをかけ、目的地を設定する。次の波紋を、自分の手で起こすために。


 エンジンが低く息を吐き、車体は無音に近い滑走音を残してアルバス地域を後にした。そのまま、夜の幹線道路へと静かに溶け込んでいく。

 街路を照らす竹灯の列が、次第にネオンとホログラムの光に取って代わられていく。伝統建築が姿を消し、鉄骨と複合樹脂の外装を持つ簡易ビルが並び始めると、街はゆっくりとその肌を変えていった。高架へ入ると、車窓から見える都市の表情が一変する。


 周囲の建造物はやや粗野になり、広告ホログラムが空中に漂い始める。路肩にはAI清掃車と浮遊式の荷物配送ユニットが行き交い、メンテナンスの行き届かない区画では、それらが投棄されたデバイスとすれ違っていた。

 他にも配信中のライブホログラム、作業中の浮遊ユニット。それらに紛れて、ノマドらしき義体修理屋の路上スタンドや、AI犬を連れたホームレスも視界に入り込んでくる。


 ノックス市:アロアステル地区


 ディスプレイに表示された現在地の文字と、視界の奥にそびえる巨大な影が一致した。

 『ヘイウッドR7』はアスター・シティ・ステイトでも屈指の収容規模を持つメガビルディングだ。遠目にも、その建築が〝機能〟のためだけに設計されたものであることは明らかだった。無骨で、無慈悲で、そして静かに疲弊している。


 最下層のスロープ前に車を停め、ジャックは短く息をつく。


 高解像度カメラの視界に、建物の一部が拡大表示される。壁面の耐衝撃装甲には古い塗装が残っており、ところどころで素地が剥き出しになっている。照明は明滅し、足元には故障した配線ドローンが蹲っていた。


 住民の多くは庶民か、あるいは都市の制度に見放された者たちだ。ノマドも、この巨大な集合体の中に潜り込んで生活している。レイラ=エマ=シエルの生活拠点も、その一角にある。


「13階か」


 ジャックはそう小さく呟くと、車を降りてヘイウッドR7のエレベーターに乗り込んだ。『13』と書かれたタッチパネルに触れて上へと向かう。

 エレベーター内には無音のBGMが流れていた。古びたスピーカーから聞こえる電子ピアノの旋律は、メンテナンスの不備か時折ノイズを混じらせる。ジャックは無言のまま、数値の変わっていくフロア表示を見つめていた。


 13階。タッチ式の表示灯が沈んだ音を立てて止まり、扉が開く。


 廊下は静かだった。だがそれは、整備された無音ではなく、生活の気配が減衰した果ての沈黙だった。古いモジュール型の床材、壁面に焼き付いた何かの染み。各戸の扉の横には、汎用ID照合機と破損したアクセスカメラがぶら下がっている。


 1340号室——レイラ=エマ=シエルの居室だ。拘置所に勾留されている被疑者とあって、警備ロボットや警備アンドロイドが巡回しており、異様な空気が漂っている。

 ジャックは捜査権限でそれらの照合をパスし、扉の前に立った。扉は彼女のように無駄がなく、静かだった。几帳面な性格なのか、番号プレートもアクセスパネルも他の部屋とは比べ物にならないほど清潔に保たれている。


 既に扉のアクセス権はC S B I(都市国家捜査局)によって変更されており、レイラ=シエル捜査権限があればスキャンもなくすぐに開けられる。


 内部には冷えた空気が漂う。照明は入っていないが、義体の視覚補正が室内を鮮明に映し出す。無機質な空間。装飾はほとんどなく、機能性と清潔さだけが支配している。

 壁際には衣類収納用の折り畳みユニットが一つ。中央には簡易な作業デスクと情報端末が置かれている。キッチンエリアには綺麗に料理道具が揃えられているが、使われている痕跡がない。中央奥には大きめのテレビモニターがあり、円形ソファが設置されていた。


「生活感が……ない」


 ジャックがそう言葉を漏らした瞬間、寝室側の扉の方から話しかけられる。


「女の部屋に入っての第一声、そりゃねーだろ」


 190センチほどの体格の良い男が立っている。サイドの黒い機械部分が剥き出しになって、ブラウンカラーのスパイキーショートが特徴的だ。


「誰だ」


 ジャックがWarden(ハンドガン)を構えると、男は立ったまま笑った。次の瞬間、ジャックの視界にノイズが走り、後頭部に銃口が向けられていた。


(一瞬で俺の視界をハックしたのか⁉︎)


 ジャックが男の手際の良さに驚いていると、男は笑いながら銃口を離す。


「ハハハ、見た目で肉団子だと思ったんだろ? 俺、意外と電子戦得意なんだよ。エカスベアみたいな前時代的な雑魚と同じにすんなよ」


 男はテーブルの上に腰掛けると名前を告げる。


「カーク=シグルストンだ」

「カーク=アボット=シグルストン。シエルとよく組んでいるノマドだな。指名手配されているはずだが」

「そんな簡単に俺は捕まんないの」


 カークはそう言うと暗号バーコードをジャックに表示する。


「これは?」

「ここに入り込めたご褒美ってやつだな。お前が来たらプレゼントしてやれってお姫様から」


 そう言ってカークは、寝室とは別の扉を親指で指し示した。


 室内には冷たい青のラインライトが巡らされ、壁には複数のセキュリティ端末、量子プロセッサ型の解析ユニット、プロジェクションマッピング可能な壁面が配備されている。他にも情報処理端末や古いモデルの電脳補助デバイスなどが几帳面に配置されていた。

 反対側の壁際には無駄のないデザインのハイバックチェアと接続フレーム。ユニタス(一体化)接続用の構造だ。


 ジャックは中央の3つのモニターと一体になっているデスクトップ端末に目を移した。カークを見ると小さく頷く。


——認証コード、確認


 すぐに端末が起動し、自動的に『info_JLS』というファイルに繋がれた。


「何だ、これは……」


 そこには自分に関する経歴や性格を分析した大量の資料が表示された。そしてSCSIDという文字が記されている。


「奴ら……まさか……俺を?」


 さらに、名前のないもう一つのフォルダを開く。中には『Memento_template』という名称のファイルがある。


死贈メメント業の記憶映像編集用のテンプレートか……なぜ、こんなものが?)


 ファイル内では『FL049W311_OUU7』というコードが表示され、専用の編集UIが立ち上がり始める。

 O.W.L(オウル)は、死贈メメント業における記憶映像編集のテンプレートを市場に提供している。『FL』はその識別記号だ。


(OUU7……? 初めて見る。しかも、一般に出回ってるテンプレートとはUIが違う……)


 ジャックは『OUU7』に関する情報はないか、C S B I(都市国家捜査局)内で共有されているO.W.L(オウル)関連資料を検索し、やがて一つの記述に目を留める。


O.W.L(オウル)本人によって編集された記憶映像は、真贋証明のため、オリジナルプロダクトコードが埋め込まれる。——それが、OUU7)


 ジャックは思わず呟いた。


「レイラ=エマ=シエルは……O.W.L(オウル)




レイラがO.W.Lであることを知ったジャック。次回、レイラとの面会で何を語るのか?

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