Ep.2-7 Ghost Protocol / 幽影の作法
イェンス=エカスベアと対峙するジャック……!
圧倒的義体差の前にどうする⁉︎
「こうした場面ではハンドガンよりも近接戦闘に切り替えるべきだ。空気の僅かな捩れを捉えたのは優秀だがな」
姿を現したイェンス=ドレー=エカスベアが、打撃で吹き飛ばされたジャックに向けて告げた。
かつての坊主頭は、サイドとバックを刈り込んだクロップスタイルへと変わっていた。前髪を下ろし、顔立ちは30代前半に見える。2081年生まれ、β年齢64歳の彼は、今や義体によってその年齢を覆い隠している。
脂肪が削ぎ落とされた頬骨が浮かび、鍛え抜かれた筋肉が肩から腕にかけて盛り上がっている。失踪から1ヶ月、彼はニューリンク社の手によって完全義体をさらに改造され、α年齢の最適化を受けたのだった。
「熱光学迷彩か」
エカスベアは唇の片方を引き上げて不敵に笑う。ジャックはエカスベアの隣で倒れているアルビナを見て、微かに肩が動いているのを確認する。
(ナノマシンβの特性……命の危機下では、生命維持に転じる。それが働いたか。即死はしていない。だが、時間がない……!)
ジャックは腹部を右手で押さえ、左手を壁について支えながら身体を起こした。後ろ目にヒビが入った壁を見て、その義体の強度に驚く。
(この程度で済んだのは運が良かった。シンドウ社以外は軍用義体を取り扱っていないはずだが……。どこの企業も秘密裏に扱っているということか。人工血液漏洩事件が引き金だろうな)
倒れたアルビナの隣に立っていたはずのエカスベアの姿が、いつの間にか消えていた。瞬間、鋭い衝撃が肩をかすめ、ジャックの身体が横へと弾き飛ばされる。
(集中しろ……! 一瞬の気の緩みが命取りだ!)
エカスベアの動きは滑らかだった。義体の機動制御が、完全に重力と質量を欺いている。足音も、息遣いも、気配すら感知できない。元来の得意戦術『シャドウ・アサルト』と熱光学迷彩。この組み合わせは、あまりにも相性が良い。
思考を巡らせる暇もなく再びエカスベアの打撃が飛んできた。足払いのような衝撃が右脚をさらい、ジャックはバランスを失う。勘で拳を振るも、空振りに終わり、その手首を逆手に取られて床に叩きつけられた。
上から拳が振り下ろされると直感したジャックは反射的に横へ回転する。振り下ろされた拳は床に命中し、鈍い音とともに小さな穴が開いた。ジャックは倒れていた方向へと、咄嗟に近くの椅子を蹴り飛ばす。
椅子は空中で一瞬静止した後、重力に引かれるようにして廊下の奥へと激突した。
再び姿を現したエカスベアが、右肩を軽く回す。殴られた床からは細かい粉塵が舞い上がり、薄く差し込む光を反射していた。
(防戦一方だ……! このままだと嬲り殺される)
ジャックはRookを腰のホルスターから引き抜き、右手に持って構える。エカスベアは武器を持ったジャックを見てもなお、歯を見せて笑った。
(こいつ……! 武器を使わずに遊んでやがる! どうする⁉︎ 熱光学迷彩相手なら水か?)
ジャックはエカスベアから視線を逸らさずに、天井を横目に捉える。リビング中央付近にあるスプリンクラーの位置を確認した。
(Wardenは向こうに吹き飛ばされた。Rookを投げて反応させるか? いや、俺と奴との義体の性能差、Rookを手放しては決定打がなくなってしまう……!)
ジャックはもう一度、床の粉塵に目をやる。空気中に微粒子があると、それに当たる光が拡散・散乱する。それによって熱光学迷彩を看破できるか考える。
(いや、それだと俺は奴の攻撃を避け続け、且つ壁などに直撃させる必要がある。そんなギャンブル、いくら命があっても足りない……!)
あらゆる手段を考えているのに、最適解が見つからない。ジャックは視線を移すと、空間の僅かな〝揺れ〟に気付いた。
(……今の……光か? 空気か?)
ジャックは顔面を殴られ、血の混じった唾を吐き出した。壁を背にしてRookを前方に振り回し、エカスベアが簡単に攻撃できないように時間を稼ぐ。ジャックは殴られた頬を左手で触れ、異質な熱を感じとる。
(まさか、冷却が追いついてない……?)
ジャックの脳裏に、ある仮説が立ち上がる。
(義体の熱管理と、迷彩処理の演算負荷……もし、あいつがまだ完全義体、いや軍用義体の機能に慣れていないとしたら?)
エカスベアが熱光学迷彩を解除して姿を見せる。
(定期的に熱光学迷彩を解除するのは、単なる優位の誇示じゃない。……あれは、リセットしてるんだ)
迷彩による視覚投影と義体の高出力運動。それらを同時に行えば、演算系と冷却系に過剰な負荷がかかる。処理の最適化が出来ていなければ、迷彩制御は乱れ、熱排出も乱れてしまう。それが周囲の空気を歪め、その姿が徐々に露わになる。
(武器を使わないのもこれが理由だ。奴は遊んでるように見せかけているだけで武器を使えないんだ)
熱光学迷彩発動時に武器を使用する場合、熱光学迷彩とリンクできる『熱光学迷彩武器システム』を使うことになる。
その中核をなすのが、〝ナノフォトン層〟と呼ばれる特殊素材だ。ナノレベルで光の屈折や反射率を制御するこの層は、使用者の姿と同様に『武器自体を背景へと溶け込ませる機能』を持つ。
ナノフォトン層が内蔵されたC L Sは、使用者の電脳と接続された後に演算指示に従って動作し、迷彩状態となる。つまりこの時、電脳内では義体とC L Sの演算処理を行うことになり、負担が増える。
「どうした? 見せないのか? さっきの透明な得意技」
ジャックは血を滲ませた口元で、挑発的な笑みを浮かべながらエカスベアに告げる。
「お前、その義体をまだ使いこなせてないんだろ」
エカスベアの足が止まった。一瞬だけ、表情の筋肉が微かに動く。迷彩は解除されたまま再展開をしない。エカスベアは黙ったまま動かない。しかし、ジャックはエカスベアの眉がピクリと動いたのを見逃さなかった。
「図星だろ? あんたは電子戦のエキスパートじゃない。この1ヶ月と少しの間に軍用義体に完全義体化、そして熱光学迷彩を搭載したんだろうが、演算処理がまだ効率化できてないんだろ? それに加えて長年、生身でやってきたんだ。時間もかかるはずさ」
ジャックは右手に持ったRookを数回転させた後に先端をエカスベアに向ける。
「恥じるなよ」
最後のジャックの言葉に舌打ちをしたエカスベアは、熱光学迷彩を展開して消える。
(よし……! 来い!)
ジャックは鳩尾に激しい痛みを感じる。気付いた時にはキッチンの方まで吹き飛ばされ、背中を強打して床に崩れ落ちていた。
頭がだらんと脱力したジャックにエカスベアは右手の拳を握ったまま足早に近付いていく。左手でジャックの顔面を掴み軽々と持ち上げ、勝ち誇ったように笑う。
エカスベアが右手を振りかざした瞬間、ジャックの右手首からL L端子が延びてエカスベアの頸椎のソケットに接続される。ジャックの左手にはBurnerが握りしめられており、左手首のL L端子が繋がれていた。
「焦んなよ」
ジャックはそう言うとエカスベアの人工電脳に侵入した。
(有線接続して奴の視界をリアルタイムに俺と共有するように仕掛ける……!)
一般的に義体有線接続は、相手に同意されている状態、又は制圧状態で行われる。そうでなければ即座に抵抗信号を出すか、接続自体を遮断してしまえば簡単に対応できてしまうからだ。
そこでジャックは、イン・アウト接続を利用してO.W.Lパッケージをエカスベアの人工電脳にあえて送り込んだ。それによって義体有線接続が検知されるまでの時間を稼いだのだ。
無論、パッケージはGR57のA i Sを突破するためのものであって、エカスベアのA i Sを破るものではない。しかし、外部から何かしらのウィルスが侵入した場合、A i Sが自動でその処理に向かう。
その遅延を利用してエカスベアの人工電脳が義体有線接続に反応するのを遅らせたのである。
(これで奴が熱光学迷彩を使っても共有された視界から場所を割り出せる!)
ジャックはエカスベアの脇腹に蹴りを見舞ってバランスを崩させる。そのままジャックは拘束から免れると距離をとった。
「……ッ」
ジャックは人工電脳に走った鋭いノイズに少し顔を歪め、頭を押さえた。一方のエカスベアも頸椎にあるL Lソケットの辺りを右手で押さえながら息を切らせている。
(くそ、俺にも負荷が大きいな……)
ジャックはRookを拾って静かに構える。
「貴様……俺に何をした」
エカスベアの顔には怒りが見てとれる。拳を握って拡げる運動を繰り返して自身の義体動作に問題がないことを確認する。
「次で終わらせてやる」
そう言うとエカスベアは熱光学迷彩を発動して空間に紛れる。
静寂が戻った。
視界の左隅に、複数の重なったインターフェースが走る。ジャックは今、〝もう1つの視界〟を持っている。
(今……奴の見ている世界が、俺にも来てる……)
エカスベアの視界がUIとして投影される。背景が微かに揺れ、ノイズが走る。だが、位置は分かる。ジャックを背後から狙うその場所が、明確に把握できる。
(右、3時方向……! 踏み込んでくる! ギリギリまで引き付けろ!)
ジャックは息を止めて、全神経を集中させる。すぐ背後で空気が割れる。
(……今だ!)
ジャックは体勢を崩したように見せかけて、振り向きざまに最大出力のRookを振るった。
振り下ろされたRookが、空間を裂くように閃いた。次の瞬間、〝何か〟が強く跳ねる。
爆ぜた衝撃が空気を震わせ、火花の閃光が走る。それは輪郭を縁取るように拡がり、隠されていた身体の形状を暴き出した。
義体がよろめき、床を滑るように転がっていく。
焼け焦げた空気の中で、迷彩の膜が剥がれるようにしてイェンス=ドレー=エカスベアの姿が露出した。
電撃の余韻が空間に残っている。ジャックは静かに一歩踏み出し、倒れた義体に近付いた。その様子を見ていたエカスベアは、床に手をついたまま身を起こそうとする。だが、膝が震えている。電撃の痺れが、関節駆動を妨げているのだ。
「クソ! この俺がこんな若造に……」
何とか身体を動かそうともがくエカスベアにジャックはもう一度Rookを押し当てて動きを完全に止める。
「動くな」
ジャックはそう言うと、エカスベアの頸椎に電脳封鎖カラーを取り付け、後ろ手に手錠をかけて拘束した。
頸椎に装着されたカラーが自動的にロック音を鳴らし、封鎖信号が人工電脳の演算領域に流れ込む。数秒後、外部通信が遮断され、義体の制御が完了したことを示す赤いフレームが、義体の目に浮かんだ。エカスベアの表情が一瞬だけ歪んだ。
「ちょっと待ってろ」
そう言ってエカスベアの顎先を蹴り上げるようにして無力化する。息の上がったジャックは呼吸を整える間もなくリビングの端、壁際に倒れているアルビナの元へと駆け寄った。背中に深く刺し込まれた傷からは、すでに多くの人工血液が失われている。抱き起こすと、彼女の口から微かに息が漏れた。
「……見てたわ、全部……あんた、やるじゃない」
その声は弱々しかったが、どこか安堵にも似た響きを帯びていた。
「喋るな。……止血を」
ジャックは即座にナノシールを取り出すが、出血部位は服の内側、M C付近を貫く位置にあった。ナノシールでは止まらない。臓器自体が破壊されている。
「……もう、手遅れよ。自分で分かる……から」
彼女の左手が静かに動き、袖口からL L端子がスライドする。ジャックは躊躇いながら、頸椎のL Lソケットに繋げる。
——記憶フォルダ共有中
接続の感触と共に、UIに転送通知が浮かぶ。
「イェンス=エカスベアのあの義体……ニューリンク製のものだった……」
アルビナは顔を僅かに傾けて、マルト=ジンカワの方を見る。ジンカワは既に意識を取り戻し、壁際にもたれかかっている。
「この一件、何か裏があるわ……」
数回、咳をして血を吐いた後にアルビナは続ける。
「この後、すぐにニューリンク社特殊捜査部が来て私のM Bデータを押収するはず……私の記憶フォルダを役立てて……お願い。あなたなら……」
微笑ともため息ともつかない声を最後に、彼女の手が力を失う。転送完了の通知が表示されたのと同時に、アルビナの心拍が静かに途絶えた。
「アルビナ……すまない……」
ジャックはそう言うと、アルビナの瞼を閉じて優しく床に横たわらせた。
──救えなかった。これだけ近くにいたのに、何も出来なかった。ほんの一瞬、胸の奥を締め付けるような痛みが走る。
だが、それに溺れている時間はない。ジャックは頭を軽く振るとすぐに思考する。
(ファンスの様子を考えるとC S B Iも信用できない。俺の記憶やアルビナの記憶フォルダを提出しても握りつぶされるだけだ。となると……)
ジャックはマルト=ジンカワの方に目を向けるとゆっくりと近付き、膝をつきながら話しかける。
「あんたには聞きたいことが山ほどある。だが、時間がない。簡潔に答えてくれ」
マルト=ジンカワはジャックの瞳を真っすぐに見た後に口元を緩めて頷く。ジャックはジンカワの余裕に不気味さを感じる。しかし、彼が元軍人であることで納得し、時間を無駄にしないように話を続ける。
「既にあんたはエカスベアに殺され、奴がなりすましていると考えていた。一体どういうことだ⁉︎」
ジンカワはクククと笑い、呼吸を整えながら答える。
「新人が早とちりをしたようだな」
ジンカワの態度にどこかレイラの面影を感じながらジャックは質問を続ける。
「……イェンス=エカスベアはどうしてお前を狙う⁉︎ A S C A F時代に何があった⁉︎」
ジンカワは唇の端に付着した人工血液を拭うとゆっくりと口を開く。
「良いだろう。オペレーション・『氷下落下作戦』について教えてやる」
ジンカワは首筋の下に手を伸ばし、頸椎下部にあるユニタス接続端子を露出させた。
「言葉で語るには限界がある。実際に見せた方が早い」
ジャックもそれに同意して静かに頷き、頸椎のL Lソケットに接続した。
微かな振動がジャックの神経に伝わり、視界の端に同期インジケーターが走る。それは記憶の中の映像なのか、あるいはジンカワ自身が見た光景なのか——。
ジンカワとユニタス接続をしたジャック。
そこで目撃した『氷下落下作戦』の真実とは……⁉︎




