Ep.2-6 Shadows Over Silence / 静寂の上に、影が落ちる
遂にジンカワ邸に到着したジャックとアルビナ。
2人を待ち受けるのは……⁉︎
メガロアーバン市:ソムニウムヴェレ地区『アルバス地域』
シンドウ・コーポレーション本社を出発しておよそ1時間。時刻は19時を示す。ソムニウムヴェレの夜は早く、空はすでに群青に染まりかけている。ジャックとアルビナの乗る車は、アルバス地域の外れに辿り着いていた。
アルバス地域は、旧地球の複数の文化が交差する特異な街だ。赤レンガ造りの家々、白い漆喰で縁取られた装飾建築が混ざり合いながらも、不思議と調和を保っている。なかでも、シンドウ社の発祥地・日本を源流とする和風建築の影響が最も色濃く残っており、竹灯籠や和紙の意匠、木組みの屋根が地域の〝顔〟を形作っている。
この街は、『和』を基調としながら、数多の伝統を受け入れてきた。そのあり方は、まるで『融合する歴史の記憶』のようだった。
車から降りたジャックとアルビナは竹灯りの並木道を見つめる。
(シンドウ本社からも、富裕層が多く住む地域からも、ずいぶん離れてるな。……名前的に、ジンカワも日本がルーツか。こういう閑静な場所を好む遺伝子でも、刻まれてるってことかな)
ジャックがそう考えていると、目の前の無機質な建築物を観察する。
漆黒の外壁は光を吸収するように鈍く沈み、窓らしきものは一つも見当たらない。外壁は黒合金製のパネルで構成され、無骨な直方体の塊が、ただそこに置かれているだけのようだった。段差も装飾もない3階建ての構造は、まるで旧時代の機能的軍施設を思わせた。
だが、ジャックの目はすぐに細部の異物に向けられた。軒下の一部には、和紙を重ねた意匠の雨除けが取り付けられている。庭木の隅には、小ぶりな石灯籠風のセンサー塔が竹灯りに紛れて佇む。よく見れば、建物の構造も一部、和風建築の〝間〟の取り方に影響を受けているようだった。
一方のアルビナはM Oのズームを調節してジンカワ邸の周囲を警戒する警備ロボットを見ていた。
「意外ね……」
アルビナの小さな言葉にジャックが振り向く。
「どうした?」
「5体の警備ロボット、全部旧式のGR57シリーズなのよ。もちろん高性能で人気のモデルだけど……」
「12年前とかのやつだよな?」
「そう。けど4年前を境にあまり使われなくなった」
「O.W.Lか」
アルビナは小さく頷いた。
O.W.Lは『人工血液漏洩事件』以外にもシンドウ社にいくつかの打撃を与えている。その一つがシンドウ社製警備ロボット『SND–GR57』の独自A i Sを完全に解析し、侵入ルートをパッケージ化してノマドに流通させた事件だ。
GR57には侵入したハッカーを撃退するためのO E Sは搭載されていなかったため、突破されるとなすすべなく多くの被害が出た。
「見たところGR57の改造はされていないみたいね」
「何でまだあんな旧式のものを?」
「ジンカワって常務になったの最近でしょ? 言っても新型は高価だし、役員クラスにならないと支給もされないはずよ」
「つまり、まだ更新されてなかったってことか。運が良かったな」
「そうね」
アルビナはそう言うと、『Burner』と呼ばれる使い捨て携帯端末機2台を取り出した。ノマドの文化圏ではBurnerを複数所持し、セキュリティ重視のやり取りや現場作業では一度きりで破棄する。
「それ、ノマドがよく使うNQ7じゃないか」
「ノマドにもよく取材するって言ったでしょ? 彼らの慣習にも合わせなきゃ。下手に機能が良いやつだと狙われちゃう」
「なるほどな」
電脳によるネット接続は便利な反面、常に生体IDや個体認証と結びついている。そのため、外部からの不正アクセスに対して無防備になりやすく、匿名性も著しく損なわれる。そこで秘密裏にネットを使う際には使い捨て携帯端末機が使用されることがある。とは言え、電脳化が当たり前となった今日、携帯端末の物価は下がっており、比較的安価に手に入れることが可能である。
「端末1台目でGR57のルーチンを割る。あなたに解析してもらって、もう1台で邸内のアクセスポイントにアクセス。O.W.Lのパッケージを走らせるわ」
「お前、持ってるのか?」
アルビナはBurner1台を操作しながら答える。
「えぇ。前に、実際の機能を検証する特集記事を書いたことがあって。その時に余分に手に入れてたの。それからちょこちょこニューリンク・ジャーナルに寄稿するようになったし、O.W.Lにはある意味感謝ね」
ジャックは軽くため息をついた後にアルビナからBurnerを受け取り、自身の左手首にあるL L端子と接続した。
「自分で解析はしないんだな」
「別に私はハッカーじゃないもの」
「俺だって別に電子戦は専門じゃない」
「でも私よりはできるわ」
ジャックは「そうだな」と言いながらGR57の動作ログを解析する。四脚型のロボットが敷地を時計回りに巡回している。だが、一定時間ごとに動きが緩慢になり、内壁側へ引き返すパターンがある。
「ここだな。南東の角。周期は……約47秒。戻りが15秒遅れてる。ちょうどアクセスポイントの周辺だ。屋上の中継点が旧式で、そこを経由した信号の処理にタイムラグが出ているんだな」
端末からGR57の動作ログを人工電脳にインストールしながらジャックは話す。さらに物理シミュレーションを行って邸宅の南東側の裏手、物置や機械室の外壁あたりに設置されたアクセスポイントへの道筋を計算する。
「俺が直接O.W.Lのパッケージを注入してGR57の動きを止めてくる。お前はここで待ってろ」
「無線で出来ないの? 電窓リンクさせて外部ネットワークと繋げるやつ」
「言っただろ? 俺は電子戦専門じゃない。それが可能なのはA級ハッカー以上だよ」
電窓とは外部ネットワークと機器を繋ぐための接続点である。これをリンクさせることで、隔絶されたローカルネットワークを無理やり外部ネットに接続し、そこから機器への遠隔アクセスや侵入を可能にする。
だがこの技術は極めて高度で、成功させるには、電脳処理・ネット遮断の解除・即時応答といった複数の操作を同時にこなす必要がある。A級以上のハッカーでなければ到底扱えない、電子戦の最上級技術の一つだ。
アルビナは一瞬だけ言い返す素振りを見せたが、すぐに諦めたように肩を竦める。
「分かった。失敗しないでよ」
ジャックは微かに笑うと腰のホルスターに装備されたC S B I標準ハンドガンCSBI–M04〝Warden〟と電撃警棒CSBI–06S〝Rook〟を確認し、呼吸を整える。O.W.LのパッケージがインストールされているBurnerを左手首のL L端子と繋げてそのままジンカワ邸へと向かう。
夜の空気は冷たく乾いており、竹灯籠のほのかな明かりが小さな波紋のように地面を照らしている。ジャックは外壁沿いを低く歩き、GR57の巡回タイミングに合わせてその動きに身を溶かしていった。
人工電脳には、機体の位置情報がリアルタイムでマッピングされている。
次の死角——南東角への接近ウィンドウは、あと10秒。
物理アクセスポイントは機械室脇の配線ユニットに取り付けられた旧式のものだった。目視で確認できるほど外装の塗装は剥げ、ケーブルの一部は交換されないまま露出している。
(落ち着け……)
ジャックは膝をついてしゃがみ込み、右手のL L端子をアクセスポイントに接続する。左手のL L端子に接続されたBurnerからO.W.Lパッケージの信号が自分を媒介にして流れていくような感覚に陥る。
これはイン・アウト方式と呼ばれるもので、両手のL L端子を通じて、情報の入口と出口をジャック自身の体内で完結させる手法だ。レイテンシ制御と信号の安定化、演算負荷の分散などの目的で使われる。
本来は専用の中継器やデバイスが担う処理を、義体の神経系で強引に代替するもので、電脳戦の現場では〝力技〟として知られている。
(よし、A i Sは突破したな。あとはGR57の動きを停止させる命令をするだけだ)
ジャックは人工電脳からGR57への待機命令を実施する。すると、GR57が次々とその場で動きを止めて脚部をゆっくりと折りたたむ〝待機状態〟に入った。赤色センサーが明滅し、監視動作を一時停止する信号に変わっていく。
ジャックとアルビナを警戒対象から外す命令を下した後に、L L端子を抜き取ると、ジャックはアルビナに合図を送った。待機していたアルビナが、小さく頷いて手を上げ、ジンカワ邸の庭までやって来た。
「全部止まったみたいね。いい仕事だったわ」
そう言ってアルビナはジャックの背中を軽く叩く。ジャックは肩越しに手を振り、2人を警戒することなく再び周囲を動き始めたGR57を眺める。
「アクセスポイントから玄関のセキュリティーも外しておいた。だが、邸内のセキュリティーはまた別にアクセスポイントがあるみたいだ」
「裏の通用扉からの方が良さそうね」
ジャックは頷くと、扉の横の壁に張り付く。Wardenを取り出してアルビナに告げる。
「俺から行く。お前も護身用のM02、構えとけ」
アルビナは護身用ハンドガンを取り出し、息を整えてからジャックに合図を送る。ジャックは確認すると静かに扉に手をかざす。音も立てずに自動で扉がスライドして開かれる。
室内からの風が僅かに外気を押し返す。ジャックは足音を殺しながら、照明の落ちた廊下へと一歩踏み出した。無機質な外観と同様、邸内のインテリアも簡素で機能的だった。
(照明が落ちてる?)
黒を基調とした金属フレームの柱、白のLED間接照明が走る天井。だがその一方で、廊下の先には和紙を模したスライドパネル、玄関脇には鉄製の傘立てが置かれている。現代建築と伝統意匠が、空間の中で不自然なく並んでいた。
「静か過ぎるわ」
アルビナが抑えた声で呟く。ジャックは頷きながら、Wardenのトリガーに指を添えた。
「モーションセンサーの反応は……ゼロ。生体反応も感知なし。人工電脳のスキャンに反応が遮断されてる」
「通信遮断されてる?」
「いや……これは邸内のアクセスポイントが停止しているのかもしれない。見ろ、アンドロイドやロボットが動いていない」
その言葉に、アルビナの表情が強張る。
「……やっぱり何か変よ、この家」
2人はゆっくりと廊下を進む。ジャックは姿勢を低くしてWardenを正面に構えながら先行し、アルビナが背後からぴったりと付いていく。
室内の空気はほのかに乾いており、通気はある。だが人の気配だけが、明らかに欠けていた。足元にあったクリーニングロボットは無造作に停止しセンサーが赤く点滅している。邸内のあらゆる機能が沈黙している。
「電源は生きているな。照明が切れてるだけで、各種センサー系は待機状態になってる。完全な遮断じゃない。むしろ……管理されてる沈黙だ」
ジャックの言葉に、アルビナは唇を噛んだ。
「俺たち以外に誰かいる」
2人は視線を交わし、小さく頷き合うと、無音の廊下を奥へと進んでいった。
廊下の突き当たりに、少しだけ開いた扉があった。和紙調のスライドパネルが数センチほどずれ、その隙間から光が漏れ出していた。
ジャックは息を殺し、足音をさらに抑えながら近付く。アルビナは背後で無言のままM02を構え、周囲の動きに神経を尖らせていた。
ジャックは手を上げて停止合図を出す。人工電脳が近距離の音波データを即時解析する。
(……呼吸音?)
うっすらと、しかし確かにそこにあった。荒く浅い、苦しげに空気を求める、弱々しいノイズ。断続的な呼吸だ。
ジャックはWardenを構えながら、パネルに手をかける。静かな動作でそれをスライドさせ、内部の様子を確認する。リビングは、広々とした空間に調和するよう、黒漆のテーブルと低いソファが配置されている。障子風の間仕切りが奥の書斎へと続いていた。
そして床の中央に、人影が倒れていた。
細身の義体にスーツ姿の男は仰向けに崩れ、片腕は不自然に曲がっている。義体の左側頭部には微細な裂傷と焼痕があり、周囲に割れた義体皮膚の残骸が散っていた。
「マルト=ジンカワ……⁉︎」
アルビナが声を上げると、ジャックの横をすり抜けるようにして前へ出た。
(イェンス=エカスベア、一体誰にやられたんだ⁉︎)
ジャックが状況を整理しようとした時、駆け寄っていたアルビナが膝をつく。容体を確認するために膝をついたのだとジャックは考えていたが、アルビナはそのまま横に倒れた。
背中にはナイフが刺さり赤い液体がじんわりと床を侵食していく。
「アルビナ!」
ジャックとアルビナの間に微かな空気の歪みが生じる。ジャックはすぐさまWardenを発砲しようとするも手に衝撃を受けて手放してしまう。そのまま間髪入れずにジャックは腹部に衝撃を受けると、壁に吹き飛ばされる。
「こうした場面ではハンドガンよりも近接戦闘に切り替えるべきだ。空気の僅かな捩れを捉えたのは優秀だがな」
「熱光学迷彩か」
シャドウ・アサルトを得意とするイェンス=エカスベアが姿を現した。
姿を現したイェンス=エカスベア。
アルビナが倒れる中、ジャックはエカスベアに立ち向かう。




