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BORDER  作者: SELUM
Chapter 2 – From Stillness, Resonance
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Ep.2-4 Below the Surface / 表層の下に

ジャックは自身の推理を確かめるためにシンドウ本社へと向かう……!

 ジャックは椅子に深く腰を預けたまま、ナノパネルの操作領域に指を滑らせた。ホログラムの光が静かに滲み出し、青白い光が室内の壁に反射する。分析支援ユニット『ASU-04』は無音のまま待機しており、ジャックの一声を待っていた。


「対象人物:イェンス=ドレー=エカスベア。経歴を展開。軍歴、情報戦歴、技術スキル、ハッキング能力、受賞歴、各項目を分離して表示。相関関係も図示しろ」


 発声と同時に、ホログラムのレイアウトが流動的に変形する。中央に浮かび上がる人物ファイルには、無骨な顔つきをしたエカスベアの写真と共に、彼の略歴が列挙されていく。パネルが放つ微かな振動が、ジャックの手指に心地良い反応として伝わる。


——元A C S A F(都市国家軍)所属。最終階級は中尉。都市制圧・近接戦闘(C Q C)・ハードブリーチング を専門とする中隊指揮官。前線で部隊を率いることを厭わず、自ら荒事を処理する現場型リーダー


 ジャックは無言のまま目を凝らし、指先で表示情報を左右に払って別ページを呼び出す。


——得意戦術は主に『アーバン・ブリーチ』『シャドウ・アサルト』の2つ。前者は都市制圧戦の際、複数経路からの同時侵入を可能にする分散型制圧戦術である。後者は夜間や視界の悪い状況で実行される隠密・高速侵入型の戦術で、最小構成人数で標的建造物に突入、任務対象のみを精密に排除する


「……やることが派手だな」


 小さくそう呟いたジャックの目が、次の行で止まった。画面の左下に、過去の所属部隊指揮官として『マルト=ジンカワ』の名が記載されている。ジャックの眉が僅かに動いた。


(ジンカワの部下だったのか……)


 脳裏に浮かんだその一文が、冷たい水のように意識の奥へと染み込んでいく。表情は変えないまま、ジャックは額に指を添え、静かに呼吸を整える。


(偶然じゃない。ジンカワと何かあった……だからこそ、狙いが向いたのかもしれない)


 この瞬間、散らばっていた情報が一本の線として繋がり始める。憎悪か、信念か。それとも、別の目的か──動機の輪郭はまだ曖昧だ。だが確かなのは、利害だけでは説明できない〝個人的な因縁〟が、そこにあるということだった。


 ディスプレイの光がジャックの瞳にちらつく。ジャックは瞬きしながら冷静に次の指示を飛ばす。


「対象のハッキングスキルに関する記録は?」


——任務に必要な限定的な電子戦技術(施設扉の解除、監視網の無効化)などは独学で習得している


 さらに追加された関連データは限定的だった。専門家評価、ネット上の評判、元所属部隊での能力証明書、いずれも『軍規格以上、第一級未満』という評価だ。


 ジャックは腕を組んだまま、資料の海に静かに溺れる。


「つまり電子戦は専門ではないってことか」


 ジャックは小さく呟いた。


(エカスベアの技術でジンカワの癖まで模倣するのは無理だ。遠隔操作義体マリオネットであったとしても、自然な視線の動き、思考のリズムまでは再現できない)


 深く息を吐いたジャックは、分析支援ユニットを外し、視線を端末からデスクのモニターへと移す。


「マルト=ジンカワ氏との面会申請を」


 ジャックの声は静かだったが、その瞳には決意が灯っていた。


(確認するしかない。目で、耳で、俺自身が判断する)


 デスク端末の右上に、小さく点滅する通知が現れる。C S B I(都市国家捜査局)内部ネットワークからの返答だ。ジャックはUIに視線を移すことなく、その内容を視界の端で読んだ。


——マルト=ジンカワ常務は、現在業務上の都合により面会不可


 文字通りの定型文。だが、ジャックは肩を竦めて小さく鼻で笑った。


「想定内ってやつだな……」


 ジャックの表情には焦りも苛立ちもない。むしろ、僅かに口角を上げるその仕草には、何か確信を得たような静かな余裕すらある。


(さすがに重役。突然のアポ取りは無理か。だが、マルト=ジンカワと対面……いや、彼の姿を見るだけでいい。サンプルを取れれば、後はエカスベアの動きと照合させるだけだ)


 デスク端末に指先を軽く滑らせながら、ジャックは次の手を思案する。部屋の照明は落としたまま、UI表示の青白い光だけが、彼の頬の輪郭を淡く照らしていた。

 このまま手をこまねいているつもりはなかった。ジャックはゆっくりと立ち上がり、ジャケットを羽織る。動作は静かで、だが確かな意志を伴っていた。


(直接、シンドウ社へ向かうか……)


 思考の底で自問する。いつもなら踏み出さない一手だ。だが、今は違う。理屈の裏に、どうしようもない直感があった。何かがおかしい。それを確かめるためにジャックは動き出した。


 アスター・シティ・ステイト、メガロアーバン市ソムニウムヴェレ地区『アルフォンソ地域』。都市の中心を貫く幹線道を南下していくと、やがて視界の先に、その姿は現れる。


 シンドウ・コーポレーション本社――巨大企業の象徴にして、都市国家の心臓部をも巻き込む支配装置だ。午後4時、西日に照らされるその構造体は、まるで天と地を繋ぐ杭のように空へ突き立っていた。


 純然たる超高層ビルだ。だが、それは単なる高層建築とは一線を画す。外装は一面のガラスで覆われているが、均一ではない。角度や素材の異なるパネルが幾何学的に組まれており、陽光を受ける度に微妙に色彩を変化させる。透明、青磁、琥珀、その全てが一瞬ごとに入れ替わるように波打ち、見る者に幻影のような揺らぎを与える。

 基礎部は広大なプロムナードと連結しており、低層階には空間を贅沢に使ったロビーとホールがガラス越しに覗いていた。歩道との境界には、黒曜石のような艶を持つ石垣と、幾何文様を刻んだ鋼製の門が立ち並ぶ。これは、遠目には単なるデザインのように見えるが、近付けば、微かに日本建築の〝枡組〟や〝麻の葉〟文様を再構成した意匠であることがわかる。


 伝統と未来が交錯する。そこには『原点を忘れない』というような慎ましさもありながら、『だからこそ、最先端に立てるのだ』と誇示するような強さが滲んでいる。

 空を見上げれば、塔の頂部が光の中に溶けていくように見える。最上階に設けられた幾何学的な櫓構造には、企業紋のように組み上げられた立体ホログラムが輝いていた。それは風に揺れることなく、蒼穹の中に静止している。それはまるで都市全体を監視する〝第三の眼〟のようである。


 このビルはただの企業本社ではない。ここには、国家機関以上の政治的影響力と、戦略的資源管理機能が集約されている。だからこそ、ジャックはその存在を『塔』ではなく『要塞』に近いと感じていた。


 自動ドアが音もなく開き、ジャックは一歩、足を踏み入れた。


 外の陽光から切り離された瞬間、空気が変わった。高すぎる天井に静かすぎる領域が広がる。余白ばかりの空間に、人のざわめきは一切なく、足音さえ吸い込まれて消えていく。温度、湿度、光量が制御され、無菌室のような清潔さが保たれている。

 壁は淡い象牙色、床は照り返しのない黒曜石タイルだ。直線と円が幾何学的に交差するデザインに、日本建築の枡組を思わせる構造が溶け込む。都市国家で数多の施設を訪れたジャックにとっても、ここは異質だった。


(ここは……〝選別する〟ための場だ)


 企業というより、宗教的威圧感すらあった。見上げれば、広大な吹き抜けを囲うように透明な通路が何層も走り、複数の義体社員が静かに、迷いなく歩いている。まるで演算装置の一部であるかのように、彼らには感情の揺れも、個体差もない。


 ジャックが視線を右へ向けると、受付カウンターがあった。全面ガラス製のカウンターには、数体の女性型アンドロイド職員が立っている。無表情な顔に僅かな微笑のパターンが刻まれ、声帯ユニットからは心地良さを演出するアルゴリズム音声が流れる。


「ようこそ、シンドウ・コーポレーション本社へ。ご用件をお伺いできますか?」


 ジャックは少しだけ間を置いた。背筋を正し、言葉を選ぶ。


S C S I D(シンドウ社特殊捜査部)のレイラ=シエル氏と連絡を取りたい。どちらの部門に所属しているのか、ご存知ですか?」


 受付アンドロイドの眼球センサーが、ごく僅かに動いた。視線と内部処理が同期している。応答の前に数秒の〝間〟がある。が、それは一般来訪者が気にしない程度の違和感だ。


「ただいま照会いたします。少々お待ちください」


 カウンター奥に配置されたセキュリティ端末に受付アンドロイドがアクセスする。ジャックはその様子を無言で観察した。手の動きはスムーズすぎるほどだが、指先の返しにほんの一拍のズレがある。単なるアクセス処理ではない、別の誰かへの報告にも思えた。


(何かを……確認している?)


 しかし表情には出さない。ジャックは受付アンドロイドと目を合わせたまま、少しだけ顎を引いて応じるだけだった。


「恐れ入りますが、該当する所属情報は現在確認できません」

「そうですか、ありがとうございます」


 ジャックは間を置かずに返答すると、一礼してから離れた。


(……確認できません、か。そう返すには、一拍長かった。単なる照会ではなく、どこか別の判断が挟まっていたのかもしれない)


 ジャックはゆっくりと踵を返し、受付から数歩だけ距離をとった。その後、ジャックはロビー脇のカフェラウンジへと移動した。


 シンドウ社の本社ビルには、来訪者向けの複合施設がいくつか併設されており、警備の目を避けつつ時間を潰すには都合が良かった。カフェの窓際、ハイチェアに座りながら、彼はロビーの様子を遠巻きに見続けた。

 天井近くの通路を歩く義体やガラス越しに見えるエレベーターの動き、そして受付に残された義体職員の配置と動作など些細な変化を1つ残らず観察していく。 


 一度拒まれたからといって、引き下がるつもりはなかった。重要なのは『今ここで』情報が動いているという感覚だ。それを掴むには、静かに待つこともまた、有効な一手だった。


(何かが隠されてる。だがその〝何か〟は、誰かにとっては都合が悪いってことだ)


 1時間が経った頃、視界の端に微かな違和感を覚えた。エントランスホールの奥にある情報ボード前に立つ一人の女が、こちらの方に視線を送っているとジャックは感じたのだ。

 派手さはないが目立つ。肩までの黒髪をざっくりと結い、くすんだブラウンのコートを羽織っている。目元には淡くメイクの影、だがその奥の視線は鋭い。傍らの携帯端末に軽く触れながらも、彼女の意識は明らかにこちらに向いていた。


(何者だ? 通りすがりには見えないが)


 心の内で次の一手を定めながら、立ち上がる。歩を進める方向には、既に彼女の背中があった。偶然を装った、意図的な距離だった。数歩の差を埋めるようにジャックが近付くと、女はゆっくりと振り返った。まるで、そうなることを予期していたかのように。


C S B I(都市国家捜査局)の方ですね」


 低く抑えた声だった。聞き取りやすく、だが距離を取るには十分な余白を含んでいる。女は微笑すら浮かべないまま、目だけでジャックを捉えていた。


 ジャックは一瞬だけ立ち止まり、相手の輪郭を冷静に測る。


「俺に何か?」

「ええ、あります。というより……あなた、さっき受付でレイラ=シエルについて何か尋ねていましたよね?」

 

 その名を口にされた瞬間、ジャックの思考に一筋の警戒が走る。


「……ああ。聞こえていたのか」

「ええ。耳がいいのと、興味があったから。少しだけ様子を見させてもらっていたの。偶然にも、私もその名前に用があったから」


 女の視線は逸らされることなく、むしろ真っすぐに刺さってくる。明らかに一般人のそれではなかった。ジャックは目を細める。


「あなたは?」


 女は手の平にIDバーコードを浮かび上がらせた。ジャックがそれを読み込むと、彼の視界に女の経歴が開かれた。


「アルビナ=エルドアン。フリーのジャーナリスト。ニューリンク・エコノミーの記事も時折、担当している」

「一応、表向きはね。……少しだけ、場所を変えましょうか」


 アルビナはジャックを誘導し、外へと連れ出して周りを確認する。外は薄暗くなり始めており、時刻は18時数分前を指していた。


「それで?」


 ジャックは落ち着いた声色でアルビナに尋ねた。


「直接じゃない。けど、その名前を数日前に聞いたばかりなの。ある情報筋から。ニューリンク社の内部関係者。その人物が言ってたのよ。マルト=ジンカワという重役の部下、レイラ=シエルという女が拘束されたって、それに付随してジンカワも責任を追わされそうなんですって」


 ジャックの目が僅かに揺れた。


(彼女がジンカワの直属の部下だと?)


 それは、彼が初めて得た情報だった。仮にそれが事実ならば、全ての前提が覆る。そして、同時に導き出される新たな仮説の断片が、思考の中で静かに膨らみ始めていく。


(なら、ジンカワと入れ替わったエカスベアがシエルの存在を知らなかったとしても、おかしくない)


 レイラがジンカワの部下だったことを知らず、あの死贈メメント業の記録改竄を行った。標的はジンカワであり、レイラは〝副産物〟のはずだ。だが、レイラの立場が直属の部下であったため、その副産物が想定外の連鎖反応を引き起こした。


(……失敗したな、エカスベア。だがシンドウ社への打撃は成功している)


 ジャックの内心に、確信に近い仮説が組み上がっていく。


「で、ジンカワ本人は?」


 ジャックはごく自然に問いを投げた。アルビナはほんの少しだけ視線を逸らし、歩きながら言った。


「今は自宅謹慎中。公には健康上の都合だけど、実際は内部的な処分ってところ。表には絶対に出ない話よ」

「……その情報源は、信用できるのか?」

「中間管理職。ニューリンクの資源調整部からの情報よ。私とは、まあ……分かるでしょ?」


 言葉を濁しながらも、アルビナの表情には自信が宿っていた。


「寝物語にでも喋ったか?」

「……まあ、そうね」


 ジャックは地面を軽く蹴って一呼吸置くと、視線を向けたまま尋ねる。


「マルト=ジンカワの自宅は知っているか?」

「知っているけど、タダでなんて嫌よ。私も連れて行きなさい。大企業シンドウ・コーポレーション重役の不祥事なんてスクープだわ」

「危険かもしれない」

「もっと危険なことをこれまでもくぐってきたわ」


 アルビナは得意気にそう言い、ジャックはため息を一つ吐くと、数秒だけ考え込んだ。


(彼女はニューリンクに傾倒している。エカスベアの件は伏せておくべきだな。危険でも……俺が守ればいい)


「分かった。だが、俺から離れるんじゃないぞ」

「心配性ね。私、こう見えて運動神経良いのよ? セキュリティの目くらい、何度も掻い潜ってるわ」


 通りの向こうには、既に夜の気配が滲み始めていた。ジャックは手首のデバイスに時刻を確認しながら、歩き出す。


「案内してくれ」

「任せて」


 アルビナが一歩先を行き、ジャックがその後ろに続く。だがその瞳は、微かな緊張を宿したまま、夜の帳へと沈み込んでいった。



ジャックはアルビナと共にジンカワ邸に向かうことに。

一方、拘置所にいるレイラの元にエリオット=ファンス捜査官が向かって……?

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