第9話 静かな分岐
「晴真、一条と行ってきてくれる?」
出勤早々、九重にそう言われた。
「俺と……一条さん、二人で?」
「うん。ちょっと特殊な観測案件だから。
ミカは別件で動いてるし、俺は今日、眠気との戦いで忙しくてさ」
「……いや、戦ってください」
「戦った結果の“現場押し付け”だからね」
軽口を背中で受け取りながら、
俺は無言で立ち上がった一条と目が合った。
……と言っても、一条は視線を合わせたまま、何も言わない。
やっぱり、今日も無口だ。
***
現場は、郊外の公園跡地だった。
異能反応は微弱で、定点観測カメラでは感知不能。
ただ、住民の証言が奇妙だった。
「……自分の声が、どこかから聞こえる」
声の“模倣”現象。
ただし録音や再生ではなく、“空間に残る反響”のようなものらしい。
「声の複製……ですか?」
俺が呟くと、一条が静かに頷いた。
それ以上の言葉はない。
(ほんとに、しゃべらないんだな……)
そう思いながら、俺は手帳を構えた。
「瀬野晴真。ナイ課所属。分類開始します」
空気が震えた、そのときだった。
「……ナイ課所属。分類開始します」
俺の声が、少し遅れて返ってきた。
しかも――まったく同じ声で。
「……っ」
一条が片手を上げ、静かに“ストップ”のジェスチャーを出す。
(これ、模倣じゃない……“増殖”してる?)
俺が喋るたびに、その言葉が複数の方向から返ってくる。
「言葉を“複製”して、空間に蓄積してる……?」
「……複製……空間……蓄積してる……」
「……だめだ。これ、俺の言葉が“起点”になってる」
喋れば喋るほど、状況が悪化していく。
一条が前に出る。
そして、無言のまま、歩き出した。
俺の腕を軽く引きながら、音のないゾーンへ誘導する。
模倣の反応は、その動きにはついてこなかった。
「……音に対してだけ反応してる。
だから……」
俺は、ようやく理解した。
一条は“言わない”ことで、
この異能に一度も干渉されていなかったのだ。
言葉を使わないことが、
この世界に“影響を与えない”ための彼なりの術だった。
「……すごいな」
思わず漏れた俺の言葉も、再び反響して返ってくる。
でもそのとき、一条が初めて、ぽつりと口を開いた。
「……しゃべらない方が、楽なこともある」
その声は、小さくて、でも確かに“本人の声”だった。
***
任務は、最小限の観測だけで終了となった。
局に戻る道すがら、俺は思い切って訊いてみた。
「一条さんって、なんで……あまり喋らないんですか?」
彼はしばらく黙ってから、空を見た。
「……前に、“言葉で傷つけた”ことがある。
……それから、言わない方がマシだと思った」
「……」
「でも、今日ちょっとだけ思った。
“言わない”のと、“伝えない”のは、違うのかもって」
その声は、揺れていた。
けれど、それでも彼は、言葉を選んでいた。
「俺、まだ慣れてないから。……ゆっくりでいい?」
「はい。もちろんです」
自然と笑みがこぼれた。
***
その夜、俺の手帳のページには、こう記されていた。
【記録対象:模倣型異能(音声反射)】
【属性:反響/共鳴】
【備考:言葉は、時に“影”を生む】
【補足メモ】
→“言わない”という選択もまた、“意思”である
俺はページを閉じて、ふとメールを開く。
一条から、たった一言のメッセージが届いていた。
『今日は、ありがとう』
音もない言葉に、胸が少しだけ熱くなった。
静かな夜だった。
でも、確かにその“分岐”は、記録された。