第8話 数値に映らないもの
「今日のバディは君とミカだよ、晴真くん」
朝イチで九重にそう言われて、俺は少しだけ背筋が伸びた。
緊張ではない。けれど、ほんのわずかな、居住まいの正しさ。
ミカはすでに端末を開いていて、俺の方をちらりとも見なかった。
「現場は郊外の植物実験区域。
複数回の異能反応あり。ただし映像には何も映っていない。
既存の分類ファイルに該当データはなし」
九重の言葉に、ミカが端末から目を離さず補足する。
「反応の特性から見て、“知覚感応型”異能の可能性が高い。
でも、物理接触はゼロ。完全に“見るだけ系”のやつ」
「なるほど……じゃあ観測データから精度上げられそうですね」
俺がそう言うと、ミカは短く言った。
「……そこは期待してない」
その言葉の温度が、ほんの少し冷たく感じたのは、気のせいだろうか。
***
現場は、廃棄された温室エリアだった。
ガラスは割れ、ツタが中から外へと這い出している。
「異能反応、確かにある。でも映像は空っぽ」
ミカがスキャナを構えたまま言う。
「反応源は、正面奥。けど、何も映ってないし、形跡もない」
「感情にだけ反応している……?」
俺は手帳を開いた。
「ミカさん、少し中に入ってみます」
「慎重に。
このタイプ、感情の動きを“攻撃”と解釈する可能性もあるから」
言葉の端に、経験から来る警戒の色がにじんでいた。
俺が足を踏み入れた瞬間――
空気が、ぐにゃりと曲がった。
音も風もなく、
ただ、“誰かがいる”という気配だけが濃くなる。
(これは……怒ってる? いや、怯えてる?)
手帳に、曖昧な感情の輪郭がにじむ。
“名前”を与えるには、まだ足りない。
けれど、放っておけないほどに、そこに“誰か”がいる気がした。
「分類できそうにない?」
ミカの声が後ろから届く。
「……まだ、言葉にできません。
でも、“いない”とは言えないです」
「……ふうん」
彼女の反応は淡々としていた。
だけどその背中に、わずかなためらいが浮かんでいた気がした。
***
局に戻ったあと、報告書をまとめながら俺は訊いた。
「ミカさんって、“分類のズレ”って気にされますか?」
「気にするよ。
私は、“見えるもの”しか信じてこなかったから」
「……そうなんですね」
「数値って、嘘をつかないから。
見えないものに名前をつけるの、正直、苦手なんだよね」
その声には、少しだけ遠い温度があった。
「昔、“反応がなかった”ってだけで、
ある異能者を見逃したことがある」
彼女の手が、報告書の上で止まる。
「後になって分かった。“反応がなかった”んじゃなくて――
“記録されなかった”だけだった」
ミカの横顔は、整然としていて、でもどこか痛々しかった。
「だから私は、“確実なもの”しか記録したくない。
間違いをもう一度、繰り返したくないから」
***
その夜。
俺はひとりで、今日の記録を見直していた。
手帳のページには、まだ名前がついていない。
でも、ほんの少しだけにじんだメモが残っていた。
【記録対象:未確定】
【属性:共振(仮)】
【分類不能。ただし、“存在感あり”】
【仮称:“……そこにいた”】
ページのすみで文字が震えている気がした。
そんなとき、ミカからメッセージが届いた。
『……見えなかったけど、確かにいたね』
俺は、自然に微笑んで返信した。
『はい。
俺たち、そういうのも記録できるチームですから。』
静かな夜明け。
ほんの少しだけ、言葉の重さが、やさしく感じられた。




