表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/30

第5話 沈黙ファイル

 ナイ課の書庫には、“開かれない棚”がいくつかある。


 定期点検のたび、整理担当に回された俺は、

 その棚のひとつと、静かに向き合っていた。


「おーい、無理すんなよ。そこ、マジで“呪いのエリア”だからな」


 ミカがソファでカップ麺を啜りながら声をかけてくる。


「呪いって……業務用データの棚ですよね?」


「呪いだよ、ナイ課的には。開けるたびに寒気するし、

 中に“書かれてないファイル”があるって噂、知ってる?」


「“書かれてない”……ですか?」


「うん。ラベルはあるのに、中身が全部空白。

 ファイルなのに、ページが真っ白。

 誰も記録してないのに、“何かがいた痕跡だけ”あるらしい」


 あっけらかんと語るミカに苦笑しつつ、

 俺は棚の最下段に目を落とした。


 埃を被った一冊のファイルがある。


 【No.000】


(……あった)


 指先でゆっくりと引き出す。

 想像以上に軽い。ページをめくると――


 そこには、何もなかった。


 日付も、分類番号も、観測記録もない。

 ただ、ページの端がわずかに焦げ、

 誰かがめくったような跡だけが残っている。


(……本当に、何も書かれていない)


 けれど次の瞬間、俺の手帳が――震えた。


「……っ」


 心臓がひとつ、跳ねる。


(分類しようとしていないのに、反応してる……?)


 手帳が熱を帯び、分類ラベルが無理やり浮かびかける。

 だがその瞬間――


 視界がぐにゃりと歪み、耳鳴りが爆発した。


「――っ……!」


 ガツン、と頭の中で何かが外れたような感覚。

 意識がノイズに飲み込まれていく。


「おい、晴真!」


 気づけば、ミカが俺の肩を支えていた。


「お前、無理しすぎ。もうちょいで脳、焼き焦がすとこだったぞ」


「な、なんだったんですか……今の……」


「分類不能の“逆流”だよ。

 お前が仕分けしようとしたのは、そもそも“記録すら拒んだ”やつ。

 手帳が勝手に反応したってことは――能力そのものが、危険信号出してたってことだ」


 冷えたペットボトルを額に当てられながら、

 俺は思わず目を伏せた。


(記録しようとして、返された……?)


 そんな経験、初めてだった。


 ***


「そのファイル、持ってきてくれる?」


 いつの間にか起きていた九重が、声をかけてくる。


 珍しく、真面目な口調だった。


 彼はファイルを受け取ると、埃を払いながら呟いた。


「この“000番”のファイル……正式には“記録不能案件”扱い。

 昔、ナイ課が立ち上がったばかりの頃に記録されかけた案件さ」


「……記録されかけた?」


「そう。記録しようとした記録者がいた。

 でも、最終的にこのファイルには“何も書かれなかった”。

 書いた内容も、書いた手も、書いた人の名前さえも――全部、残っていない」


 その口ぶりは他人事のようで、どこか切実だった。


「それでも、“誰かがいた痕跡”は確かにある。

 だからナイ課は、このファイルを処分できない。

 “書かれなかった記録”ってのは、案外、重いんだよ」


「その記録者って……誰なんですか?」


 問いかけると、九重は少しだけ笑った。


「さあね。

 ただ、今でも時々思う。――

 名前を持たなかった存在って、記録対象じゃなくて、

 むしろ“記録者”のほうだったんじゃないかってね」


 ***


 夜。

 ひとりで記録室に戻る。


 No.000のファイルは、同じ棚の隅にあった。


 ページをめくっても、やはり何もない。

 だが――一枚だけ、質感の異なる紙が挟まれていた。


(……?)


 触れた瞬間、インクの匂いがした。

 そして、文字がゆっくりと浮かび上がってくる。


 『名前を持たなかった者は、ここにいた』

 『世界は呼ばなかったけれど、

 記録者は、確かに見ていた』

 『存在を“記録しない”という選択を、

 初めて選んだ記録者の詩』


 最後の一行だけ、字体が違っていた。


 記録者:瀬野晴真


「……えっ」


 手が震える。

 俺は、そんな記録を書いた覚えがない。

 けれど――もう、手帳は“記録を終えていた”。


(……名前を与えなかったことすら、記録だったのか)


 そう気づいたとき、

 書庫の天井から、風のような気配が降りてきた。


 まるで、誰かが「ありがとう」と、

 言葉にならないまま、通りすぎていったような――そんな夜だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ