第25話 名前が、記録を壊すとき
「このログ……おかしいわ」
ミカが、端末の波形を睨みながら言った。
俺とテンヨウが並んで画面をのぞき込むと、そこには異常な構文反応が記録されていた。
【ログ断片:記録コード X-00】
【記録形式:対話型構文】
【記録者:不明(削除済)】
【構成語句:「名を記すな」】
「誰かが、彼と――“対話”してた?」
「それも“過去の誰か”。けど、この記録者コード“X-00”……初めて見る」
テンヨウが眉をひそめる。
「“X”って、仮登録記録者の接頭コード。
つまり――“分類されなかった記録者”。」
「彼を“名付けようとした”誰か、だったのかもね」
ミカが、静かに追加ログを読み込む。
「そしてこのX-00は、“名は呪いだ”って記してる。
“彼を定義するな”って……」
その一文を見たとき、息が詰まった。
「……名前を、与えたことで壊れた――そんな過去が、あったのか」
***
その日の夕方。
ログが一瞬、揺れた。
【構文反応:明瞭語句出現】
【音声断片:「……ユウ……」】
「……今、言ったよな?」
テンヨウが息を呑む。
「“ユウ”……?」
「誰の名前?」
「さっきのX-00……過去に彼と向き合った人の、“名前”かもしれない」
ミカの目が鋭くなる。
「記録する?」
その問いに、黙っていた一条が口を開く。
「……記録するのか」
その言葉は、短いけれど重かった。
“名を記すかどうか”
“記録にするかどうか”
それは分類でも手続きでもない――“意志”の話だった。
***
会議室の隅で、俺はページを開いたまま、手が止まっていた。
記したい。
でも、記すことで何かを壊すかもしれない。
そんなとき――
「……何悩んでんだか」
九重が、鼻で笑った。
「お前がどう書くか。それが記録だろ?
書くことを“正しさ”で測ってたら、ナイ課なんかとっくに潰れてる」
その言葉に、背中を押された気がした。
俺は、名前を記した。
【音声記録:対象発話】
【語句:「……ユウ……」】
【記録者判断:仮名記録/記録者名の可能性あり】
【分類者:瀬野晴真】
――その瞬間だった。
【ログ異常検出:記録者コード X-00との干渉】
【記録エラー:重複名存在/構造衝突】
【処理結果:記録削除】
モニターから、“ユウ”という名が消えた。
「……ログが、名前を拒絶してる……?」
ミカが唖然とつぶやいた。
テンヨウが静かに言う。
「名前が、“記録されることそのもの”を拒んだ……
まるで、“存在そのものが、記録に耐えられなかった”みたいに」
沈黙の中、一条が呟く。
「……それでも、手帳には残るだろ」
俺は頷く。
手帳には、確かに――その名がある。
公式記録から消えても、
組織に拒絶されても。
この手で、記した。
この耳で、聞いた。
この目で、彼が言葉を発するのを見た。
たとえ“記録に残らない名前”だったとしても、
ここに、確かにあった。




