第22話 名前を残すために
「過去の記録データ、抜き出してみたわ」
ミカが端末を差し出す。
映し出されたのは五年前、No.005――ハルノの最初期の記録だった。
【記録者:E-03(匿名化処理済)】
【分類候補:精神操作型】
【記録傾向:強制共鳴/記憶上書きの疑い】
「……精神操作?」
「当時の担当者は、“共鳴”を“支配”と見なしたみたいね」
テンヨウが静かに言う。
「違う。
彼は“読んでしまった”だけだよ。
強制したんじゃない、“反応してしまった”だけ」
その分類は“支配者”という名を与え、
その記録が彼を“閉じ込める”原因になった。
【分類名称:心因誘導者〈Manipulator〉】
【記録者メモ:“安定化困難と判断し、封印措置が妥当”】
俺は手帳を開き、震える指でページをめくった。
【補記:名を記すことで、存在を固定した記録が存在する】
【記録結果が、対象の“自己定義”を阻害した可能性】
ミカの声が低くなる。
「分類って、本来は“理解”のためにあるはずなのに。
このときの記録は、ただ“決めつける”ために使われた」
テンヨウがぽつりとつぶやく。
「だから彼は、“名を呼ばれること”そのものを怖がってる。
……名前って、ラベルだから。貼られたら、もうそれ以外になれないって思ってるのかも」
「でも――」
俺は手帳に、静かに記した。
【記録再編中】
【分類からの脱却:記録目的は“定義”でなく、“傾聴”へ】
【再分類者:瀬野晴真】
「俺は、“名前を残す”ことで、彼を閉じ込めるんじゃなく――
ちゃんと、“彼の言葉”が届くまで、聞き続けたいんだ」
***
接続ログの再走査。
相変わらずノイズだらけの波形の中、
一点だけ、違う色をした“感情波”が浮かび上がっていた。
【波形変動:周期安定】
【構文化前データ:──……た、だ……/……いま、は……】
【記録反応:安定化傾向】
「……この波」
テンヨウが指差した部分に、俺も目を凝らす。
「彼は“伝えようとしてる”。でもまだ、“言葉になってない”」
「だから、君が急いで“名前を貼る”必要はないんだよ。
たぶん、彼は今ようやく――“名を持たない自分”を受け入れようとしてる」
「……うん。
じゃあ、俺はそれを“待つ記録者”でいるよ」
【記録更新:対象自己定義中】
【記録方針:“名を与える”記録から、“名を聞く”記録へ】
***
夕刻。
空間ログに、小さな変化が生まれる。
【音声確認:発話あり】
【構文:……「……そっか」】
【発話者:No.005(仮称ハルノ)】
「……喋った?」
テンヨウが小さく息を呑む。
俺はその声を、すぐに手帳へと転記した。
たったひとこと。
でもそれは、今まで一度も返ってこなかった“応答”だった。
【記録内容:「……そっか」】
【補記:分類ではなく、“対話”の開始と判断】
【分類者:瀬野晴真】
「名前をもらわなくても――言葉は返せるんだな」
「うん。
きっと彼にとってこれは、“初めて自分の意志で放った声”なんだよ」
テンヨウが、そっと微笑んだ。
「だから、記録者って本当は、
“見つける人”じゃなくて、“待つ人”なのかもね」
俺はページの余白に、もう一文だけ添える。
【今日、“名前のない存在”が、言葉をくれた】
【それは、“彼が彼として在った”という証だ】
【まだ名前は聞こえない。でも――忘れない。】
手帳を閉じると、外はもう夜になっていた。
それでも、ページの中にはまだ“灯り”が残っていた。




