第21話 その名を、まだ呼べない
再分類に着手してから数日。
俺は、ハルノの記録ログと向き合い続けていた。
端末に並ぶのは、言葉にならない“感覚”の断片。
波形、ノイズ、感情圧――それらは“誰か”の存在を示しているのに、
どれも“名前”には届かない。
【感情パターン:反応あり】
【分類候補:共鳴型/非同期性高】
【接続状態:不安定】
「……やっぱり、うまく繋がらないな」
俺の独り言に、後ろから静かな声。
「“名前を呼ばれると壊れる存在”って、なんだか皮肉だね」
テンヨウだった。
ナイ課の補佐として、この再分類に同行してくれている。
「彼は、まだ“自分が誰なのか”を名乗る準備ができてないのかも」
「でも、俺の異能は“分類”なんだ。
それは、名前で記録することと、ほとんど同義で……」
テンヨウは、そっと言葉を挟んだ。
「でも、“分類”と“命名”って、同じじゃないよね?」
その言葉に、俺は一瞬、呼吸が止まった気がした。
***
再観測ログの中に、異質な波形がひとつ混じっていた。
記録されたのは、三年前。
異能行動歴にも紐づかず、記録者名も“記録不能”になっている。
【未分類データ:仮接続成功】
【音声断片:……ぼく、は……/ここに、いた……/でも、きみは……】
【記録者:不明】
「……俺の記録、じゃない?」
いや――記録者名が不明なのに、
その“声”は、まるで俺に向けられていたようだった。
『君は、僕を“誰か”にしたかったの?』
『……でも、僕は、まだそうじゃなかったんだよ』
テンヨウがつぶやく。
「もしかして、それが“彼の傷”なんじゃない?
名前をつけられること。誰かにされること。
そうやって、“自分じゃなくなる”こと」
俺はページを開き、そっと記す。
【仮説:対象は“命名されること”によって、存在に裂け目を抱えている】
【分類と命名の混同が、記録破損の根因となっている可能性】
***
翌日、ミカが記録補佐として合流した。
「これが、昨日の接続ログ。
“名前を呼んだ瞬間”、記録が崩れた。波形が完全にノイズ化してる」
画面には、断絶の瞬間が映っていた。
【記録断絶:名指し直後に波形崩壊】
【記録者発話:“ハルノ”】
【接続消失までの時間:0.8秒】
「……名前を呼ぶだけで、“存在が曖昧になる”って……」
俺の手帳が、静かに震えた気がした。
「これは、“拒絶”じゃない。
“名を呼ばれること”そのものが、彼にとっての“断絶”なんだ」
ミカが言う。
「じゃあ、もう“記録できない”の?」
テンヨウが首を横に振った。
「違う。
“名前じゃない方法”で、誰かを記録する――
たぶん今の晴真くんなら、それができる」
俺は、ページの余白を見つめながら、静かに書き加える。
【再記録方針変更】
【目的:“存在の保存”ではなく、“存在の尊重”】
【名を呼ばずに、そばにいる記録者であること】
***
夜。
ナイ課の窓辺で、俺は手帳を閉じた。
“名を与える”ことと、
“名を聞き取る”ことは、同じじゃない。
そして――
“名を呼ばずに、そばにいる”という記録も、
きっとこの世界には、必要なんだと思う。
【記録注記:対象の名は、本人が名乗るまで、記さない】
【その日が来るまで、ただ隣にいる記録を、残し続ける】
まだ――その名は、呼べない。
でも、忘れない。




