第20話 名前の続きを聞かせてよ
再分類申請が正式に通ったのは、通知から三日後だった。
No.005 “ハルノ”。
かつて分類不能とされた存在に対し、再度“記録と定義”を行うこと。
それはつまり――過去の失敗と、もう一度向き合うということだった。
俺は、端末に向かって淡々と記録再編を進めていた。
けれどその指先には、わずかな震えが残っていた。
「晴真くん」
テンヨウが、机越しに声をかけてくる。
「また“彼”に会うんだね」
「……ああ。今度は、ちゃんと記録するために」
「“名前の続きを聞く”って感じだよね」
ふと、手が止まる。
その表現が、今の俺にはとても自然に思えた。
***
再調査の現場は、前回と同じ廃ビルだった。
外観は変わらず朽ちていたが、内部の空気だけがわずかに違っていた。
観測ログには断続的なノイズ。
そして、“人の言葉のようで言葉になりきらない音のかたち”。
【記録断片:……ル……の……?】
【構文一致率:3.2%】
【分類傾向:記憶共鳴型/低確度】
【補足:感情波と思しき干渉を確認】
「……やっぱり、“返ってきてる”んだな」
俺は端末を握り、記録波形の推移を手帳に転送する。
「これは“言葉”じゃないけど……
確かに、“誰かがいた”っていう証だ」
テンヨウが静かに応じる。
「“記録に残らなかった存在”が、
自分からもう一度、見つけられに来たのかも」
***
ページをめくると、
かつて俺が書きかけた記録――No.005――がそこにあった。
【仮称:ハルノ】
【分類不能】
【記録理由:観測中断】
【記録者:瀬野晴真】
分類不能のまま終わった記録。
ただ、そこに名前だけが残されていた。
そのときだった。
言葉にならない“問い”が、ふいに脳裏へ響いてくる。
『君は、僕を“誰か”にしたかったの?』
『それとも、ただ“そうしなきゃいけなかった”だけ?』
――違う。
俺はただ、“君のことを記録に残したかった”。
けれどその行為が、
彼にとっては“閉じ込められること”だったのかもしれない。
「……名を与えることは、時に“存在を固定する行為”にもなる」
テンヨウが、まっすぐ俺を見る。
「君は、“名前で分類”してるんじゃなくて――
“名前で誰かを助けたい”って思ってる人なんだね」
「それが、余計なお世話になるかもしれないのに?」
「でもさ。
“余計”だとしても、君は名前を呼ぶことでしか、誰かを守れない。
それって、悲しいけど……すごくやさしいことだと思う」
***
俺はページの余白に、静かにペンを走らせた。
【再分類進行中】
【分類者:瀬野晴真】
【対象:仮称ハルノ】
【補記:対象は“命名による同一性の固定”に対し、明確な拒否反応を示した】
【再記録の目的:対象自身による“自己定義”の許可を待つ】
テンヨウがそっとつぶやく。
「“誰かの名前”をもらうんじゃなくて――
“自分の名前”を決めたがってるのかもね」
「……なら、俺はその“瞬間”まで、ちゃんと待つよ」
「名前をつけるんじゃなくて、“名前を受け取る”記録者になるんだね」
「うん。
今度こそ、俺の都合で誰かを定義するんじゃなくて――
“彼が名乗る瞬間”を、ただ見届けたい」
その言葉のあと、手帳のページがかすかに震えた。
【通信波形:新規反応】
【構文構築中:──ハ……ノ──】
【自己定義準備中】
“名前の続きを、聞かせてほしい”
そう記しながら、俺はページをそっと閉じた。
まだ、記録は続いている。




