表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/30

第19話 名を受け取る

 廃ビルの上階。

 外壁のひび割れから差し込む光が、床に淡く広がっていた。


 空間の温度は一定。

 浮遊粒子も異常なし。


 だが、観測機器のログには、かすかな波形ノイズが記録されていた。


「ここが、再観測反応の発生地点です」


 俺は一歩、踏み込む。

 長い沈黙の中に、“名前だけが残された存在”の気配を探していた。


 No.005――ハルノ。

 かつて俺が分類しきれなかった異能者。

 名を仮に記しただけで、記録を完了できなかった存在。


「……“誰か”が、確かにここにいたんだ」


 俺が呟くと、隣でテンヨウが静かに応えた。


「姿はないのに、何かが“呼ばれてる感覚”がある。

 “声が届きかけてる”感じ」


「“記録されなかった声”……かもしれないな」


 俺は端末を起動し、空間波形のログを記録し始める。


 ***


 記録によれば、ハルノの異能は“記憶共鳴型”。

 観測者の記憶に触れ、対象者の内面を“返すように”記録として残す。


 分類中、俺は彼の記録に呑まれかけた。

 記憶の奥に、他人の感情が侵入してくる感覚。

 その恐怖に、俺は手を止めてしまった。


 記録は未完。

 名前だけが、“仮称:ハルノ”として記された。


「……俺は、“記録者としての責任”を果たせなかったんだ」


 テンヨウは、しばらく黙ってから言った。


「それでも、“名前を残した”んでしょ?

 じゃあ、その人は“記録されたかった”んじゃない?」


 俺は端末を握り直し、ゆっくり頷く。


「……今度は、ちゃんと最後まで記録するよ」


 ***


 空間ログが変動した。

 波形がざわめき、“人の形”に近い揺らぎを作る。


【観測波形:人型輪郭/非視認性】

【分類:既存属性と不一致】

【記録傾向:共鳴型構造に類似】

【接続:不完全】


「――来るぞ」


 俺がそう言った瞬間、

 言葉ではない“圧”が、頭の奥に流れ込んでくる。


 音でも映像でもない。

 でも、確かに“伝えようとする感情”があった。


 それは――問いかけだった。


『まだ、僕を“誰か”にしてくれるの?』


 俺は息を呑んだ。


 これは、“名前を呼ばれること”への期待。

 かつて分類されかけ、でも分類されずにいた存在が、

 もう一度、“誰かでありたがっている”。


「……ああ。

 今度は、“記録者として”最後まで付き合う」


 その瞬間、手帳のページが震えるように光った。


【No.005:再観測反応】

【仮称:ハルノ】

【状態:接続中(言語未使用)】

【補足:共鳴型だが分類不能要素を内包/記録再開準備可】


 テンヨウが、ゆっくりと口を開く。


「“声にできない想い”も、記録に残せるの?」


「……残す。俺の異能が“分類”だから。

 “名前を見つけること”が、俺にできる唯一のやり方だから」


 テンヨウは少し笑って、こう言った。


「じゃあ、“声を聞く”のが君のやり方なんだね。

 誰も言葉にできないものを、名前という形にして、残す」


「……そんなにかっこよくはないよ。

 ただ、俺が“逃げなかった記録”を、初めて残したいだけだ」


 ***


 調査を終え、廃ビルを出た。


 夕焼けがビル群の隙間を照らしている。

 テンヨウは沈黙のまま歩いていたが、不意に立ち止まった。


「……彼、まだ自分の名前を“言ってない”んだよね?」


「うん。俺が勝手につけた、“仮称”のまま」


「じゃあ、本当の記録は、まだ始まってないんだ」


「……ああ。

 次は、彼の口から“名前の続きを聞く”ための再分類だ」


 テンヨウは目を細めた。


「それって、君の記録じゃなくて、彼の“自己紹介”だね」


 俺はふっと笑った。


「いいかもな、それ。

 “名を与える”だけじゃなく、“名を受け取る”。

 記録って、きっとその両方なんだと思う」


 ページには、まだ余白が残っていた。


 その余白が、きっと次の声を待っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ