第17話 反響する名前
ナイ課に、一件の通知が届いた。
【再分類通知】
【対象:分類No.005】
【分類時期:1年4ヶ月前】
【担当記録者:瀬野晴真】
【備考:記録対象の生存情報が観測ログに出現。要再調査】
俺は、その番号を見た瞬間、背中に冷たいものが走った。
No.005――
それは、俺がナイ課に来て間もない頃、
初めて“分類に失敗した”異能者の記録だった。
「……処理済みのはず、だったよな」
「“処理されたことに”なってただけかもね」
背後からミカの声がする。
「記録データの深部にアクセスしてみたら、“分類ラベル”が仮状態のままだった」
「それって……正式な分類ができてなかったってこと?」
「うん。“観測はされたけど、記録が定着していない”状態。
記録だけが、記録者の記憶の外に取り残されてた。
……名前だけが、ね」
俺は、喉の奥に詰まった何かをゆっくり飲み込んだ。
“名前だけが記録に残っている存在”――
分類者として、それは一番、やってはいけないことだった。
***
午後のナイ課は、いつもより静かだった。
一条は資料をめくる手を止めず、
九重はコーヒー片手に、いつものようにぼんやり窓の外を眺めている。
テンヨウだけが、変わらない表情でファイルを並べていた。
「……ねえ、No.005って、誰?」
テンヨウの問いに、俺は答えられなかった。
正確に言えば、“答えたくなかった”。
「……晴真」
ミカが、さりげなく間に入ってくれる。
「ちょっと、記録庫を一緒に確認しよう」
***
ナイ課地下の記録庫。
ファイルの並ぶ棚の最奥に、No.005のラベルが貼られた記録箱があった。
手に取った瞬間、記憶がざわつく。
【分類No.005】
【仮称:ハルノ】
【属性:記憶共鳴型】
【備考:分類時、観測者に記憶混線症状が発生】
「……ハルノ」
口に出したその名前が、記録の奥に反響していくような気がした。
「君がつけたんだよね、その名前」
「うん。
でも、あのとき――
“俺の中の何か”と、彼の存在が、交じってしまった」
「混線、ってやつ?」
「そう。
俺の記憶の断片に、彼が入り込んできて……。
分類って、本来は“対象”を見つめるだけなのに、
あのときは、見つめ返された気がした」
ミカは少しだけ黙って、ファイルを閉じた。
「記録者って、“誰かを観測する人”でありながら、
本当はいつも、“誰かに見られてる”側でもあるんだと思うよ」
俺は返す言葉を持たなかった。
ただ――
その記録箱が、微かに温度を帯びていた気がした。
***
夕方。
俺はひとり、ナイ課の端末で過去記録を呼び出していた。
――1年4ヶ月前。
まだ“記録とはラベルだ”と信じていた頃。
ハルノは、記憶に触れる異能だった。
でも、記録者の俺に触れ返してきた。
『……ねえ、“君のこと”を教えてよ』
記録対象が、分類者に問いかけてきた。
それは、禁忌に近い状況だった。
俺はそれに怯え、分類を中断した。
名前だけが、仮称として残されて――
記録は、凍結された。
そして今になって、その名前が――再び観測された。
「……なあ、ハルノ。
お前は、今、どこにいるんだよ」
画面のログは沈黙したまま、ただ光っていた。
***
夜。
ナイ課に残っていたのは、俺とテンヨウだけだった。
テンヨウは、そっと俺の隣に腰を下ろす。
「……ハルノって人のこと、怖いの?」
「……ああ。
でも、たぶん一番怖いのは――
“記録に返事が返ってきた”ことだ」
テンヨウは、しばらく考えてから言った。
「でもね、晴真くん。
名前って、“呼ばれる”ことで、存在になるんだよ」
「……呼ばれたら、存在になる?」
「うん。
だからその人、きっと“もう一度、呼んでほしかった”んじゃないかな」
俺は、静かに息を吐いた。
「……それってさ。
名前を記録するってことは――
誰かの“存在を背負う”ってことになるよな」
「それでも、晴真くんは名前をつけた。
だったら、向き合わなきゃだめだよ」
テンヨウの声は、ただ真っ直ぐだった。
怖さも、迷いも、全部通り抜けたような声だった。
***
その夜、俺は手帳を開いた。
No.005――そこに残された記録は、仮称のまま。
でも、そのページの隅に、微かなノイズ波形が浮かんでいた。
【No.005:再観測兆候あり】
【分類者:瀬野晴真】
【仮称:ハルノ】
【備考:未記録領域にて“共鳴反応”確認】
俺はページの余白に、ペンを走らせる。
【補記:名が反響するなら、それは“存在が応えている”ということ】
【再分類、準備中】
ページを閉じたとき、
どこかで、何かが“名乗った”ような気がした。




