第14話 名を与えた日
あれは、幻だったのか。
それとも、俺の記憶の中にだけ“在る”ものなのか。
No.014――
記録のなかから、静かに消えていた異能者の存在。
だがそれは、俺が“記し直した”ことで、確かにページに戻ってきた。
【記録:No.014】
【分類名:未確定】
【属性:抹消干渉/記録抵抗】
【記録者:瀬野晴真】
それだけを最後に、手帳は沈黙していた。
俺自身が“記録から外れかけた”恐怖。
それでも、ページは光を返してくれた。
……でも、本当にあれで終わったのか?
***
その日は外勤予定もなく、
街の軽い調査案件を引き継いで、駅近くのビルを訪れていた。
手帳のアップデート処理を待つあいだ、
ふと吹き抜けた風に、何気なく振り返る。
そして――見た。
夕暮れの駅前に、ひとりの少年が立っていた。
古びた制服のようなシャツ。
大きめのリュック。
どこか“空っぽな目”。
思わず、息を呑んだ。
(……知ってる)
そんなはずはない。記録にない。データにもない。
けれど、心の奥にだけ確かに残っている“気配”があった。
(あれは――No.014)
***
「……あの、君」
声をかけると、少年は少しだけ目を動かした。
反応というより、それは“知覚されることに慣れていない目”だった。
「君の名前、聞いてもいいかな」
少年は口を開きかけたが――何も言わなかった。
しばらくの沈黙のあと、小さく首を横に振った。
「……分からない?」
こくん、と頷く。
俺はすぐに手帳を開いた。
分類の兆候――なし。
異能反応――なし。
存在記録――該当データなし。
けれど、ページの奥から何かが疼く。
(この子は、“存在していない”ことになっている)
でも、俺の心ははっきりと叫んでいた。
(この子が……No.014だ)
かつて記録できず、
今なお分類にかからない“存在そのもの”。
***
ナイ課に戻り、ミカと一条に報告する。
「“名前を思い出せない”って言ってました。
でも、見た瞬間に分かったんです。……あの子が、No.014なんだって」
「分類反応は?」
「ゼロ。でも……俺の中では、“その子の在り方”が、もう分類の形になってる」
ミカは黙ってうなずいた。
「記録には残ってないけど、
その話を聞いて、“ああ、そんな子がいたような気がする”って思えた」
一条もぽつりと口を開く。
「……記憶が、抜け落ちてるのかもしれない。
でも、“気配”だけは、残ってる」
気配――
名前ではなく、記録でもない。
だけど、確かに“誰かがそこにいた”という気配。
***
数日後。
再び駅前で、その少年を見かけた。
ベンチに座り、ただ空を見ている。
名前も記録もない“誰か”が、確かにそこにいる。
「……また来てくれて、ありがとう」
そっと隣に座ると、少年はわずかに顔を向けた。
「ここにいると、安心する?」
少年はこくりと頷いた。
「誰かに、“見つけてもらえる”気がするから?」
しばらくの沈黙のあと、またうなずく。
俺は静かに手帳を開いた。
分類コードは出てこない。
ページは白紙のままだ。
でもそこには、“名前の空白”が確かに在った。
「君の名前は、記録されなかった。
でも、“記録されなかった”ってこと自体が、
君がここにいた証なんだと思う」
少年の目が、わずかに揺れる。
俺は、静かに言った。
「……名前、つけてもいい?」
また、少し長い沈黙。
けれどそのあとで、少年は小さく頷いた。
***
手帳のページに、記した。
【分類対象:記録外存在】
【仮称:テンヨウ(天遥)】
【属性:非定着/観測残響】
【備考:記録に残らず、分類されなかった存在の再出現】
【分類者:瀬野晴真】
ページが、静かに光を放った。
それは、“新しい名前”ではなかった。
“記録できなかった名前”を、再び受け止めること。
その覚悟が、静かにページを灯していた。
***
その夜。ナイ課の一角。
テンヨウを仮眠スペースに案内した。
まだ不安そうに辺りを見回す彼に、毛布をかけてやる。
「……眠れる?」
テンヨウは迷いながらも、こくりと頷いた。
「ここは、記録されてなくても存在していい場所だよ」
その言葉が、少しでも彼を安心させてくれたならいい。
寝息が静かに聞こえてきた頃、俺はそっと立ち上がった。
名を持たなかった存在。
分類されなかった異能。
誰の記憶にも残っていなかったかもしれない誰か。
でも――それでも。
「……おやすみ、テンヨウ」
その言葉は、小さくて優しくて、
だけど確かに、“存在を認める”音だった。




