第10話 監査対象:瀬野晴真
午前九時三分。
俺の端末に、アクセス制限の通知が届いた。
【記録ファイル No.000~No.017 に対する精査処理中】
【判定コード:定義干渉の可能性】
【対象:瀬野晴真】
「……は?」
表示された警告マークが、妙に冷たく感じた。
その数秒後、ナイ課の空気が変わる。
「セキュリティルートに変化……?」
ミカが即座に端末を開き、眉をひそめる。
「本部経由の監査ユニットが入ってる。
しかもこれは――」
言いかけたところで、室内に“異音”が走った。
ビープ音でも通知でもない。
ただ、空気が一瞬“かすれた”ような感触。
「……来たか」
九重が、ソファから起き上がるより早く。
室内に、電子的な“声”が響いた。
「ナイ課所属・分類担当 瀬野晴真氏に対し、
記録行為に関する監査を開始します」
空間がゆらぎ、透明なホログラムが浮かび上がる。
形は球体。人型ではない。
ただの“監視機構”であることを強調するように。
「私は本部監視AIユニット・セレクター。
分類記録における“定義干渉の兆候”を確認しました。
これより、記録内容の精査を行います」
「……定義干渉って、何のことですか」
俺が口を開くと、セレクターは間髪入れずに返してきた。
「分類とは、既存の体系への適合です。
しかし、あなたの記録には“新たな属性の生成”および“感情的ラベリング”が含まれています。
これは分類の域を逸脱し、“定義”行為に類似しています」
「それは……」
「……確かに」
ミカが低く呟いた。
「分類って、“既にある箱”に入れる作業のはずだけど……
晴真の記録、最近は“箱そのものを作ってる”感じがする」
「ミカさん……」
「責めてるわけじゃない。
でも、“名づける”って本来、もっと慎重に扱われるものだった」
セレクターが続ける。
「今後あなたの記録は、リアルタイムで監査対象となります。
次の観測任務には、私が同行します」
「監視付き……ですか」
「正確には“同行監査”。
分類の中立性と、観測者の影響度を直接確認します」
言葉の温度は変わらない。
それがかえって、恐ろしかった。
***
しばらく沈黙が落ちたあと、九重が立ち上がる。
「いやー、静かな割に派手だねぇ。
セレクターの現場介入って、本部でも年に数回あるかどうかじゃない?」
「対象の記録に、過去事例と乖離した分類傾向が見られました。
このまま放置すれば、“記録の独自進化”を引き起こす恐れがあります」
「まあ、分かるけどさ」
九重は、ふっと笑う。
「でもさ。
記録って、生き物じゃない?
切り取った瞬間だけを“真実”って呼ぶのは、ちょっと乱暴じゃないかな」
「あなたのその発言も、ログに記録されます」
「うん、ありがと」
それでも、九重の目だけは笑っていなかった。
***
その夜。
ひとりで記録の確認をしていると、
今日のログの中に――見覚えのない追記があった。
【監査記録:分類対象への共鳴反応確認】
【補足:観測者の主観による命名行為】
【タグ付け:定義干渉/拡張分類】
(……俺の言葉が、“記録”じゃなくなってる?)
思わず、息を吐いた。
ページの下に、ミカからのメモが添えられていた。
「自分のラベルに、責任を持ちすぎないで。
でも、それが君らしさでもあるんだけどね」
そしてその下に――
「“言わない”ことが誠実な場合もある。……一条より」
らしいメッセージに、少しだけ肩の力が抜けた。
(……それでも)
俺は、そっと手帳を開く。
次の分類対象は、まだ“言葉になっていない”。
でも、それを待っている“誰か”がいるのなら。
俺は――記す。
たとえ、そのすべてを誰かが監視していたとしても。
このページの行き先が、まだ“未定義”だとしても。
それでも、俺は――記録者だから。




