第1話 分類不能
5年前、人々は気づいた。
この世界には、“異能”と呼ばれる力が、確かに存在するのだと。
特定の者だけが持つ、現実を変える力。
社会は混乱し、政府は対策機関【異能対策局】を設立した。
俺の名前は、瀬野晴真。
異能対策局・記録管理課に勤めている、ごく普通の公務員――だった。
……いや、正確には、“仕分け屋”だった。
俺の異能は「分類」。
異能者に触れることで、その能力がどの属性カテゴリに属するかを直感的に判別できる。
火、水、風、精神、支配、時間……政府が定めた分類体系に基づいて、仕分けるだけの力。
直接の接触が基本条件だが、例外的に――
強い残留反応や、異能の“本質そのもの”に触れたとき、媒体越しでも“感応”が起きることがある。
派手な能力ではない。
戦えないし、目立たない。
就職活動でも、いくつもの面接で「面白い能力ですね」と笑われた。
評価ではなかった。ただの“話のタネ”だ。
いくつもの不採用通知と一緒に届いた一枚の内定通知。
差出人には、こう書かれていた。
【異能対策局 記録管理課】
俺はその封筒を見て、素直に思った。
――ああ、拾われたんだな、と。
***
初出勤の日、案内されたのは本庁舎の裏手にある古いビルの地下だった。
誰も通らない廊下。埃と紙の匂い。機械音と蛍光灯のちらつき。
そこには天井まで積み上がったファイル棚が並んでいた。
すべて紙媒体。電子化されていない過去の異能記録だ。
俺の仕事は、未登録異能者の報告ファイルを読み、能力の属性を分類し、記録すること。
火系・視覚誘導型。念動系・低出力。支配系・間接接触型。
ラベルを貼って、データベースに入力していく。
それだけの作業を、毎日ひたすら繰り返す。
何かを生み出すわけでも、誰かを救うわけでもない。
でも分類ミスは、現場にとって命取りになる。
――だから、地味で、責任だけは重い。
そんなことを考えながら、俺は今日もファイルをめくっていた。
***
その日、机に届いたのは、赤い封筒だった。
注意案件。滅多に来ない色だ。
【未登録異能者 No.6431】
――氏名:不明
――年齢:推定18〜20歳
――状況:夜間、路地にて職員3名が意識混濁状態で発見
――記録映像なし
――証言:対象の存在に関する記憶が不鮮明
――分類:不能
「分類不能……?」
分類不能というラベルは、データ不足や複合属性による仮判定でよく見かける。
だが、ここまで記録が曖昧な例は珍しかった。
監視カメラに映像が残っていない。
職員の一人は「その人物に会っていない」とまで証言している。
存在そのものが曖昧になっているようだった。
俺は端末を開き、対象者の残留異能反応にアクセスした。
瞬間、強烈な“感応”が起きた。
「……っ!」
頭の奥で、鋭い音が鳴る。
視界が一瞬、ぐにゃりと歪む。
いつもなら脳内に浮かぶ属性ラベルが、何も出てこない。
火でも水でもない。
支配でも精神でもない。
そもそも、カテゴライズの対象にすらならない。
これは、“分類の外側”だ。
ノイズが走る。視界の端で文字が潰れる。
脳の奥で、記憶の並びが微かに狂っていく。
分類しようとする意識が、何かに妨げられる感覚。
「まずい……これは、危険だ」
それでも、俺はペンを取った。
手帳を開き、震える手で情報を記述する。
・記録不能
・観測者の記憶に齟齬
・存在の知覚に不一致
・分類概念への干渉疑い
→ 仮称:【分類不能(Type-Null)】
→ 接触者への影響:中〜高/精神負荷:高
俺は、分類できないものに仮の名を与えた。
ただの分類じゃない。
これは“存在に名前を与える行為”だった。
そう、気づいた瞬間だった。
***
翌朝。
俺の机に、一通の封筒が置かれていた。
【INOU-06 分類課】
【担当官:九重 陸】
見たことのない部署名。記憶にない名前。
昼過ぎ。
記録室の扉が静かに開き、男がひとり、入ってきた。
黒のスーツ。無造作な髪。飄々とした態度。
だがその目だけが、何もかも見通しているようだった。
「君が瀬野晴真くんか。昨日の記録、“分類不能”。あれを書いたのは君だな?」
「……はい」
「あれは本来、誰にも記録できない。
触れた者は、記録しようとしたことすら忘れる。
だが君は、書き残した。名前を与えた。
それが、君の異能の本質だ」
彼は名刺を差し出した。
九重 陸/異能対策局 第六課・上級監察官
「ようこそ、“ナイ課”へ。
君の仕事はこれから、“分類できない異能”を仕分けることになる」
その瞬間、
俺の中で何かが静かに音を立てて動いた気がした。
“誰にも名前をつけられなかったもの”に、
俺は今――たしかに、名前を与えたのだ。