前編
「新年だからなんだと言うんだ」
そういえば、今日は新年ね。
私がそう言えば、あなたはどうでもよさげに、冷たく言い放つ。
私はと言えば、相変わらずなあなたに、いつも通りの苦笑を返すの。
「だって1年の始まりって、ワクワクするじゃない?」
「しない」
「ふふ、あなたらしいわね」
「お前もお前らしいな」
そう言って、あなたは私の頬をぬぐう。
──頬についた血は、綺麗になるどころか伸びるだけなのに。
見えずとも分かる自身の顔の汚れに、また私は苦笑する。
「なんだ?」
「いいえ。──それより、魔王の様子はどう?」
「分からん。先ほどから動きが無いな」
「そう。膠着状態というやつね」
「さてどうするか」
言ってあなたは……勇者は、手に持つ剣を下げた。大きな剣だもの、ずっと構えていたら重いわよね。
「ねえ勇者」
「なんだ聖女」
名を呼ぶことはしない。それは不思議と初対面の時から、互いにもったルール。
それは長い旅だった。
勇者と聖女。
共に世界を創造せし女神に選ばれた、世界の救世主。女神の天敵である魔王討伐の旅は、それはもう過酷の一言。
伴は他にも居た。
でも今は二人きり。
視界の片隅にこと切れた遺体が見えるも、蘇生の魔法はかけない。
否、かけることはできなかった。全ては勇者のために。
倒れた者たちも、死が訪れるその瞬間に叫んでいた。『聖女様の残された魔力は、全て勇者様のために使ってください!』と。
あの言葉をむげにはできない。
いや、言われるまでもなく、その余裕がない。
誰もが覚悟して出た旅だった。
生きて帰れると信じる者は一人としていなかった。
それでも帰りたいと願った。
願いは叶えられることはなかった。
(みんな、ありがとう)
ゴメンナサイとは言わない。それは彼らへの冒涜に繋がる。誰も謝罪など望んでいないことを、私は知っているから謝らない。ただ、感謝の気持ちを伝えるだけ。
「なんだ?」
勇者と呼びかけておきながら何も言わない私を、勇者が訝しげにそんな彼に私は笑みを浮かべて「愛しているわ」と告げる。
一瞬目を大きく見開いた勇者は、けれど次の瞬間にはスッといつもの無表情。
それがなんだかとても彼らしくて、私はまた笑う。
「不謹慎だぞ」
「そうね」
まだクスクス笑う。
「でもふざけるなと怒らないのね」
「それは、まあ……」
私の指摘に、フイと勇者は顔をそむける。その耳が赤くなっていること、私が見逃すと思って?
「ねえ勇者」
「なんだ聖女」
先ほどと同じやりとりだと言うのに、あなたは嫌がらずに私に付き合ってくれるのね。
それが彼の優しさ。それが彼なりの愛情。
分かっているから……言葉に乗せずとも分かる彼の気持ちが、なんだかくすぐったい。
今度は彼の目を真っ直ぐ見て私は言う。
「新年おめでとう」
と。
また彼は目を少し揺らめかせてから、剣を握り直した。
「魔王が動いた。来るぞ」
「そのようね」
彼は剣を、私は聖杖を手に正面を見据える。ジリと勇者が動く。
離れる私との距離。けれど不思議と距離を感じさせない。彼の動きは手に取るように分かり、彼の心はいつもそばにあると感じるから。
緊迫した空気が流れる。互いの呼吸が聞こえるような気がするほどの静寂。だというのに、魔王が憤怒あらわに殺気を放つのを感じる。
「ねえ勇者」
緊張感がどうの不謹慎がどうのなんて言わないでね。
この先の未来を聖女として予測しているから、敢えて私はその言葉を口にする。
返事はない。けれど勇者が確かに聞いていると確信をもてる私は、笑みを浮かべながら言った。
「どうか願いが叶うなら、いつか私と──」
直後。
魔王の身の毛もよだつ咆哮が上がる。私の声はかき消される。
一瞬にして場を支配する緊張感。あっという間に集中される私達の意識。
それはすぐに私達を襲う。
マグマの如し熱き炎が、闇よりも黒い炎が、轟音を伴って、私達に襲いかかったのだ。
そして意識は暗転する。