悪魔祓い×教師(赴任してきた男は人気者になっていた)
どうして、どうして。
息が上がる。
はあはあ、と肺が膨らむ。
もう息が吸えない。
見つからないように息を潜める。
学校が始まらない一学期の真ん中三連休の1日目。
どうして、とまた口内を転がす。
ラランは教師となってそこそことなる、しがないどこにでもいる公務員の一人。
紹介するにはまず先祖の話を……。
え?いらない?
最近赴任してきたブラウンの混じる赤髪の男、エンジル・フィッツも少し嫌な顔をしていた。
彼ってば、赴任してきたばかりなのに学生に人気で、言い回しもスタイリッシュでクール?というもので生徒達は熱を上げている。
フィッツはそれでもって熱意のあるような、ないような態度で、羨ましい。
ラランとて、かっこいい言い回しをしてみたいものだ。
見た目も心掛けていて、ちょうクールらしい。
かっこいいと私も思うのだが、雰囲気は近寄りがたい。
いつも遠くから見るくらいがせいぜいなのだが、どうも彼は私に話しかけてくる。
その時はドギマギしていたけど。
なにか話しかけるような見た目をしてないのだが、彼はなぜかラランを見ると軽快に近寄ってくる。
「なぜこんな命の危機に瀕している時に些細な事を思い出すのか……走馬灯なのかな、これが」
ブツブツ。
はっ!
今はつぶやいている場合じゃない。
変な黒いなにかに追われているのだ。
とてもではないが、日常とはいえまい。
「はあ、神頼み?私が?いくらなんでも無茶。あんなの自力でどうにかできるわけもないし、かといってわたしがどうこう出来る存在でもなさげ」
指を絡めた両手を引き結んでおにぎりのように丸まっていた。
教卓の下に隠れている最中だ。
ちょっと職員室に水筒を忘れて取りに来ただけなのに、やけに空は暗く、どこか生臭い匂いすらある。
黒いものを見た途端、逃げねばと走った。
しかし、ラランは万年運動不足。
息もすぐ上がったし、外に出るまではきっと、必ず追いつかれて殺される。
──グルル
(ひっ!人間じゃないっ)
誰か人でもいれば安心はできないが、マシである。
しかし、ここにいるのは私と得体の知れない化け物。
(近づいてきている。不味い)
声が出せず高速に回り出す脳みそ。
カタカタと鳴る歯は恐怖を物語っている。
──ガタッ
「!ーーく!」
もうだめだ。
チョークや机を投げるしかないのかと覚悟を固める。
「やれる。私もやれる」
立ち上がって荒い息を吐く。
教室の端にある掃除用具入れからモップを取り出す。
構えながら教室の扉で止まる。
カラカラと鳴る扉はそのままゆるりと開く。
開き方が賢い気がする。
「な!え?く、エンデル!?」
バケモノではなく現れたのは教師仲間のフィッツだ。
「ど、どうして!あいつ、は!?」
「あいつ?」
フィッツは気だるげに首に手を当てていた。
「黒くて生臭くてヌメッていて。見たなら分かるでしょ?」
「ん?見てないぞ」
「いやいや!そんなわけ。白昼夢なんてこともなく、夢遊病でも夢を見ているわけでもない!私はおかしくなってない。勤務歴も長く、見間違いしな」
「落ち着け。ほら、深呼吸」
ラランの混乱を極めてしまった言葉を止める。
まだ話したい事があるのに。
危機が迫っているのに、呑気に問答をしている場合じゃない。
「呼吸したけど。嘘なんかじゃないから」
「わかった。信じてやるさ」
「本当?信じなくても逃げるけど」
フィッツはから笑いを浮かべて、モップを手にするラランに苦笑も浮かべる。
「兎に角、私の後ろから離れないように」
「はあ?守るのか?俺を?面白い奴だな」
初めて聞いたセリフのように、ぽかんとするその顔は、いつもの飄々とした態度とは変わって、幼く見える。
「当たり前のことを聞かないで。あなたはなにも持ってない。しかも、黒いものを見てない。圧倒的にあなたに不利よ」
ラランの羅列するそれにフィッツは側から見れば守られる側かと納得した。
「ララン。こんな夜に一人でなにをしていたんだ?一人で夜な夜な彷徨いてるのか?誘ってくれたら着いてきたのに」
茶化している場合じゃよと怒る。
「ほら、離れちゃダメよ」
「仰せのままに」
黒い存在を見つけても驚く事になる。
私の言う事を信じざるを得なくなれば良い。
「フィッツ。ついてきている?」
「ああ。勿論。可愛いな」
「ん?」
「いや、気にするな。ほら、廊下にはなにも居ないだろ」
健気にモップを持つララン。
フィッツを守ってくれるらしいとその愛らしい行動に気恥ずかしくなる。
こんな風に守られた経験など皆無。
「そいつが出てきたら隠れるか逃げなければ狩られる。逃げ足に自信はある?」
「まあ、ある方だ」
「兎に角走ろう」
「お前は自信があるのか?ん?」
「な、ない」
「な、ないのか。そうか」
驚いた顔にフィッツは俯く。
ないのに、守ろうとしている。
「かわ、んん、んんっ!」
元々好ましく思っている相手が自分を庇うシチュエーションはフィッツにとって本気になるには十分になった。
「ララン。居たとしてももう居ないんじゃないか?生臭い匂いはするのか?」
そういえば、しない。
「可笑しい。生臭さがなくなったにしては、完全になくなるなんて変」
「どうしてだ」
「跡形もなくなくなるなんて、生物はもっと残るし、居た形跡も皆無。物音一つしない」
「残るものなのか?」
「ええ。なんにだって残る」
「ということは、説明がつかない存在だったということ」
「信じたくないけど、やはり私に問題があったということ、なの?はあ。疲れが溜まっていたのかなぁ?」
ラランは自分に果てしなくがっかりした。
なんせ、妄想が幻想を見たのだ。
自分に失望するには条件は満たされていた。
モップをたらりと地面に落としてフィッツに向く。
「すみませんフィッツ。どうやら私の一人相撲だったみたい。あはは!本当に。変なことに巻き込んで」
「あー、いや、気にするな。子供の頃みたいにワクワクしたぜ」
「あなたは優しいわ」
「そうだろ?お前にはいっとう優しいんだからな」
フィッツはお茶目に笑う。
空気を変えようとしているのを察して目を伏せた。
黒い彼がどんな目でこちらを見ていたのかは、終始わからなかった。
黒いなにかを見た一週間後。
特になにかを見るわけでも、夜に行くことはなかった。
白昼夢でも、なんでも夜に行くのは流石に無理だった。
「ララン。夕食に行こう」
「ふふ、フィッツ。誘ってくれるのはありがたいけど、食欲がなくて」
「そりゃ大変だ。甘いチキンパイの店を知ってる」
「う!食べたい」
「食欲が湧いたようで」
「あ、あなたがチキンの話をするから」
あの日から、フィッツに誘われるようになった。
「お前の笑顔のためなら、情報は逐一入れておく」
「そうか。でも、あなたも忙しい身でしょう」
「そうでもない。お前と同じことだ」
慰めてくれているという事なのだろうか。
なんせ、私は妄想が幻想か幻聴が見えて、聞こえて、語感で盛大に間違えたのだ。
一番見られたくなかった。
照れながら彼の瞳をジッと見る。
それを嬉しそうに見守る彼を見るとなぜか私も嬉しくなる。
(いけない。こんな事をしている場合じゃないのに)
ラランはやることがたくさんある。
例えば本を読むこと。
本を読むことは自身の一部とも言える。
だって、本は己をいろんな世界へと連れて行ってくれる。
フィッツは人間的にできている人で、とてもいい人だ。
友達などと呼べる人は片手ほどしか居ないものの、フィッツはラランと気が合う。
が、恐らく生活スタイルとかはかなり違う筈。
ラランは難しい顔を浮かべて、すっと立ち上がる。
「どうした」
フィッツの純粋な声に罪悪感を覚えて申し訳なくなる。
「少し、少しだけ、そう。用事があって。うん。ちょっと、もう、行くね……?」
相手に悟られないように、そおっと立ち退く。
マングースに睨まれた小動物を思わせる仕草にフィッツは内心ぴくりと心が跳ねた。
なぜいきなり、警戒を思わせる仕草に?
赤い男は首を捻ったが、ラランを逃がすまいと、ニヤリと笑う。
「まあ、そう急ぐことはないんじゃないか?ん?」
ラランは色気のある目に胸が落ち着きを無くした。
無駄に色気を振りまくのは止めてくれ、と言いたかったが、言い掛りだと自分で分かっていたので我慢。
それを、感じ取ったフィッツはふわりと笑う。
「そうだ、美味い店があるって言っただろ。レモンジェラートもあるぜ」
「レモンジェラート」
「レモン二切れ付き」
「二切れも」
ふらふらとラランは食い入る。
お腹が空いてきた。
それを見た提案してきた男はエスコートするように愛車を紹介する。
高級車を愛車とは、余程可愛がっていると見える。
「食べに行こう。な?」
「う、う。でも、くう」
「ララン。イエスと言ってくれ」
「フィッツ……ふふ、ああ。私はなんでか気が引けていた。フィッツ、あの日からあなたがやけに私を気にするから、あの日のことを探られまいと、私に張り付いていると思っていて。あ、いや、別にあの日のことを隠す為に近づいて来ても構わないよ。どんな理由であれ、コミュニケーションを取れるのは、私にとっても悪いことではないから」
「!……ラランッ」
「いやいや、何も言わなくて良いよ。どんな魂胆があっても。話していることは現実だし。いきなり話かけられなくなる日が来ても、悲しいけどそういうことだったって諦める」
「そ、んなことはないっ。絶対に。あの日より前からお前と今みたいに話したくて、きっかけが出来たから俺は舞い上がっているだけだ。喧嘩しても無視したりしないと約束する」
「律儀だね?そっか。気にしてくれていたの。他の人達の中に埋もれるような私に」
フィッツは舌打ちしたくなった。
彼を悲しませる気など微塵もなかったからだ。
こんなふうに思わせることなどするつもりも無い。
「待て。誤解だ。お前の事がかなり好きだ。その、あー。あれだ。人として」
「人として?あはは、フィッツって面白いね」
「そうか?なら、是非食事に行こう。最高の時間にすると約束する」
「え?ただの食事なのに、私は緊張してしまうよ。もっと気軽な感じでお願い」
「それはイエスってことか。よし!」
フィッツの返答にラランは思わず口に手を当てた。
いつの間にか誘導されていたらしい。
全く、完敗だ。
「あ、いや、いまのは違っ」
言いかけて、フィッツの嬉しそうな顔を見ればなんだかそれ以上言えなくなってしまう。
何故か彼に対して己は甘い。
「そ、その。まあ、悪くない」
胸が暖かくなりムズムズする。
一体、あれはなんなのだという人型生物とは、かけ離れていた存在が気になって気になって仕方ないが、そういうのは墓場まで持っていくのが長生きの秘訣なのだと、己でも分かる。
「フィッツ、私は魚料理が好き。あなたは何が好き?」
「俺も特に、サーモンが好きだ。これは喜ばしい展開だな!とっておきの飲み合わせを用意させよう」
フィッツは飛び上がりそうな声音でラランを楽しくさせた。