7.丸腰の初依頼
可奈はリュイティナから北へ向かい、洞窟の手前にある深い森へと足を踏み入れた。周囲は鬱蒼とした木々に覆われ、湿った土と植物の匂いが鼻を突く。丸腰で心許ないが、もはや不安を抱えている場合ではない。
(シャドウラット……体長三十cmほどで集団で襲ってくる。ネズミってことは、動きは速くて不規則でしょうね)
森の中を慎重に進むと、やがて木々の間から薄暗い空き地が見えてきた。そこには、粗末な木と骨組みでできたキャンプがあり、焚き火の煙が上がっている。
そしてその焚き火の周りには、大小様々なネズミのような魔物がうろついていた。体は汚い灰色で、鋭い牙と血走った赤い目をしている。あれが依頼にあったシャドウラットだ。
「よし、あそこね……」
可奈は息を潜め、キャンプの様子を観察した。数は十匹以上。一匹ずつなら問題ないが、集団で襲われたらその素早さに対処するのは難しい。
可奈はプロの格闘家として、まず相手の動きを分析する。
(私の一撃は強力。つまり、いかに一撃必殺のタイミングを見つけるかが鍵になるわ)
可奈は身を低くし、一瞬で距離を詰めた。
最初に目が合った最も大きなシャドウラットに向かって素早く踏み込み、十年間磨き上げた右のローキックを放つ。
バシッという乾いた音が森に響き渡った。人間相手ならこれで足の骨を砕き、戦闘不能に追い込めるはずだ。
シャドウラットは確かに吹き飛んだ。
しかし次の瞬間、地面に叩きつけられたそれはすぐに体勢を立て直し、キャン! と鋭い奇声を発しながら再び可奈に向かって突進してきたのだ。
(えっ!? 今ので倒れてないの!?)
可奈は驚愕した。あの時ドラゴンをも倒したはずの攻撃がなぜか通用しない。
さらに悪いことに、奇声を聞きつけた他のシャドウラットたちが一斉に可奈に向かって襲いかかってきた。彼らは一箇所に固まらず、四方八方から予測不能な軌道で跳びかかってくる。
「くっ!」
可奈は、得意の総合格闘技のディフェンスで、不規則な攻撃を捌き始めた。
一匹が左足に噛みつこうとするのを素早いステップで避け、同時に背後から跳びかかってきた二匹目を体幹を活かしたバックエルボーで打ち据える。
確かに手応えはあるが、魔物は再び立ち上がる。
(硬い! そして動きが速すぎる! 体術だけじゃ相手の再生力と数に負ける!)
可奈はこの時初めて、異世界での戦いの厳しさを痛感した。
格闘技は人間同士の戦いにおける急所を狙う技術だ。しかしこの魔物には明確な急所がない。体のどこを殴っても一時的に怯むだけで、すぐに回復してしまう。
そしてその中で、可奈は一匹のシャドウラットに足を滑らせてしまい、地面に倒れ込んだ。
「しまった!」
その瞬間、四~五匹のシャドウラットが一斉に可奈の体目掛けて噛みつこうと殺到してきた。
可奈は必死に頭を腕で覆い、体幹を丸める。
(このままじゃ噛み殺される! こんなところで……負けちゃいられないんだから!!)
絶体絶命の窮地の中、可奈の視界の隅にキャンプの焚き火が目に入った。
(そうだ!! 武器とか防具は使えなくても、その辺にあるものは使えるはず!)
可奈はすぐに立ち上がらず、低い体勢のままシャドウラットの波を蹴散らしながら焚き火の方へ転がるように移動した。
彼女が火に近づくと、シャドウラットたちは一瞬怯んだように動きを止めた。地球の動物たちと同じで、この世界の魔物も火を恐れるようだ。
可奈はキャンプの火にくべられていた、太い燃え盛る薪を二本掴み取った。
彼女の手に触れても薪は破壊されずそのまま使える。やはり、この世界の魔力的な武具とは違うただの自然物なら問題ないのだ。
両手に炎の武器を持った可奈は、火を恐れて後ずさりするシャドウラットの群れに向かって、一歩踏み出した。
「よくもやってくれたわね!!」
可奈は、両手に持つ薪を総合格闘技の技術と融合させた。
左手の薪でシャドウラットの突進を止め、火傷を負わせて怯ませる。そしてその隙に右手の薪を最も大きなシャドウラットの頭部めがけて、まるで野球のバットのように横薙ぎに振り抜いた。
ドスッという、先ほどとは比べ物にならない重い音。炎の威力を加えた一撃は魔物の分厚い頭蓋骨を砕き、ようやく一匹のシャドウラットを完全に沈黙させた。
(これよ! 火と、重さ! 普通の攻撃じゃ倒せないなら破壊力を上げるしかない!)
可奈は炎を武器に、丸腰の総合格闘技の技術と知恵を融合させ、シャドウラットの群れへと立ち向かっていった。
この異世界での彼女のサバイバルは、彼女の命をかけた創意工夫によってようやく優位に立ち始めたのだった。




