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2.初バトルと違和感

 目立たない様に入り込んだ石畳の路地裏の湿った空気の中に、安酒と体臭が混じった嫌な匂いが漂う。

 現れたのは三人。先頭の男は小汚いナイフを弄び、左右の二人は太い棍棒を肩に担いで勝ち誇ったような下卑た笑みを浮かべていた。


「後ろ盾? ……ああ、あのアホ王子のこと?」


 あたしは王子から投げつけられたボロボロの靴の感触を確かめるように、軽く足首を回した。底は薄くて滑りやすい。だが靴下の状態よりはマシだ。


「悪いけど、あいつはあたしの後ろ盾なんかじゃないわ。むしろ、あいつがいたせいで手が出せなくてイライラしてたところなのよ」

「はあ? 何を寝ぼけてんだ? いいからその服と金を置いていきな!」


 先頭の男が痺れを切らしたようにナイフを突き出し、一歩踏み込んでくる。

 ――あっ、こいつは素人だ。

 重心が高い。顎が上がっている。何より攻撃の予備動作が大きすぎる。あたしにとってそれはスローモーションにも等しい光景だった。


(……まずは一人)


 男がナイフを振り下ろすより早く、あたしは最短距離で踏み込んだ。格闘技の基本のジャブ。拳を握り込み、相手の鼻先に最短距離で突き刺す。

 パァンと乾いた音が響き、男の鼻骨が砕ける感触が拳に伝わる。脳を揺らされた男は何が起きたのか理解できないまま、糸が切れた人形のように背中から崩れ落ちた。


「な、何だテメェ!」


 左右の二人が驚愕に目を見開く。仲間がやられたとわかって動こうとするが、あたしはそれよりも先に一気に間合いを詰めていた。

 左の男が棍棒を振り下ろす前に男の懐に潜り込んだあたしは脇を締め、腰の回転を乗せたボディブローを相手の脇腹へと叩き込む。


「がはっ!?」


 内臓を直接握りつぶされたような激痛に、男は言葉を失いながらその場に膝をついて悶絶する。

 残るは最後の一人。腰が引け、逃げようとする男の背後へ瞬時に回り込む。

 首筋に腕を回し、頸動脈を的確に絞め上げる。そのまま裸絞めの状態に持ち込んでわずか数秒で男の四肢から力が抜け、白目を剥いて地面に転がった。

 一分とかからなかった。

 路地裏には、呻き声すら上げられない三人が転がっているだけだ。


(うー……靴がボロいから踏み込みが甘くなっちゃうわね)


 あたしは乱れた髪を指で整え、落ちていた自分の銅貨袋を拾い上げた。それから気絶した男たちの懐から、彼らが持っていた銀貨数枚を遠慮なく頂戴する。


「慰謝料。……これからはカツアゲする時は気を付けるのね」


 あたしは泥だらけの靴で男たちの横を通り過ぎ、夜の街へと歩き出した。

 だがそこで、ふと足を止めたあたしは自分の右拳をじっと見つめた。


(あれ……おかしい。今のジャブ、あんなに重く入るはずがないのに?)


 あたしの身長は百六十cmそこそこ。対して最初に殴った男は少なくとも百九十cmはあった。体重差にして三十kg以上だろうか。

 本来ならまともに打ち合えばあたしの拳が弾かれるか、手首を痛める展開だ。格闘技において、体重差からなる階級という壁は絶対なのだから。

 なのに、手応えがまるで自分と同じ体格の相手を殴ったみたいだった。


(アドレナリンのせい? いや、それにしたっておかしいってこんなのは)


 あたしは周囲を一度、鋭く見渡した。人影はない。城壁の影、建物の隙間。誰かに見られていた気配も、今のところは感じられない。

 理由を考えても今は答えが出ない。それよりも優先すべきは、この世界で一晩を越すための拠点だ。

 あたしは男たちの懐から掠め取った銀貨の重みを、ポケットの上から叩いて確かめた。


「とりあえず、寝床は確保ね。あのアホ王子に感謝する気はないけど」


 あたしは泥だらけの靴を鳴らし、路地を抜けて大通りへと戻った。



 ◇



 一軒の古びた宿屋を見つけたのは、それから三十分ほど歩いた後のことだった。煤けた看板がいかにも「安宿」という風情だが、今のあたしにはこれ以上ない高級ホテルに見える。


「一晩お願いします。食事も付けてください」

「え……ええっ!?」


 カウンターに銀貨を一枚置くと、眠そうな主人の目が一瞬で剥かれた。お釣りとして返ってきたのは使い古された銅貨が十数枚。どうやらあの野盗もどきたちは意外とお金を持っていたらしい。

 そうして案内されたのは三畳ほどの狭い部屋だった。固いベッドとガタつく椅子しかないけれど、鍵のかかるドアがあるというだけで、あたしの神経はようやく微かに緩んだ。

 運ばれてきたのは黒パンと、具のほとんどない塩辛いスープ。

 お世辞にも美味とは言えない。けれど、喉を通る温かさが自分がまだ生きていることを実感させた。


「何とか、地球に帰る方法を探さないとね……」


 まだこの状況を現実じゃないんじゃないかと思っているその呟きを、あたしはスープと一緒に飲み込んだ。

 脱ぎ捨てたボロボロの靴を眺めながら、あたしは自分の両手を見る。魔力がないと言われ、無能と罵られ、こうやって危険がいっぱいいっぱいの世界へと放り出された。

 けれどあたしのこの拳は、確かに自分より強いはずの男たちを沈めた。

 明日からはこの世界のルールをもっと詳しく知る必要があるだろう。特にあたしのこの「違和感」。

 あたしは泥のように深い眠りに落ちる直前、意識の隅で、あの漆黒の騎士――シグリッドの冷たい瞳を思い出していた。

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