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1.氷の騎士と、不都合な真実

 大広間の重厚な扉が、背後で重々しい音を立てて閉ざされた。王子の罵声が遮断され、代わりに静寂が肌にまとわりつく。

 先導するのは、先ほど壁際に立っていた漆黒の騎士だ。


「……こちらだ。陛下と殿下の裁定が下るまで、この部屋で待機してもらう」


 案内されたのは窓のない、だが贅を尽くした応接室だった。ふかふかのソファに、彫刻の施されたテーブル。監獄というには豪華すぎるが、扉の前には二人の衛兵が立っているので逃げ場はない。

 あたしは勧められるままにソファへ深く腰を下ろした。緊張を解くためではない。いつでも次の動作に移れるよう骨盤を立て、重心を安定させるためだ。


「……まずは、名乗らせてもらおう。私はカサス王国騎士団長、シグリッド・ロンバルノ・ブローマンだ。先ほどまでの無礼は騎士として、そしてこの国の人間として深く詫びる」


 シグリッドと名乗った騎士はあたしの正面に座ると、深々と頭を下げた。その所作には一点の淀みもない。

 顔を上げた彼の瞳は、やはり氷のように冷ややかで同時に恐ろしいほど澄んでいた。


「丁寧なご挨拶、痛み入ります。あたしは原田可奈。……それでシグリッドさん。詫びるというならまずは現状を説明してもらえますか? あたしは一体どこに呼ばれて、これからどうされるのか」

「単刀直入に言おう。ここはエンヴィルーク・アンフェレイアという世界のカサス王国。君のいた世界とは異なる、魔力が全てを支配する世界だ」


 シグリッドの声は淡々としていた。

 彼が語るには、このカサス王国は自然が多いために常に魔物の脅威に晒されており、それを退けるために異界から聖女を召喚したのだという。

 本来なら聖女は王族と結ばれ、その魔力で魔物たちから国を守護するはずだった。


「だが……先ほど魔術師が言った通り君には魔力が宿っていない。魔力なき聖女は、王家にとって失敗作でしかないのだ」

「失敗作、ね。勝手に呼んでおいて随分な言い草じゃないですか」


 あたしは鼻で笑った。

 要するに期待したスペックに達していないから、勝手に決められていた婚約を勝手に破棄。それどころか、用済みだから存在自体が邪魔だと言っているわけだ。


「ロジャー殿下は君を追放しろと命じている。この国において、魔力を持たぬ者が野に放たれることが何を意味するか、君には想像もつかないだろう」

「つまりそれって死ねってことですか?」

「それに近い。盗賊や魔物が跋扈する外の世界で、守る術を持たぬ者はただの餌になるんだ」


 シグリッドの視線が、あたしの指先から足元までを撫でるように動く。彼は何かを値踏みしていた。


「原田可奈。一つ、聞いてもいいか」

「何ですか?」

「君は、あの場で殿下が投げた置物を……見えていたな。いや、当たる前から避けていた。あれは魔法による強化ではない。君は何者だ?」


 その問いにあたしは薄く笑みを浮かべた。

 ようやくまともな会話ができる相手が現れたようだ。


「ただのフリーターですよ。……理不尽な出来事から生き抜くための技術を齧っているだけの一般人です」



 ◇



 応接室での対話が終わり、あたしは再び謁見の間へと引き戻された。

 そこには、先ほどよりもさらに傲慢な笑みを深めたロジャー王子が待ち構えていた。


「……ふん。無能な聖女など、そこらの石ころも同然だ」


 ロジャーは手元の従者に目配せをした。従者が持ってきたのは一足の古びた、あちこちが擦り切れて泥に汚れた革靴だった。

 およそ王宮にあるべきではない、ゴミ同然の代物だ。


「貴様のような地味な女にはこれが似合いだ。それとこれを持ってさっさと失せろ」


 ロジャーはそのボロボロの靴をあたしの足元へ放り投げた。続いて数枚の銅貨が入った小さな袋が床に投げられた。


「それが貴様の命の値段だ。せいぜい飢えた犬に噛み殺されぬよう足掻くがいい」


 広間に、貴族たちの下品な嘲笑が響き渡る。あたしは黙って足元の靴を見つめた。……なるほど。自尊心を粉々に砕き、絶望させて追い出すのがこの男のやり方らしい。


「……ありがとうございます。頂戴いたしますわ」


 あたしは表情を一切変えず、その泥まみれの靴を拾い上げ迷いなく履き替えた。

 バイト先で履いていたスニーカーよりもずっと履き心地は悪いが、着替えて後は靴を履くだけの所だったので、靴下のままで石畳を歩くよりはマシだ。

 顔を上げると、ロジャーが「なぜ泣き叫ばないのか」と言いたげな不満そうな顔であたしを睨んでいた。

 あたしはそんな彼を視線の端に追いやり、背後に控えるシグリッドにだけ短く会釈をした。


「……お世話になりました」


 それだけ言い残し、あたしは重厚な城門へと向かった。



 ◇



 背後で巨大な門が閉まる。

 重い金属音が響き、あたしは文字通り見知らぬ異世界の城下町へと放り出された。夜の帳が下り始めた街並み。石造りの建物が並び、松明の炎が怪しく揺れている。

 行き交う人々は、ボロボロの靴を履き場違いな現代の服を着たあたしを奇異な目で見て通り過ぎていく。

 あたしは懐の小銭袋を確かめた。銅貨が五枚。この世界の物価は知らないが、恐らく数日分も持たないかもしれない。


「……あーあ。本当に、人生って平等じゃないわね」


 だが、あたしの心は折れていなかった。むしろ格闘家としての闘争心が静かに、だが確実に熱を帯び始めていた。

 あたしは泥だらけの靴で、一歩異世界の地面を踏みしめた。


(とりあえず、この靴じゃ踏み込みが利かないわね。まずは仕事……。それも、手っ取り早くお金を稼ぐ方法を探さないと)


 その時。

 背後の暗がりから下卑た笑い声と共に、数人の男たちが姿を現した。


「……おい、姉ちゃん。見てたぜ。その見慣れないいで立ちってことは聖女様だろ。だけど城から追い出されたってことは、もう後ろ盾はねえんだろ?」


 人生は不平等だ。だからこそあたしは格闘技を選んだのだ。

 理不尽な悪意を、その喉元から叩き潰すために。

シグリッド・ロンバルノ・ブローマン

28歳。職業カサス王国騎士団騎士団長。

公爵家の長男で王国でも指折りの貴族の出身。代々騎士団に所属している騎士の家系であり、彼もまた騎士団に入団するのは当然といえば当然だった。

クールな性格で感情を表に出すことは少ないものの、やると決めたことは最後までやり通す有言実行タイプの人間でもある。その黒い鎧に包まれた姿と、冷静沈着に任務をこなすことから「氷の黒騎士アイス・ブラックナイツ」の異名を持つ。

武器は何でも使えるが、ロングソードと槍が得意。

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