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11.まだ追うの?

 可奈が洞窟の奥へと姿を消した後、シグリッドは岩壁に背を預けて懐から銀細工の施された小さな水晶体を取り出した。

 魔術通信機。特定の周波数の魔力を通じ、遠方の相手と音声を繋ぐ貴重な魔道具だ。


「……こちらシグリッド。殿下、聞こえますか」


 シグリッドが水晶に魔力を流し込むと、数秒のノイズの後に苛立ちを隠しきれないロジャー王子の声が響いた。


『シグリッドか! 遅いぞ、何をしている! 例の女……原田可奈は見つかったのだろうな!?』

「はっ。リュイティナ近郊の洞窟にて、彼女の足取りを捕捉いたしました。……ですが、報告せねばならぬ事態がございます」


 シグリッドは、わざと苦しげに息を吐き、歪んだ胸当てを指先でなぞった。


「洞窟内にて、ブラウンドラゴンの生き残りと遭遇いたしました。激戦の末、手負いの個体であったため退けましたが、私も負傷し、その混乱に乗じて彼女を逃してしまいました。申し訳ございません」

『何だと!? 騎士団長ともあろう者がたかがトカゲ一匹に手こずって、あの女を見失ったというのか!』


 水晶の向こうでロジャーが歯噛みする音が聞こえるが、シグリッドは表情一つ変えず冷静に言葉を重ねた。


「あの女には、魔力を持たぬがゆえの異常な逃走能力があるようです。深追いすれば騎士団の戦力をさらに削ぐことになりかねません。ここは一旦、捜索を打ち切るべきかと――」

『黙れ! 打ち切りなど許さん!』


 ロジャーの怒声が、静かな洞窟に反響する。


『あの女は俺をコケにした。俺が捨てたゴミが、俺の騎士団にもできないドラゴン討伐を成し遂げたなどという不名誉をこの俺が許すと思うか!? シグリッド、貴様に命ずる。手段は問わん!! 兵を増員しても構わん!! その女を捕らえて俺の前に引きずり出せ。死なない程度にな』


 通信が一方的に切られ、水晶から光が消えた。

 シグリッドは深いため息をつき、通信機を懐に仕舞い込んだ。


「……救いようのない愚かさだな」


 彼は独り言ちると、自身の傷ついた甲冑を見つめた。

 ロジャーは不名誉を消すために彼女を追う。だが、追えば追うほど彼自身の無能さが浮き彫りになることにまだ気づいていない。

 シグリッドは立ち上がりマントの汚れを払った。命令は「追跡」だ。ならば彼はその命令を忠実に、かつ自分自身の目的のために遂行するまでだ。


「さて、ではもう一度追いかけるとしよう」



 ◇



 リュイティナの街に戻ったあたしは、真っ先に冒険者ギルドへと向かった。

 受付のカウンターに討伐の証拠であるキング・シャドウラットの巨大な前歯を置くと、周囲の冒険者たちからどよめきが上がる。


「……信じられません。あの洞窟の主を、本当にその身一つで?」

「ええ。まあ、色々工夫はしましたけど」


 あたしは努めて平静を装い、差し出された報酬の金貨を受け取った。

 ずっしりとした重み。でもそれ以上に今のあたしを満たしているのは、戦いの中で掴んだ「確信」だった。


(やっぱり、あたしの力は『相手と対等』になるためのものなんだわ)


 雑魚には苦戦し、強敵には手が届く。万能ではないのでシチュエーションによっては不便な力だとは思うけれど、格闘家としてこれほど公平なルールはない。相手がどれほど魔術で着飾ろうと、あたしの前ではただの「一対一」に引きずり下ろされるのだから。


「さて、次は……。あんまりのんびりもしてられないわね」


 ロジャー王子が追っ手を差し向けてくる可能性は高い。

 あたしは掲示板から、さらに遠方の街へと続く護衛の依頼を剥ぎ取った。この街に留まるより移動しながら力を蓄えるべきだ。

 そのままギルドを出て西日に照らされた大通りを歩いていると、広場の噴水の影に見覚えのある長身の男が立っていた。

 漆黒の甲冑は手入れされ、傷跡もマントで巧みに隠されている。


「……シグリッドさん?」


 あたしが声をかけると、彼は静かにこちらを振り向いた。その青い瞳には王宮での険しさはなく、どこか吹っ切れたような穏やかさが宿っている。


「早いな。依頼の報告は済ませたか」

「ええ、まあ。でもどうしてここに? 見逃してくれるんじゃなかったんですか?」


 あたしが警戒を込めて尋ねると、シグリッドは一歩歩み寄り声を潜めた。


「言ったはずだ、追跡は続行すると。……殿下には『取り逃がしたが、引き続き私が追う』と報告してある。私が君の側にいれば、他の無能な追っ手に君の居場所を悟られることもない」

「それってまさか、あたしと一緒に来るつもりですか?」

「この世界は広い。君は強いが、召喚されてまだ時間が全然経っていない。ということはこの世界の常識や地理、魔物の特性については余りに無知だ。となればこの世界の案内人が必要だろう?」


 シグリッドはそう言って、懐から一枚の古びた地図を取り出した。カサス王国最強の騎士が、王命を盾にあたしの逃亡を手助けしようとしている。


「本当に……いいんですか? あたし、結構わがままですよ」

「承知の上だ。君の『平等』がこの世界をどう変えていくのか。それを見届けるためなら、多少の苦労は厭わん」


 あたしは思わず、ふっと笑ってしまった。

 一人きりで放り出されたこの異世界。でもまさか自分を追い出した国の騎士団長が、最初の相棒になるなんて。


「……わかりました。よろしくお願いしますね、シグリッドさん。でも、あたしのトレーニングに付き合ってもらう時は手加減しませんから」

「望むところだ。さあ行こう。まずはこの先のカサス王国最大の通商都市を目指す」


 あたしたちは夕闇に染まり始めた街を背に、新たな旅路へと足を踏み出した。

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