4 夜伽を衆目にさらす方法
父から本を渡されてから数日経った、ある日のこと。
父王に呼び出されたノツィーリアは、玉座の間に入るなり唖然とせずにはいられなかった。
なぜならそこには、父王が忌み嫌っていたはずの魔導師が立っていたからである。
魔導師の象徴である真っ黒なローブをまとう男を、ノツィーリアはじっと見つめた。
ぼさぼさな青髪。目は三日月形の弧を描いていて、不気味な笑顔を血色の悪い顔に貼り付けていた。
骨張った手に、絵葉書よりやや大きめの板を持っている。ガラス製ではあるものの、何も映っていないため鏡ではないようだった。
ノツィーリアより少し年上とおぼしき男の傍らには、望遠鏡のような筒が三脚の上に取り付けられていた。
その望遠鏡風の筒は、二人並んだ近衛兵の方に向けられていた。
ノツィーリアが初めて見る魔導師や魔道具に目を奪われていると、父王がぞんざいな口ぶりで命令を投げ付けてきた。
「貴様は母親に似て胸は豊かだが、全体的に痩せすぎだ。その体付きでは客の求める体型にはほど遠い。今日から食事の量を増やすゆえ、残さず食べるように」
(だったら、食べられるものを与えてくださればいいのに)
表情は変えずに、頭の中だけで口答えする。
ノツィーリアは食が細いわけではない。まともに食べられる食事が提供されないだけなのだ。
おそらく調理場では父王たちに出される料理と同様に、素晴らしくおいしいものが日々作り出されているのだろう。しかし自室に運ばれてくる間に、ノツィーリアの専属メイドたちが様々な細工をしてくるため、食欲が失せてしまうのだ。つまみ食いをしてわざと歯形を残したり、小さな虫や埃を付け足したり。あるいは掃除の際に発生したであろう不潔な水を混ぜたりもしてくる。
昔は疑いもせずに食べてしまっていたようだったが、今ではわずかな異常も感じ取れるようになってしまった。
そもそも『今日は気づかずに食べるかな』と目を爛々とさせている顔を並べ立てられる中では、空腹感もどこかへ行ってしまう。せっかく手の込んだ料理を作ってくれた料理人たちに心の中で謝りながらも、ほとんど手を付けずに残し続けてきた。
その結果が、『姉姫は食にうるさくわがままだ』と言われる原因となっているのだった。
魔導師に視線を戻す。不健康な顔色をした青年が鏡のようなガラス板を指先で叩くと、瞬時に絵が描き出された。
それを顔の横に掲げてゆっくりと向きを変え、父王とノツィーリアの両方に見えるように動かす。
「便利なものであるな、魔法というものは」
父王の呟きを聞きながら、ガラス板を注視する。そこに描かれているのは絵ではなく、望遠鏡が向けられた方向に立つ二人の兵士のようだった。しかし――。
(魔法であんなこともできるの……!?)
望遠鏡で捉えた人物が別の板に映し出されるだけでも驚くべきことなのに、さらには二人並んだ兵士のうちの片方は、輪郭のあいまいな人影になっていた。
父王がその魔法の目覚ましさに満足げに頷いたあと、意図を説明する。
「こうして客の姿は隠しつつ、貴様が務めを果たしている様子をその場にいない者にも観覧できるようにするのだ。この板は一日五十万エルオンで貸与する。こうすれば、一晩で複数名を相手するより貴様の負担も軽くなろう。我が温情に、感謝するのだな」
「……!」
ひゅっ、と喉が音を立てる。
(なんておぞましい発想なの! こんなの大勢の人の前で犯されるも同然じゃない……!)
一瞬にして視界が暗くなる。全身が震え出し、ふらつきそうになったところを辛うじて踏みとどまる。
(魔導師の力を恐れて迫害して、追放までしたというのに。こんなにも低俗な用途に魔法を使わせるなんて、魔導師に対する冒涜だわ……!)
ノツィーリアはかつて一度だけ、『魔導師を迫害しないで欲しい』と父王に進言したことがあった。母が語ってくれた思い出話の中の魔導師は、決して悪い人ではなかったからだ。
適正に保護し、その力を遺憾なく発揮できるように環境を整えてあげれば国民の生活もより豊かになっただろう。しかしノツィーリアの主張は、父王はおろか大臣たちの興味も引けなかった。
魔導師たちは、夜逃げ同然に国外逃亡する羽目になった。
ノツィーリアは、父王への説得のかなわなかった自身を情けなく思うとともに、彼らに胸の内で詫びる以外に何もできなかった。
父王がこうして疎んでいた者すら利用してまで金稼ぎをしようとするあたり、いかに王家の財政が逼迫しているかをうかがわせる。
ノツィーリアが奥歯を噛み締めて涙と呼吸の乱れとをこらえていると、魔導師がガラス板を指先で軽く突いて描かれていた絵を消した。
続けて望遠鏡を回して、ノツィーリアの方にレンズを向ける。
再び鏡のような板の中心が叩かれた瞬間、沈鬱な表情で立ち尽くすノツィーリアの全身が映し出された。まばたきを繰り返せば板の中の自分も同時に細かく睫毛を上下させる。
「国王陛下、こちらをご覧ください~」
楽しげな声で呼び掛けた魔導師が、親指と人差し指をガラス板の表面に添える。
二本の指で何かを掻き集める風に指先が数回閉じられると、板の中の絵は玉座の間の壁一面を映し出した。
続けて今度は、隙間を押しひらく風な手付きで指の間の距離を広げていく。すると望遠鏡が徐々に近づいてくるかのようにノツィーリアの上半身だけが映し出され、しまいには顔が映るだけとなった。自分の顔が驚きを示していることに気づいたノツィーリアは、とっさに望遠鏡から顔を背けた。視界の端で、板の中の自身も銀髪に顔を隠す。
「このように、顔も体も隅々まで鑑賞できちゃうんですよ~」
さも愉快そうに説明する魔導師が、くくくっ、と耳障りな笑い声をもらした。小馬鹿にした風な声を聞かされて、全身に悪寒が走る。
客とまぐわう光景を、不特定多数の人間に観察されるのみでは済まされないらしい。
今まさに見せ付けられたように、それぞれの人の手元で気軽に自分の顔や体の一部が大写しにされる。お務めの最中は当然、薄着か全裸姿にされるのだろう。
ノツィーリアは両手を握り締めて恐怖と怒りを抑えこむと、父王と目も合わせず頭を下げて去ろうとした。
「待たぬか。まだ話は終わっておらぬ」
足をとめ、元の位置に戻って父王と改めて向かいあう。玉座からは視線は返ってこなかった。
父王が魔導師に目配せする。すると魔導師は一歩踏み出すと、ノツィーリアに向かって手のひらを上にした手で指差してきた。
意図が分からず困惑した次の瞬間、指が打ち鳴らされた。
軽快な音が玉座の間に響き渡った瞬間、魔法の光の輪が腰回りに出現する。その輪は瞬く間にノツィーリアの体を締め付けるように収束した。
『一体何の魔法をかけたのですか』――ノツィーリアがそう問い掛けようとした矢先、魔導師が口の端を吊り上げた。
「避妊魔法を施しました。これでお客様は思う存分、何の憂いもなく楽しめるってわけです」
「……!」
愉快そうな魔導師の視線、そして満足げに頷く父王の態度に心を引き裂かれたノツィーリアは、たまらずその場から逃げ出した。