2 異母妹とメイドの仕打ち
「あらあ? お姉さま、このような場所に座り込んで、何をなさっているのです?」
「っ……!」
今一番聞きたくない声が聞こえてきた。手のひらで口を隠しつつ振りあおぐ。
そこには腹違いの妹ディロフルアが立っていた。ぜいたく三昧で太った体を無理やりドレスに詰め込んでいるせいで、繊細な生地で作られた衣装は形がゆがんでいる。
その隣には婚約者のユフィリアンが並び立っていた。二人の共通点である淡い金色の髪が、ランプの灯りを帯びて輝いている。
ノツィーリアが何も答えずにいると、茶色の瞳が扇子の端から軽蔑のまなざしを向けてきた。
「まあ! お姉さまったらびしょぬれではありませんか。なんと汚らわしい。さすがいやしい娼婦の娘ですこと」
「……!」
(お母様は娼婦なんかじゃない! お父様がお母様を監禁して犯したというのに……!)
その思いは言葉にはできなかった。反論すれば、その場では白けた目付きをして去っていくものの、あとからノツィーリアの専属メイドを通して反撃してくるからだ。陰湿なやり口で、肉体的にも精神的にも執拗になぶってくる。
辛辣な言葉を聞こえよがしに浴びせてきたり、持ち物を隠したり、食事にごみをまぶしたり、ソファーやベッドに針を仕込んだり。
数々の嫌がらせを思い起こせば、今まで散々痛め付けられてきた心と体はたちまち萎縮してしまう。
妹のすぐ隣で、妹の婚約者ユフィリアン・シュハイエルが眉をひそめてノツィーリアを見る。きっと、ノツィーリアの王族らしからぬ振る舞いにあきれているのだろう。
早くどこかへ行って欲しい――。そんなささやかな願いは、妹の弾む声に打ち砕かれた。
「ああ、もしかしてお父さまから例のお話を聞いたのですか? それでショックを受けてそのザマですの? 王族たる者がなんと情けないこと。そうは思いませんこと? ユフィリアン様」
「そうだね、ディロフルア」
問い掛けられた婚約者が何度も頷く。公爵家のひとり息子である彼は、妹がどんなに理不尽なことを言おうとも常に全肯定する。シュハイエル公爵家の悲願である王家の一員に加わることができるとあって、その座を逃すまいと必死になっている様子がうかがえる。
婚約者の返事に妹は満足そうに目を細めると、扇子でひと仰ぎしてから再び口元を隠した。
「せいぜいお励みなさいな。わたくしには遠く及ばぬ程度の美しさとはいえ、見た目しか取り柄のないお姉さまには大変お似合いのお務めですわ。かわいい妹であるわたくしの盛大なる婚儀の資金をそのお体で稼ぎ出してくださるなんて、素晴らしく妹思いのお姉さまですこと」
王妃によく似た高笑いが廊下に響き渡る。ディロフルアはひとしきり笑い声をノツィーリアに浴びせ掛けたあと、ヒールの音を鳴らしながら去っていった。
ディロフルアの思い描く理想の婚儀は現在資金難に陥っており、遅々として準備が進んでおらず、日程は延期に延期を重ねていた。日頃から大臣たちに、いくつかの点においてグレードを下げて費用を抑えるように説得され続けている。しかし、わがまま放題に育てられてきた妹はまったく聞く耳を持たない。日ごろ廊下に響く金切り声は、婚儀の準備の遅延を臣下に八つ当たりする妹の声だ。
しびれを切らした妹が父王をせっついた結果、父王はノツィーリアを利用することにしたのかも知れない。
『ノツィーリア姫は悪女である』という噂は、常に城内を駆け巡っている。
ぜいたく三昧なのは姉姫ひとりだけだとか、面倒くさがって公務に出てこない等。
重税を課さざるを得ないのは姉姫に全責任があると、城仕えの者も国民もみな信じている。
父王は、そうして国民の不満を自分たちから逸らすために、ノツィーリアを盾にし続けていた。
そんな悪名高いレメユニール王国第一王女に同情を寄せる者など、この国にはどこにもいない。
ノツィーリアがしばらくその場を動けずいると、第一王女の専属メイドたちがバケツやモップ、雑巾を手にぞろぞろと歩み寄ってきた。主人であるはずのノツィーリアが座り込んでいても、手を貸そうともしない。彼女らはノツィーリア付きとは名ばかりで、完全にディロフルアの言いなりになっているのだ。
「まったく、面倒な仕事を増やさないでいただけます?」
「妹君と違って、姉姫様は大変不出来でいらっしゃること」
「ディロフルア様から姉姫様のお務めについて伺いましたよ? ようやく王家に貢献することができて、よかったですねえ」
「毎夜殿方をとっかえひっかえできるなんて、亡き側妃様ゆずりの美貌と肉体を活かせる最高のお務めではございませんか」
メイドたちが一斉に笑い出す。
ノツィーリアは涙をこらえつつ立ち上がると、嘲笑を背に受けながら廊下を駆け出した。
***
凍える指先に息を吹き掛ける。白い吐息が、冷え切った風にさらわれていく。
ノツィーリアは冬の凍てつく寒さの中、石造りのバルコニーに佇んで王城からの景色を眺めていた。今はそれくらいしかすることがなかった。なぜなら水に濡れた衣服を着替える間もなく、専属メイドたちから『掃除の邪魔よ』と外に放り出されたからである。
厚い外套をまとったところで濡れた部分の冷たさと足元から忍びよる寒さは防げず、徐々に体温が奪われていく。
「寒い……」
自分を抱き締めるようにして二の腕をさすりはじめれば、ガラス扉の向こうから下品な笑い声が聞こえてくる。振り返らずとも分かる、ノツィーリアの無様な姿を見てメイドたちが嘲笑しているのだ。
彼女らは、主人であるノツィーリアのために掃除しているわけではない。厳格な侍女頭が抜き打ちで仕事ぶりを確認しに来るため、仕方なく働いているのだ。渋々手を動かしているせいか、とにかく仕事が遅い。
今日は、早朝にノツィーリアを叩き起こして掃除したばかりだというのに、わざわざもう一度掃除している。それは明らかに、水に濡れたノツィーリアを外に追い出して、寒がる姿を見て面白がろうという魂胆だった。もし侍女頭に『なぜまた掃除しているのですか』と追及されても、『姉姫様が部屋を汚したから』とでも言い訳をするのだろう。
側妃であったノツィーリアの実母が殺められたのは十七年前、ノツィーリアが六歳の頃。
以降、ノツィーリアは義母である王妃や三歳年下の異母妹から虐げられ続けている。
彼女たちから直接手を下されること自体は数少ない。とはいえ王妃と第二王女の息の掛かったメイドたちが、日々飽きもせずに様々な嫌がらせをしてくるのだった。
国王である父は、有名な踊り子だった母がキャラバンを率いてこの国を訪れた際、その美貌の虜になったのだという。
まず母ひとりを歓待するという名目で王城に呼び付け、拒否できずに登城した母を監禁した。
その上で、キャラバンの人々全員の殺害をほのめかして母を折れさせるという強引な手を使い、母を召し上げた。それほどまでに、父王は世界に名を轟かせた踊り子に熱を上げていた。
そのおかげか母が存命の頃は、ノツィーリア自身もかわいがられてはいた。
しかしノツィーリアがあまりにも母親に瓜二つで父王にまったく似ていないせいか、父王は、一人目の娘に対する関心は薄かった。ノツィーリアの銀髪も黄金色の瞳のどちらも、母から受け継いだものだ。
母が王妃に毒殺されて以降は、ノツィーリアにまったく関心を示さなくなった。食堂に入ることを禁じられているため、父王から呼び出されない限りは会話する機会もない。義母と異母妹の虐待行為を黙認するどころか後押ししている節もある。
そのため、この王城にノツィーリアの味方は誰ひとりとしていなかった。
そんな孤独なノツィーリアの心を支えてくれるのは、優しい母との思い出。雪のちらつく中で母とバルコニーに並び立ち、雪景色を眺めたことを脳裏によみがえらせる。
雪化粧の施された山々の向こうには小さな隣国、そしてその向こう側、海峡を挟んだ先にはリゼレスナ帝国という大国がある。
世界を巡る有名なキャラバンの一員として、母はどちらの国にも訪れたことがあった。温かく迎え入れてもらえたという思い出話を、母はよく語り聞かせてくれたものだった。
山から反対側に目を向ければ、遠くに港町が見える。
元平民だった母は、街へとよく行きたがった。母に甘い父王から禁じられることもなく、ノツィーリアを連れて街へと出かけては、国民と交流していた。
今のノツィーリアと同じく腰までの長さの銀髪、黄金色に輝く瞳を持つ母。色白で、すらりと伸びた手足。その美貌と華麗な舞とで世界中を魅了した母は、国民たちからも慕われていた。そしてその娘であるノツィーリアも、大歓迎された覚えがある。
二十年前から始まった寒冷化により、港町は寄港する船と漁獲量が減少傾向にあった。しかし当時はまだ賑やかさは衰えておらず、国民の笑顔に囲まれた記憶は今でも鮮明に思い出すことができる。
心に湧き立つ温かさに浸っていると、不意に背後から乱暴にガラス扉を叩く音が聞こえてきた。突然の大きな音に肩が跳ねる。ようやく本日二度目の掃除が終わった合図だった。
扉を開けば途端に温かな空気が顔に染み込んでくる。外と室内との温度差に、全身が震え上がる。
二の腕を押さえてがたがたと歯を打ち鳴らしていると、メイドたちが揃ってにやりと笑った。
「大げさに震えて寒かったアピールなさるなんて、みっともない御方ですこと」
「務めを終えた私たちにねぎらいの言葉もくださらないのですね。きっと私たちのような下々のものは、『私のために働くのは当然だわ』と思っていらっしゃるのでしょう?」
「あ、ありがとう……」
「なんですかあ? 聞こえませんねえ」
ぎゃははは、と下品な笑い声がノツィーリアの言葉を掻き消す。
深くうつむき長い髪で顔を隠して、嵐が去るのを待つ。
しばらくそうして耐えていると、メイドたちは舌打ちをしたり鼻で笑ったりと様々な不快な仕草をしたあと、『あーあ。嫌なお仕事がやっと終わったわ』と言い残して部屋を出て行った。
ひとりきりになった部屋に、静寂が戻ってくる。
室内に戻ってきて体が温まりつつあっても、心は冷え切ったままだった。