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11 冷徹皇帝の真摯さ

 ノツィーリアは、ぎゅっと目を閉じて涙を抑え込んだ。強い決意をもって、背後に座るルジェレクス皇帝に振り向き、震える両手を膝の前に揃えてシーツに頭をつける。


「ルジェレクス皇帝陛下。この身を()()(よう)にしていただいても構いません。どうか民だけは、(あや)めないでいただけないでしょうか」

「ノツィーリア姫! そなたが頭を下げる必要はない、顔を上げてくれ!」


 驚きをにじませる大声に、ノツィーリアの方こそ驚いて素早く体を起こす。するとルジェレクス皇帝は先程までの落ち着いた態度から一変、赤い目を見開いていた。どこに触れたものかと迷う風に、両手を宙にさまよわせている。


「不安にさせてすまない! そなたに無体を働くために連れ出したわけでは決してない。シアールード、ただちにそれを片付けよ!」

「はいよ~」


 魔導師がパチンと指を鳴らした瞬間、望遠鏡状の魔道具が消え去った。

 ルジェレクス皇帝がノツィーリアを見て安心させるような笑みを浮かべて、その真意を説明する。


「複数人をまとめて飛ばす転移魔法は同じ環境である方がやりやすいと、そこの魔導師が言うのでな。寝室の内装から魔道具の設置位置まで、すべて統一しておいたのだ」

「そうだったのですね……」


 早合点だったと判明すれば、つい今し方の礼を欠いた発言に心苦しさを覚える。


「わたくしめをお助けくださったにもかかわらず、恩人を疑うような真似をしてしまい、大変申し訳ございません……!」


 ノツィーリアは再び両手を膝の前で揃えて頭を下げると、シーツに額をつけた。


「顔を上げてくれ、ノツィーリア姫。こちらこそすまない。そなたとの一晩を金で買うなどという無礼を働いてしまった」

「いえ、そんな……」


 体を起こし、ルジェレクス皇帝に向かって首を振ってみせる。

 すると今度は別方向から声を掛けられた。


「……ノツィーリア姫」


 呼び掛けに振り向けば、妹の元婚約者ユフィリアンと目が合う。改めてその姿を見ると、髪の色が金から赤、瞳の色が青から緑に代わっていて、同一人物だということに驚かされてしまう。


「あなたは帝国の方だったのですか?」

「はい。私の真の名はユフィオルト・ルヴセノアと申します。十年前、リゼレスナ帝国がレメユニール王国より国交断絶を通告されたのち、王国の偵察のために帝国より送り込まれた者です」


 無表情だった緑色の目が、ふと切なげに細められる。


「ノツィーリア姫。貴女様のこと、長らく見捨ててきてしまい、大変申し訳ございませんでした。貴女様を庇えば妹姫の怒りを買う恐れがあったため、妹姫の狼藉をとがめることが叶わず……」

「いえ! その節は私の命をお救いくださったこと、心より感謝申し上げます」


 自害しようとしたところを彼に引き留めてもらえなければ、今ごろ私はここにはいなかった――。

 思い返せば助けてもらった瞬間、背中に手を添えて衝撃を和らげてくれていた。あの行動は、妹にとがめられずに済む最低限の優しさだったのだろう――。

 温かな思いを抱きつつ、命の恩人に微笑み掛ける。ユフィオルトはノツィーリアとまっすぐに視線を合わせると、わずかに口元を綻ばせた。

 続けて皇帝に視線を移し、胸に手を置く。


「ルジェレクス皇帝陛下。私は準備が整い次第、再びレメユニール王国に戻り、シュハイエル公爵と合流し、混乱を収めて参ります。あとのことはお任せください」


 静かに頷く皇帝に向かってユフィオルトは深々と頭を下げると、部屋を出て行った。

 その後ろ姿を横目で追っていた魔導師が、肩をすくめてため息をつく。


「やれやれ、人使いが荒いこって」

「すまぬな、シアールード。何度も転移魔法を使わせて」

「へいへい。あいつの準備を待つ間、ちょっくら休んで来ますわ。じゃあね~」


 魔導師は皇帝とノツィーリアに向かって雑に手を振ると、その場で忽然と姿を消した。




 寝室に静寂が訪れる。

 ノツィーリアは、立て続けに見せられた魔法というもののすごさに驚嘆させられっぱなしだった。

 つい率直な感想を洩らしてしまう。


「あの方は、凄まじい力をお持ちなのですね」

「ああ。力があまりに強大すぎるゆえ、魔導師の間でも奴を生かしておくべきか殺してしまうべきかと意見が分かれ、争いを起こしておったのでな。余が横からかっさらってやったのだ」

「そうだったのですね……」


 あれほどまでに強力な魔導師を連れ去ることができたと事もなげにいう。

 皇帝もまたすごい人なのだなとノツィーリアはしみじみ思いつつ、その顔をじっと見つめた。

 健康的な浅黒い肌、艶やかな黒髪。睫毛は長く、目蓋を伏せれば目もくらむような色気を漂わせる。その姿は冷徹皇帝と呼ぶにはあまりに美しく、物語に出てくる麗しの騎士を具現化したかのような姿だった。

 宝石のように煌めく赤い瞳が、ふと傍らに視線を投げる。


「そなたの父は、魔導師という存在の有能さを見抜けず迫害までしておったな。此度の作戦では、それが幸いした。もしもレメユニール王家でも魔導師を擁していたならば、国王に魔道具の利用を持ち掛けられなかっただろうからな。……いや、シアールードは隠密魔法も得意だから、あるいはどうにかできた可能性もあるが……」


 顎に手を当てて思案に耽る。

 しかしすぐに腕を下ろすと、ノツィーリアを見て少しきまずげに口元を微笑ませた。


「すまぬ、話が逸れてしまったな。先月、そなたが売りに出されると間者から報告が上がってきた際、あまりに下衆な発想にあきれ果て、また国王のそなたに対するむごい仕打ちに怒りすら覚えていたのだが……。それを聞き付けたシアールードが此度の作戦を思い付き、余に提案してきたというわけだ。金を積めば国交を断絶している敵国の元首であろうとも招き入れる、国王の愚昧さが幸いした」

「あの魔導師様が、作戦まで考えてくださったのですね」

「ああ、奴の発想にはいつも驚かされておる」


 父王の愚かさに救われる形となったことを教えられれば、最後に見た父の屈辱にゆがむ顔が脳裏に浮かんでくる。


「ルジェレクス皇帝陛下。国王たちの処遇は、どうなさるおつもりなのでしょうか」

「様子を見てみるか?」

「えっ?」


 意外な返答にノツィーリアが目を見開いていると、皇帝がサイドテーブルに手を伸ばし、絵はがき程度の大きさのガラス板を取り上げた。

 そこには牢屋を見下ろす角度の絵が描き出されていた。映るのは、うなだれる父王と青ざめた王妃そしてディロフルア。妹だけが、この期に及んで怒り心頭といった真っ赤な顔をして、鉄格子をつかんで外に向かって叫んでいる。


「まとめて地下牢に放りこんである。そなたを苦しめていたメイドたちもな」

「彼らは……処刑されるのですか」

「そなたが望むのであれば、すぐにでも」


 そう言って視線を返してくる瞳は、瞬時に全身が凍りついてしまいそうなほどの冷酷さを帯びていた。決して容赦はしないとその眼光が告げている。ノツィーリアが頷けば、ただちに皇帝から(めい)が下され、牢の中で断罪が行われるのだろう。


「処刑なんて、そんな……」

「そなたの扱いはユフィオルトから聞いておる。奴らが憎かろう?」

「私が彼らから虐げられてきたのは事実です。しかし彼らを処したところで母は喜びませんし、私もそれを望みません」


 ノツィーリアの言い分を、ルジェレクス皇帝は真剣な顔をして聞いてくれている。


「私はただ、レメユニール王家の失脚により、国民が路頭に迷うことがなければと存じます」


 自分が要求できる立場にないことは理解していても、口にせずにはいられなかった。

 これだけは、引き下がるわけにはいかない――。背筋を伸ばし、無理やりにでも自身を奮い立たせて皇帝を見据える。

 すると、ガラス板を元の位置に戻したルジェレクス皇帝が、無言で手を差し伸べてきた。

 その意図が分からず警戒した体が、瞬時に強張る。固唾を呑んで様子をうかがっていると、近づいてきた手がノツィーリアの銀髪を一束すくい上げた。

 目を伏せた皇帝が、そこに唇を寄せる。


(なぜそのような扱いを……!?)


 思いも寄らない光景に、びくりと肩が跳ねる。

 ノツィーリアが驚きに固まっていると、長い睫毛に縁取られた目蓋が押し上げられ、その陰から現れた赤い瞳が温かな光を宿した。

 その輝きと同じくらいの優しい声で、薄く開かれた唇が言葉を紡ぐ。


「……。……そなたは、この期に及んで他者の心配をするのだな」

「これは母の言い付けであって、私自身の発想ではないのです。母は私が幼い頃、何度も私に言い聞かせてくれました。『王族たるもの、誰に生かされているかを常に心に留めておかなければいけないわ。それを忘れて滅びた国をいくつも見たことがあるの』と」

「なるほど。その目で世界を見てきた踊り子の言葉は、重みが違うな」

「母を御存知なのですか!?」


 まさかルジェレクス皇帝がノツィーリアの母親を知っているとは思いも寄らず、声が大きくなってしまった。

 ノツィーリアの銀髪から名残惜しげに手を離した皇帝が、表情を和らげて頷く。


「かつて我が帝国にも、そなたの母君の所属するキャラバンがやって来たことがあるのだ。そのとき余は四歳であったゆえ事細かな記憶はないのだが、心躍る光景であったこと自体ははっきりと憶えておる。そなたの母君は我が国では伝説となっておるのだよ。我が国民は、誰もが今でも伝説の踊り子を語り継ぎ、憧れを抱き続けておる」

「まあ、そうなのですね……!」


 亡き母を憶えているどころか今でも思いを寄せてくれていると聞かされて、ノツィーリアは思わず手を合わせて声を弾ませてしまった。

 笑顔になったノツィーリアを見て、皇帝もまた笑みを浮かべる。


「我が父である先帝が、余が幼い頃、伝説の踊り子の思い出話を何度も語って聞かせてくれていたのだ。そのたびに母上がすねていたな」

「まあ、ご家族の仲がよろしくていらっしゃるのですね」


 温かな家族の光景を思い描けば、ノツィーリアの方こそ憧れの念を抱いてしまう。優しい母との思い出の上には、家族との苦い記憶が厚く降り積もっていた。

 それらを心の中で振り払い、母の笑顔を脳裏によみがえらせれば自然と顔がほころびる。


(かつて訪れた国の人々の心の中にこうしていつまでも思い出として残っているなんて。お母様は本当に、素晴らしい方なんだわ……!)


 熱い思いを抱き締めるように、胸の前で両手を重ねてぎゅっと握り込む。

 涙の浮かぶ目を閉ざして、感嘆のため息をついた。



 ノツィーリアが喜びに浸っていると、不意に声を掛けられた。


「ノツィーリア姫」

「は、はい」


 すぐさま目を開き、両手を下ろして背筋を伸ばす。

 皇帝の顔に視線を向けた途端、赤い瞳が切なげに細められた。


「そなたの手を見せてもらってもよろしいか」

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