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1 父王からの非情なる命令

 レメユニール王国第一王女・ノツィーリアは、広大な玉座の間で父王と対面するなり耳を疑うような言葉を掛けられた。


「ノツィーリア。貴様を一晩【五百万エルオン】で貸し出すことにした。来月から、毎晩客人をもてなすように」


 返事を言いよどめば、贅を尽くした玉座の間に静寂が訪れる。

 父である国王から告げられた命令を、ノツィーリアは即座に理解できなかった。五百万エルオンといえば、中流貴族の平均月収に相当する金額である。


(私を五百万で()()()()、とおっしゃったの……!?)


 ノツィーリアが戸惑っていると、父王が飽食で肥えた体を重たげに動かして、のっそりと膝を持ち上げて足を組んだ。派手な金の装飾の施された手すりに手を置き直す。

 父から苛立ちの視線に貫かれて、ノツィーリアはとっさに顔を伏せた。

 いつもならその目付きのあとに浴びせ掛けられる怒声の幻聴が、心臓を締め付ける。

 ノツィーリアは再び正面に向き直ると、おずおずと問い返した。


「貸し出す、とは一体どういう意味で……」

()がレメユニール王国のために、貴様の体で金を稼ぎ出してみせよと申しておる。成人して三年、これまで我が国に何の貢献もしてこなかった貴様に役目を与えてやるのだ。感謝せよ」

「さすが陛下、名案ですこと」


 父王のすぐ隣に立つ王妃が、口元を扇子で隠して高笑いする。

 意地の悪い笑い声が、ノツィーリアの胸に突き刺さった。


「娼婦の娘たる貴女には、実に似合いの務めだわ」


 睨み付けてくる目は、ノツィーリアの実母が毒殺された瞬間を思い起こさせるおぞましい笑みを浮かべていた。

 玉座までまっすぐに伸びた赤い絨毯の両側で、大臣たちも一斉に頷く。父王そして王妃の言葉を否定する者などここにはいない。


 心が吹雪にさらされたかのように、一気に冷えていく。


(なんて卑俗な発想なの……!)


 にわかに走り出した寒気に身をすくめる。ノツィーリアは、正気とは思えない父王の命令に食い下がらずにはいられなかった。


「王家が率先して淫売をするだなんて、国民からの支持が減る一方ではありませんか。ただでさえ重税を課し、不満分子が年々増加して行っているというのに……」

「知った風な口を聞くな!」

「――!」


 怒声が胸を打ち貫き、いよいよ全身が凍りつく。

 反射的にぎゅっと目を閉じてしまったノツィーリアは、固く拳を握り締めると必死に自身を奮い立たせた。

 考えを巡らせて、機嫌を損ねないように言葉を選ぶ。


「ご提案なのですが、たとえば舞を舞ってみせるだけではいけないのですか。歌だって歌えます」

「阿呆か、貴様は。希代の踊り子たる貴様の母親と貴様とでは比べものにならぬだろうよ。貴様が昔から舞や歌の修練をひそかに積んでいることは方々より聞き及んでおる。だが凡庸な貴様の舞ごときで金を出す者などいるものか」

「ですが、この身を差し出したとて、わたくしめを一晩五百万エルオンなどという大金で買い求める好事家が、そうそういらっしゃるとは思えません」


 その金額設定からして、貴族や豪商を客にするつもりなのだろう。しかし現在、王国は寒冷化による領海内の流氷の増加が原因で入港料が稼げなくなり漁獲量も減り、国全体が貧困に傾きつつある。

 上流貴族であっても簡単には出したくないであろう金額で、一夜限りの機会を買う者が幾人もいるとは考えられなかった。


 父王が、暴食で丸くなった顔をゆがませて、尊大な口調で話し出す。


「銀糸がごとく輝く髪に、黄金色の瞳……。世界中を(とりこ)にした貴様の母親、その生き写したる貴様の容姿であれば、味見してみたいと願う者はごまんといる。それこそ国外にもな。貴様は公務もせずに遊びほうけておる悪女として名高いが、美しさだけは悪行に勝るとも知れ渡っておる。ゆえに、愚かで物事の判断もできぬ民であっても、我が妙案に納得するだろうよ」


 得意げに繰り出される説明に、大臣たちが『さすが陛下』と言わんばかりの尊敬のまなざしを向ける。自分たちの主君の偉大さを誇るかのように胸を張った。

 そんな臣下たちの態度を眺め渡した父王が、満足げな笑みを浮かべて言葉を継ぐ。


「当初は客先に出向かせる予定だったが、そのまま誘拐されるおそれを考慮し、王城に客を招くことにした。わが厚情に感謝するのだな。初回の客はひと月後だ。準備は抜かるなよ」

「……。……かしこまりました」


 絶望感に締め上げられた喉からやっとの思いで返事を絞り出す。

 ノツィーリアは父王に深々と頭を下げると足早に玉座の間をあとにした。



    ***



 玉座の間の巨大な扉を抜けた瞬間、それまでこらえていた涙が浮かんできた。口を押さえて嗚咽を飲み込む。


(見ず知らずの人に毎晩犯されなければならないなんて、そんなの耐えられない……!)


 控えの間を駆け抜けて廊下に飛び出せば、城勤めの文官たちが、眉をひそめて一斉にさげすみの視線を突き刺してくる。

 男たちが、ノツィーリアを見て小声で話しはじめた。


「やあやあ、悪女のおでましだ」

「財政が厳しいというのに、商人を呼び付けては贅を尽くしたドレスを何着も作らせているらしい」

「そのくせ人前に出てくるときはあのような慎ましやかな装いをされていて、計算高さは元平民の母親譲りだな」

「たしか先日も、ご公務の提案を突っぱねられておられたとか」

「ええ。『これならばノツィーリア姫にも務まるでしょう』とごく簡単なお務めをご用意して差し上げたのですが、『なんでそんなことを私がしなくちゃならないの』とおっしゃっていたと、人づてに聞きました」

「まったくひどい話だ。わがままにも程がある」


 うつむいて廊下を歩くノツィーリアを見ながら、聞こえよがしに噂話を口にする。

 まるで身に覚えのない悪行がでっち上げられている。これはノツィーリアの日常だった。

 三年前、成人を迎えたノツィーリアが公務について父王に問い合わせたところ、『貴様ごときに務まる公務なぞない。下手に貴様が出ていって王家の品格に傷を付けられてはかなわぬ』と言われてしまった。以降、何度かそれについて尋ねるたびに、突き放され続けてきたのだった。

 その結果が【ノツィーリア姫は王族の義務も果たさないわがままな悪女である】という評価だった。


 公務を拒んだことは一度もないのに――。そう官僚たちに直接訴えたところで、この王城には、ノツィーリアの切なる訴えに耳を傾けてくれる人はひとりとしていなかった。


 屈辱的な父王からの命令に加えて、城仕えの者たちの悪態に追い打ちを掛けられる。ノツィーリアは、今にも涙があふれそうになった。


(今は泣いてはだめ……!)


 ノツィーリアは、ほとんど走っている速度で長い廊下を歩いて自室を目指していた。

 ドレスをきつく握り締めて、泣き出したい衝動を抑えていると、突如として誰かとぶつかってしまった。反動で後方によろけてその場にへたりこむ。その直後。


「きゃっ!?」


 冷たい水を浴びせ掛けられて、とっさに顔を背けた。花瓶を持ったメイドと衝突してしまったのだった。

 視線を落としていたせいで、すれちがう人影に気づけなかった――。詫びようとした矢先、相手が異母妹の専属メイドであることに気づいて口をつぐんだ。おそらく妹に命じられて、わざとぶつかり水を掛けてきたのだろう。その証拠に、花瓶の口が明らかにノツィーリアの方に向けられていた。

 目の前にしゃがみ込んだメイドが、飛び散った切り花を拾い上げながら口の端をゆがませる。


「あらあ姉姫様、大変失礼しましたあ」


 大仰な口ぶりで詫びながらも、その顔は楽しげだった。

 普段なら、こういった妹からの間接的ないじめを耐え忍ぶことくらいはできる。しかし今は、父王から到底受け入れがたい(めい)を下されたせいで、無表情を保つのが難しくなっていた。


 メイドが自分のいじめに手応えを感じたらしく、満足げに微笑む。

 心を切り付けるその表情からノツィーリアが顔を背けた途端、視界の端に派手な装飾の靴を履いた足が踏み込んできた。

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