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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死者の差出人

作者: 森川めだか

彼は人なり、我らも人なり、我何ぞ彼を畏れんや。(韓愈)


死者の差出人

      


DAUGHTER


「真偽は不明」


「人は時に愚かな生よりも、崇高な死を選ぶ」何だっけな? どっかで読んだ。

三原(みはら)は首を傾げた。

「三原、マル知に栄転だ」

「マル知ですか?」

マル知は知能捜査班のことだ。

「あっちには高嶺の花がいるからな」

「へえ」

三原は急いで煙草を一服して一階に向かった。

マル暴とは勝手が違うだろう。

三原悟(さとし)です。よろしくお願いします」

好々爺らしい部長が近寄って来た。

「厄介な事案が発生してね、応援を頼んだわけさ。どこも人手が足りなくてね」

見回しても男ばかりだが。

一週間経ってもマニュアルを覚えるばかりで、「厄介な事案」には触れなかった。

一週間経っても隣のデスクが空いたままだ。

「あの、この人はどこに・・」

「係官?」

「係官・・?」

「安置室」部長は地下を指差した。

三原はキーを渡されて地下に下りていった。

「失礼します」

そこには水張(みずはり)(あずさ)が座っていた。

死体袋に囲まれている。

「くさい!」

「第一印象がそれですか?」

「あなた普段、何食べてるの?」

「三原です。今朝は納豆とキムチですかね」

三原は耳元に口を寄せた。

「特製トッピングはにんにくおろしチューブです」

「おえっ!」

梓は吐くマネをした。

「その日一日は外に出ないことね」

水張梓は洗濯板だ。

どこが高嶺の花なのか。

「セクハラ刑事にパワハラ刑事長・・」

「え?」

「嗅覚」

梓は立ち上がった。

「私は人の記憶の匂いを嗅ぐことができるの」

「だからこんな所に」

「私はここのサブも兼任してるの。だから係官って呼ばれてるわ」

梓は一個の死体袋のチャックを開けた。

「死因特定不明遺体の管理。ま、いわゆる変死体ね」

何の変哲もない男の死体。

「自殺ですか他殺ですか?」

「他殺」

「やっぱり」

「開いてるわよ。社会の窓」

「あっ」三原はチャックを閉めた。

「それとは別に新米刑事の指導係もしてるの。あなた、駆け出しでしょ? だから・・」

梓は死体を見た。

「私とバディーを組むのね。キャリアには無関係よ」

「厄介な事案って?」

「聞いてないの?」

梓は安置室のスイッチを消した。

「私から話すより・・」


マル知で部長を囲んで梓も加えて車座になった。

「15年前の誘拐事件だ」部長が重い口を開いた。

「15年?」事情を知らないのは三原だけだ。

「そうだ。15年前に行方不明になった娘さんのお父様が先頃亡くなってね。娘を跡取りにしたいそうだ」

「でもいないんでしょ?」

「捜査もとうに中止している。何かの事件に巻き込まれたんだろう以外にはね」

「何歳ですか?」

「五歳の時だ。生きてたら二十歳だな。名前は本城(ほんじょう)百合(ゆり)。有名な財産家のご令嬢だ」

「遺言ですか?」

「ご遺志だ。亡父のな」

「今更・・」

「お父上も同じお気持ちだったんだろうな」

「必ず解決してみせる、って誰かが言っちゃったらしいのよ」梓が口を挟んだ。

皆がため息を吐いた。

「身代金は?」

「全く」部長が首を振った。

「15年間、音沙汰なしだ」部長が窓辺に立った。


「奥さんだけ残して子供全員殺した夫とか。すごい臭気よ」

三原は梓とやっぱりコンビを組むことになった。

「外回りっていったってどこをどう回ったらいいのか」

「手がかりも目撃証言もなし。15年前だからね」

「僕まだ生まれてませんよ」

「バカ言いなさい」

「似た者刑事ですね。僕たち」

三原の歯が汚い。

「歯磨いてる?」

「朝ササっと」

「まずは自宅ね」

汚物を見るような目で梓は三原を睨んだ。


マル知はお茶を挽いていた。

「まさかいないなんてね」

「一族郎党、路頭に迷ってるんじゃないスか」

「今日は過去記念日か?」部長がうろうろしている。

「慰霊碑でも建てますか?」三原は指を折った。

「失踪宣告から7年過ぎたら死亡扱い。特別失踪案件1年、・・2倍超過ですよ」

「麒麟児だったりして」

「血統書付きですか」

「まずはカネの流れね。人身売買が目的だったら、行方不明の発生に沿ってプールが上下しているはずだわ」

「係官、それ僕にやらせてください」

「データベースはそこにあるわ」


風間(かざま)とにいなはコーンフレークを常食としていた。

「クム見た?」にいなは搔い巻きを着ている。

「夢? 夢か・・、見たけど忘れたのかも知れないな」


「見つかりましたよ」

「仕事が早いのね」

「過去10年の国内の失踪と示し合わせたようにマグワイアという名のプールに大金が振り込まれてます。どれも未成年者の女性」

「偽名でしょ。どうせ」

「それも分かりましたよ。風間進夫(すすお)という男です」

「すすお? 変な名前ね」

「マル暴の癖ですかね。あいつらは自分に関係のない事はぺらぺら喋りますから。仲間内ではグレーテストデスと呼ばれているそうです」

「グレーテスト?」

「偉大なる死といったところでしょうか。風間は戸籍を持っていません。有り体に言えば、・・在日ですね」

梓は初めて椅子に座った。

「本名は(オク)。玉と書いて・・」

「なら行方不明者は国内にいる可能性は低いわね」

「本城だってぐすくでしょう? 沖縄出身で一代で財を築いたそうですからね、先代は」

「そういえば、そうね」

「名前なんて記号ですよ」

「風間は今、何をしているの?」

「大学の講師をしています。隠れる気もないようですがね。どうします?」

「ブローカーかしら? 馬鹿ね。泳がせとくのよ」

三原はそこでechoを取り出した。

「安い煙草吸ってんのね」

三原は今日もニンニクと煙草臭い。

「国産に限りますよ。煙が多いですけどね」

梓は煙を振り払って、自分のデスクに着いた。

「実地調査かな」

「入れませんよ」

「中国から渡れば、・・どうかな」

中国地図を広げた。

「大連から瀋陽、・・近いわね」

「列車で四時間・・」


「撮れてる?」

その数日後、梓と三原は上海にいた。

「ガイドとここで待ち合わせなんだけどなあ」

「誰が誰だか」

「アルよ、とか言うのかしら」

「シャチョウさんって呼ばれるかも知れないですね」

口ひげの付いた男が近寄って来た。

「日本の方?」流暢だ。

「私、(ファン)です。よろしく」

「ファンさん」

「何しに来たの?」

「闇ルートに詳しいって聞いたけど」

「さあ、何のことだか」

「中国語で刑事のこと何て言うの?」

「プロポリスですね」

「サイトシーイング」

黄はニッコリとして肯いた。

「覚えておくべき単語は?」

不吃(ブーチー)とだけ言えばいいんですよ」

「不吃」

「食べない、という意味です」

「上海を選んだのは何故?」

「それはいいね。ここで全て事足りる」

猥雑な街だ。

「フジタのことでいらっしゃったんでしょ?」

黄は歩き出した。

「フジタ?」

「もぐりの下は底が分からない不夜城・・」

梓は嫌な匂いを嗅いだ気がした。

「しらばっくれても無駄よ。グレーテストデスはこっちでもちょっとした有名人。仲卸し業者だからね」

「やっぱりブローカーだったのか」

セミの油揚げを勧めてくるテキ屋があった。

「不吃」

「この店ね」

「无云不下雨」というレストランがある。

「雨は降らない」三原が断言した。

「何が?」

「フジタが提供される場所よ」

「ここ、中華料理屋じゃない」

「北京ダックの作り方知ってるか?」

梓は小首を傾げた。

「首だけ出して土に埋め、口から饅頭を押し込むんだ」黄は身振りで示した。

「フジタってのは日本人の女の子って意味ね。高値で取り引きされるよ。確か未成年でB型の娘の肉質がいいらしい」

「三原くん」

三原は手帳を手繰った。

「本城百合もB型です」

「まさか」

黄は肯いた。

「上海ダックって呼ばれてるよ。グレーテストデスはその配給元」

「風間、いえ、グレーテストデスは今もやってるの?」

「さあ、ね。滅多に現れないよ。前は、フジタのボディガードしてるよ。色の黒い子だったね。死体はボディね。これがホントのボディガードね」

黄は上海を見渡した。

梓と三原もつられて上海を見た。

「ここは華僑、の町ですよ。非道いことしてると思うでしょ? ただね、ここは租界よ。租界、分かる? 戦後、占領された係留地。上海ダックも外来文化ね。外国人が面白がって始めた。中国人は盗むの得意ね。あんたらもやったら?」

「ゲンジョウ行ってみる気ある?」

「レストランのメニュー見るの怖くなってきましたよ」

「体が目的だったのね」

「一見さんお断りよ。通い詰めないと、上海ダックは特別メニューよ」

梓も三原も黙った。

「日本人は鉄面皮ね」


梓と三原は黄から薦められた店でケータリングを取っていた。

カルビとホルモン、チヂミ、ユッケジャンスープ。

「忘れてた!」梓は電話でユッケを頼んだ。

「何でしょう、この缶詰め」三原が開けた。

「手が! 手が!」三原が飛びのいた。

梓はそれを箸でつまんだ。

「ご挨拶ね」

三原の歯に髪の毛が挟まってる。

梓は箸を置いた。

「サラブレッドも馬肉になりますもんね」三原が力尽きたようにそこにうずくまった。

三原の脛に火傷の痕があった。

「どうしたの、それ」

「アスファルトで焦がしまして」

苛性ソーダの匂いがほんのりした。

ネオンサインが日本じゃない。


ホテルのロビーからそれぞれの部屋に入ると、三原はechoを吸った。

「結局一日一箱か」中を覗いて一人言を呟いた。

「美味しくないからな・・」


風間はホテルのロビーの砂で煙草をもみ消した。

ポロシャツに駱駝のマーク。

「中国人は何でも食べるぜ。海亀の卵もな」

にいなが笑った。


韓国の空港に着いた時からキムチ臭かった。

「私、ハングル分からないよ」

「何のために来たの?」

黄は帰らせた。

「後で待っててね。聞きたい事は山ほどあるんだから」

「本城百合は」

「もう上海でしょうね」

空港では音楽が流れていた。

「どっかで聞いたことがあるような・・」

三原は男女の組に目を奪われていた。

「え?」

「覚えてない?」

すれ違うまで目をそらしていた。

「え、いえ、腰痛でベルトもできないんですよね」

「腰痛って八割は心因的なものなんですってよ」

「腰痛は人類だけって話ですねえ」

三原はそっと振り向いた。

風間とにいなが回転ドアをくぐる時だった。

「玉の母親は戦後のどさくさで日本に居て、進夫を産んでます。今は韓国に一人で暮らしているようです。多額の仕送りをもらって」

「言葉通じるの?」

「さあ」

「韓国語で母親ってどう言うんだっけ?」

「オモニ。オムニとも言いますね」

「誰でも分かる簡単ガイドブック」を手に三原は言った。

「悠々自適ですね。息子が何してるかも知らないで」

「知ってるかもよ」

三原は口をへの字に曲げた。


「アニョハセヨ」

玉の母親が戸口の玄関から出てきた。

「今、・・」

血の色が見えたような。

「キムチ作りをしていたみたいですね」

玉の母親は庭の蛇口で手を洗っている。

「イーベンレン」

梓は二人を差した。

玉の母親は決して中へ入れようとしない。

「ハシムニカ」

二人の会話は済んだ。

「何しに来たんですか」

「匂いがね。独特に饐えてたわ」

梓はチンと鼻をかんだ。

丸めたティッシュを大事そうに鞄にしまった。

「ま、そこそこの収穫」


上海にトンボ返りした。

黄は地区長も同行していた。

「煙草一本残しといてね」

信仰(ジンク)()ですか?」

「え?」

「ああ、いや、こっちの台詞です」

「お腹の中、腐ってんじゃない? 臭いわよ」

「男でピアス空けてる奴はみんなゲイだ」

「断ってんのよ。吸いたくても吸えない」


鉢植えの底から合鍵を取って(ヨン)はドアを開けた。

割と背の高い男。

にいなを一瞥して、渋い視線を玉に送った。

「どこがいいのかね、その小便臭いガキ」

白亜の豪邸。

タイル張りに白い螺旋階段。

「まるでバービーちゃんの家だ」

永が搔い巻きを触ると、素早くにいなは身をよけた。

「16年も飼って。着せ替え人形ももうこの辺にしとけ」

「ノックぐらいしろよ」玉は経済新聞を読んでいる。

「頭冷やせ」永はクサす。

玉は何も言わない。

永はラテ欄を読んでため息を吐いた。

「俺が用があるのは工房だけだ。工房は?」

「開いてる。汚すなよ」

「尾頭付き。謹製かい? 体を大切に」

永が出て行くと、にいなは玉に抱きついた。

玉は滑らかな長い髪に手を流すと、にいなの顔を鑑賞した。

濡れた目にふっくらとした唇。

地黒な肌。

「青い鳥ってのは土鳩のことなんだ。鳩は平和の象徴だ」

にいなは無防備に股を広げる。

「君と俺の共通点が分かるかい?」かぼそいにいなの腕を握った。

「何?」

「土人と在日。どっちも家鴨(あひる)だ。みにくいアヒルの子」

玉とにいなは目を見合わせて笑った。


「出来ることからコツコツと。きよし師匠。僕のモットーです」

「生真面目ね」

「フジタの居場所知りたくないか?」

「それが目的で来たのよ。後、色々教えて」

黄は地区長に肯いた。

「ここは私の街です。ご案内しましょう」

悪びれた様子もなく、地区長は先頭に立った。

「気を悪くなさらないで下さい。全て外国人のやった事です」

「今、取り仕切ってるのは?」

「それは・・」地区長は言いよどんだ。

「中国マフィアね。親しみを込めて(ミャー)と呼ばれてるね」黄が取り持った。

「今はフジタはいません。いわば休耕田ですな」

「健啖家たちが集まるの待ってるね」

「店長は別の人のようですが・・」

雑居ビル、裏町に隠れたような一画に出た。

鶏頭が辺り一面に咲いている。

「ここは?」

「畑です。ここに首だけ出して埋めます。後はお分かりでしょう? これも外国人の趣味です」

「我々はゾンビって呼んでるよ。埋まってる人」

「禁止薬物も投与します。そうしないと死んでしまいますから」

「ブロイラーも抗生物質いっぱい使うでしょ?」

「胸が悪くなってきた」

「お次はあなた方のお国の番ですよ。どうぞ」

奥から工場に入った。

地区長は業務用の大きな冷蔵庫を開いた。

「真空保存」地区長はブロック肉を見せた。一見しても人肉とは分からない。

「日本の技術は世界一ね」

「何とでも相性が良いと聞いています」地区長は冷蔵庫に戻した。

「形の良い心臓は高く売れます。みんな肥えてますから」

梓は頭がクラクラしてきた。

厨房から客席が見える。

「ミンチにして点心にするよ、残った遺体はね。骨はガラ。隅から隅まで食べ尽くすよ。常連客はみんな知ってるよ」

「血はどこへ行くの?」

「肥やしにするよ。人の血液はだいたい4500ml。上質な血はキムチを漬けるよ」

梓は嘔気をした。

オモニの部屋で見たものは・・。

「親から子へ。親が考えた親の味ね」

地区長は天井を指差した。

「ここの階ではございませんが、上海ダックは天井から逆さ吊りにされ皮を削ぎ落とされます。人間の皮膚はどれくらいあるかご存知ですか? 約10kg余。その中から上質の皮は336gを食します。へその辺りですね。まさに贅肉です」地区長はちょっと笑った。

「如何物食いよ」

「余り皮は?」今まで黙って手帳につけていた三原が聞いた。

「肥やしにするよ」

鶏頭が鮮やかだ。

埋め込まれている人肉広場。

人間の頭部。

連想する梓の横で三原がため息を吐いた。

「ため息が出れば立派な証拠よ」

「いやもう、ヒヤヒヤですよ」

地区長とはここで別れた。

「アディオス、アミーゴ」似合わない陽気な挨拶だった。

「私、アディダスよ」

「サモトラケですよ」

「へ?」

「首ちょんぱ」三原は自分の首に手を当てた。

「ミンチにするわよ」

地区長はもういなかった。


梓はお土産に月餅を買った。

国際携帯電話に部長からかかって来た。

「事態が急転した。すぐに戻って来い」

梓と三原は顔を見合わせ首を傾げた。


NAME


「ずいぶん遅かったじゃないか」

部長はカンカンだ。

梓はデスクの上に月餅を置いた。

「どうしたんです?」カメラを置いて三原が尋ねた。

「身代金だよ。誘拐犯だと名乗る男が電話してきやがった」

梓と三原は失笑した。

「それで?」

「身代金は財産権だとよ。他に逃走資金として八百万」

「何です、それは」三原はカメラのレンズを取り外した。

「亡くなった先代は実業家だったんだよ。そこから生まれてくる利益その他一切を今後よこせというわけさ」

「八百万。やおよろずですか」

「嘘の五三八ですよ」

「15年経った今更身代金」

「部長、それを信じてるんですか?」

「君達は信じないのかね?」

梓と三原は肯いた。

「死んでるし」三原は自分の言葉に思わず笑った。

「腐りかかった肉が一番美味しいって言うからね」

「洒落になってませんよ」

「音声データも残ってる。セロハンテープで指紋も送られてきた」

「どうする? 風間、捕りに行く?」

「不法占拠だけじゃ弱いですねえ」

「動かない証拠でもあればね」

「他の人はどうしたんです?」

「みんなゲンジョウ張り込んでるよ」

仕方なく梓と三原も本城家に向かった。


玉はにいなにアオザイを着せた。

少し顎を上げさせた。

にいなは目を閉じた。

「歌を忘れたインコは謳う」

玉はにいなの体を優しく抱きしめた。

柔らかい肌。

「一緒に死のう」耳元で囁いた。

「やっと女らしい女に巡り合えた」

完成させた。

「神々しいよ」

風間は肉棒を掴んで自慰をし始めた。

「ビョーキだよ」にいなは胸を押さえ身をよじらせた。

玉は手を止めなかった。

「クソッタレ・・」辱しめられる。

玉は射精した。


三原はヘッドホンを付けて音声のやりとりを聞いていた。

「・・預かっている、か」

梓も聞いたが、逆探知は出来なかったらしい。

マル知は右往左往していた。

「引き渡し場所は架線の下。いくらあると思ってるんだ」部長が唸った。

「死んでるに決まってます!」梓は怒気をあげた。

「お嬢さまが帰って来るなら・・」八百万はもう支払われていたし、財産権の手続きまで終わっていた。

蝉が騒がしい。

交渉は難航していた。

電話がかかって来ないのだ。


「ごめんね」

玉はにいなをバッグに詰めた。

「クム見た?」

「見たよ」


誘拐交渉は物別れに終わったかのように見えた。

「解放した」と電話が来るまでは。

マル知は四方八方探した。

三原が動くギターケースを見つけた。

「係官?」

皆が集った。

「百合ちゃん?」梓が近づく。

「あこぎとかけて?」三原は梓の背に隠れた。

ジッパーを開ける。

女の子が出て来た。

ポカンとしている。

「分かる? 百合ちゃん?」梓は百合の目元で手を振った。

日本人離れしたエキゾチックな少女だった。

「自分の名前、分かる? なまえ」

「なまえ?」

「そう」

「風間にいな」


「どうもわからないのよね」梓は自分の頬に手を寄せた。

「何がですか?」三原が携帯電話の受話口を押さえて言った。

「あの娘の匂いがね。利いたことのないような匂いなのよ。どうも・・」

「監禁されてたように思えない?」

「そうなのよ。私には・・」

「何です?」

「日向の匂い」

「部長からです」三原が携帯電話をよこした。

「確認が取れた。お嬢さまに間違いない、そうだ。今は病院にいる」

「入院したんですか?」

「精神がいかん。訳の分からんことを喋る。それに、外をとても恐がっている。見知らぬ人もそうだ」

「15年もじゃ、そうですよね」

「16年だ」

「そうでしたっけ?」

「今日で16年だ。未成年者略取誘拐に切り替える。電話の男を追え」

「それならもう分かってます」

「何?」

「風間進夫という在日の男です」

「なぜ報せなかった?」

「決定打がありませんでした。それに、・・いえ、確信が持てました。風間、にいなと言ってましたよね。庇護されてた模様です」

「すぐに行け」

「供述が取れてません」

「グズグズするな」

電話を切った。


「気でも違ったのか?」永は玉に詰め寄った。

「俺がどんな気持ちで・・」

「何が」

「分かったな? もうこれ以上勝手なマネはやめてくれ」

「約束する」


梓は度々、百合の見舞いに来ていた。

百合はコーンフレークしか食べない。

コーンフレークの箱がどっさり置いてある。

コーンフレークのことも、あの丸いの、と言う。

百合はまるで五歳児のように無防備だ。

裸すぎる。

梓はにいなに危惧を感じた。

にいなの記憶しかないのも解せない。

三原からは煙草を一本もらえないままだ。


三原と二人で安アパートに来た。

風間の国内の住所だ。

クッキーをかたどったネームプレートが二つ。「風間」と「玉」。

アポイントメントは取ってある。

「まるでお菓子の家ね」

「誰の趣味ですかね」

ドアをノックする。

「はい」と言う声と鍵を開ける音。

開いた。

「風間進夫ね?」梓はサッと警察手帳を出した。

風間は肯いて、奥へ通した。

三原が辺りをチラ見して、後に続く。

風間は缶コーヒーのプルトップを開け、デミカップへ注いだ。

「どうぞ」

「不味い」一口も口を付けないで三原が言った。

梓はカップを取り上げて、口を寄せた。

ティーカップの縁に血痕が。

「これB型?」

梓はカップを置いた。

正面に風間が座った。

「招かれざる客みたいね」梓は下を向いてため息を吐いた。

「あなたがどうしてグレーテストデスって呼ばれてるか今、分かったわ」

三原が手帳を広げる。

「何度も死んでる」

梓と風間の目が合った。

「匂いで分かるの。信じられないでしょ?」

風間は脚を組み替えた。

「記憶の喪失。都合の良いように消していったのね」

何のことか、と風間が笑った。

「傘に血痕もありました」三原が一人言のように呟く。

「また死ぬの?」

「今度は死なない」風間の声は穏やかだった。

風間のカノコの駱駝のマークのポロシャツに汗ジミができている。

クーラーが利いていない。

「あなた、本当にここに住んでるの?」

「時たまね」

「今は逮捕しない。あなたにはもっと大きな罪の重みがあるから。にいなちゃんのためにもね」

「にいなは元気か」

「ええ。元気よ」

「俺がいなくてもか」

「ええ」

「それは良かった。良かったのかな?」

「あなたは知らなくていいわ」

三原が手帳を閉じた。

「首洗って待ってろよ」

立ち上がりかけた三原のズボンを梓が掴んだ。

「信用していいのね?」

風間はやおら立ち上がって窓を開けた。

「出てってください。風通しが良くなる」

梓は出て行く時、風間の硬い革靴をドアストッパーにした。

「強面かと思ったけどなかなか男前じゃない」風間に聞こえるように言った。

「係官は鼻っ柱が強いですね」三原が首筋の汗を拭いた。

梓は小鼻を膨らませた。

「あんまり嫌な匂いがしないのよね」

「それもあいつの計算でしょう」

「三原くん、煙草ある?」

「もう吸うんですか?」

「本城百合のことはもうこれで解決よ。あと、我慢の限界」

三原は頭を掻いた。

「空っぽでした」


三原が自動販売機で煙草を買うのを、梓は腕を組んで待っていた。

二人して煙草に火を点けた。

「一緒に煙草吸うって、何か、バディーって感じですよね」三原が黒い歯を見せて笑った。

久しぶりに吸った煙草は旨かった。

echoでも。

太い煙が夏空に消えていった。


部長の態度が急に変わった。

「深追いするな」

「係官、知らないんですか? ストップがかかったんですよ」

「圧力?」

「永田町から」

「相手が在日だから?」

三原が渋面を作って肯いた。

「みんなこうなの?」梓は左を向いた。

同僚が寝たフリをしていた。


梓は一旦、死体安置室に下がった。

鼻を近づける。

不思議に落ち着く。

死は恐くない。

けど、今死ぬのは嫌だ。

「興味深いものを見つけましたよ」

三原が立っていた。

「まだ事件は終わってません」


「呆れたよ、お前には。いつでも捕まえてくれと言ってるようなものじゃないか」

「今が一番幸せなんだ」

「頭にくる風邪だな」


「第三者が関与していた可能性があります。ネットの伝言板みたいなものなんですが・・、ハンドルネームは、キリスト、イブ、アブラハム。風間とにいながキリストとイブだとしても、アブラハムが誰なのか。けど、皮肉ですよね。キリストとイブなんて。新約と旧約。決して結ばれない二人・・」

三原の話を聞きながら梓は階段を上っていた。

三原の息が切れている。

「太ってきたんじゃない?」

「夏バテですかね」

コンピュータールームまで来た。

「今は誰もいません」

消灯したままで梓はキーボードを叩いて起動させた。

「そっちじゃありませんよ」

「プールが流れてる」

「マグワイアのですか?」

「まだカネが・・」

「こっちも見て下さい」

三原が開いたのはデスクトップだった。

「隠語ばっかりね。RPGにミル、フィギュア、鷹の爪にマニキュア? あっ、フジタも出てる。赤いカエルは?」

「胃の中、じゃないですか?」

「おれにはミナミがいなかった。アブラハム? これも何かの隠語かしら?」

「さあ」

「会話の内容からしてキリストが風間、イブがにいなに違いないわね。アブラハムは?」

「他の誰か」

梓はマウスを上まで持っていった。

「野鳥の会・・」


DUMP


 梓は名刺から黄に電話をかけていた。

「ミルはml、血液の量ね。鷹の爪にマニキュアはキムチのこと。後は他、知らないよ」

「アブラハムに何か心当たりない?」

「知らないね。けど、グレーテストデスの引き受け先は一つじゃないね。マーダーズマーダーじゃないか?」

「マーダーズマーダー?」梓は急いでメモした。

「あの店の店長ね」

「ああ、あの店ね」

「話し過ぎたね」

「もう一個。キリストの欄に拳銃を思わせる記述があるんだけど?」

「グレーテストデスはただのブローカーじゃないよ。銃を密輸してるね。本当の目的はそこじゃないかな? それも特別製よ」

「どんな所が?」

「自分で作ってるらしいよ。3Dプリンタで。世界中ピストルだらけになるよ」

「ありがとう。もうそこまででいいわ」

「今度はツアーで来てね。待ってるよ」

プツンと電話が切れた。

三原はイヤホンを外した。

「大がかりですね」

「やっと尾っぽをつかんだわ」

「アブラハムは後回しですか?」

「遠過ぎるわ」

梓は息巻いていた。

「0条で引っ張るわよ」

「六法全書にもそんなの載ってませんよ」


梓はサーターアンダーギーとマッコリを百合の個室に持って来ていた。

「一緒に飲まない?」

「お酒?」

「牛乳の水割りよ」

百合はサーターアンダーギーには手を付けなかった。

「何か思い出さない?」

「右翼の人たち」

街宣車の軍歌が遠くから聞こえて通り過ぎていった。

「うるさいね」

百合に野鳥の会について聞くのはためらわれた。

もうにいなじゃない。

病院を出ると熱波で暑くて息ができない。

今年の夏はどうかしている。


先に着いていた三原が手を振った。

「今、授業中です」

「どこ?」

「A102」

「中国語ね?」

「はい」

学生はまばらだ。

「中検クラス一級の補講だそうです」

A102に近づくと笑い声が聞こえた。

風間が話している。

「油が足りなくてご飯にドレッシングかけて食べたよ」

「係官、あれ」

教壇の引き出しの中に銃把が見える。

梓も三原も拳銃を抜いた。

目の端で認めると、風間は静かに拳銃に手をかけた。

「静かに! 拳銃を置きなさい」突入する。

ワーキャー言いながら学生たちが避難する。

三つ巴になった。

梓は風間に銃を向け、風間は梓に、三原も梓に銃を向けていた。

「いつから?」

「僕も在日でした」

「何で?」

「遠縁なんですよ、僕たち」永と玉は互いに肯いた。

「撃て!」風間が怒声を上げた。

「撃ちなさい!」負けじと梓も張り上げる。

「三原くん」

「よくある名前ですよ。僕は三重スパイだったんですよ、係官。中国マフィア側から警察の情報を、警察の側から中国マフィアの内情を。でもその実は、依頼者は玉です」

「だから口臭でごまかしてたのね」

「その通り。半信半疑だったんですけどね。僕たちの国では儒教です。子曰く、のあれですよ。儒教に神様はいません。儒教の教えによると、全人類、兄と弟。神話からは憎しみしか生まれない」

「面汚し」

「日本人の血液型はみんなA型かい? スパイ養成所で心得を習いました。人間の祖は魂、だと」三原は腕を伸ばして構えた。

「変わった拳銃ね」

「こいつが作ったんですよ。殺傷能力はあります」

「風間、あんたは終わりよ。ここまで事が大きくなると、マフィアも警察も黙っちゃいない。どうせ、拳銃密輸で成り上がるつもりだったらしいけど、まるでマクベスね」

「よく言ってくれました」三原が軽く手を叩いた。

「一人よがりの天才」

「傍観者に言われたくないね」

「傍観者? 日本人全体が傍観者だと言うの?」

「撃て!」

「撃ちなさい!」

「契約違反だ。殺すのは入ってなかったよな?」

あっけなく風間は銃を下ろした。

「手錠、忘れた」

三原が風間の腕を後ろにねじって、連れて行った。


「部長!」

風間は拳銃の単純所持、三原は懲戒免職だ。

「これは有事だ」

「これも圧力ですか?」

「三原の持ってたのな、あれ、モデルガンだ」

「でも・・」

「由々しき事態には変わりない」

三原がどこに行ったのか。


三原は千疋屋のメロンをにいなの個室に持って来た。

百合はいなかった。

ナースコールを押した。

「屋上だと思いますよ。今日は気分がいいからって」

看護師はベッドメイキングをしている。

三原は屋上に上がった。

百合は屋上に屈み込んでいた。

「小さい秋見つけた」

歌った。

にいなは振り向いた。

「あれ?」

「なんとかなるだろ」三原はベルトを引き抜いた。

にいなは鷹の顔をしていた。


風間は聴取に素直に応じていた。

「おまえがやったんだな」

梓はサブに戻った。

三原はデスクごとなくなった。

押収された物の中には何もヒントはなかった。

今日も運び込まれる。日常的に死体が。

弟切草が窓の下に咲いた。

梓はヘビースモーカーになった。

今日も死体が語り掛けてくる。

私は殺された、と。


にいなが窓の外から飛び下りた。まるで蝶のように。


MEMORY


「記憶と思い出の違い? 記憶はあるものだけど思い出は思い出さないと出てこない」


ブルーシートで覆われて百合の死体が安置室まで回ってきた。

「自殺か?」

「吉川線がわずかですが出ています。縊死ですね」

梓は鼻を近づけた。

「?」

「どうした?」

「顔見知りの犯行ですね」

「煙草は控えめにな」

部長が出ていった。

対話が始まる。

「ベルトか何か」

「花を見てたのね」

「摘んでいた?」

「大きな男の人」

「いきなり」

「もう一度会いたかった」

涙をこすった。

にいなの記憶は夢のように曖昧だった。


「寝てたのか」

風間は鑑定留置されていた。

梓は自分の口から、にいなの死を風間に告げた。

「クム見た?」

風間は驚いた顔をしている。

「驚いた? にいなちゃんが一番言いたがってた言葉なの」

風間は無精ひげを触った。

「見なかったな」

風間は遠い目をした。

「マーダーズマーダーはアブラハム?」

「そうだ」

「悔しくない?」

「もう誰にも止められない」

「もうすぐ取り調べの時間ね」

「もう慣れたよ」

風間は乾いた笑いを立てた。

鼻を刺す匂いがした。


風間はいつも通りに留置場から聴取室に入った。

二人の刑事に、それに書記。

「風間、そろそろ何か言ってくれよ」

「心臓が僕を殺す」

風間は舌をかみ切った。

「タオル! タオル噛ませろ!」

書記が汗拭きタオルを口に詰めた。


梓は風間とにいなの遺体を並んで置いた。

「窒息ですね」

風間の足首に鑑札が下がっている。

梓は鼻を近づけた。

安らぎの匂い。

「幸せだったのね」

終わったのね。

これで本当に終わったのね。

梓は鑑札を上に下げた。


「疲れた。寝たっけ」三原は目を覚ました。

廃劇場だった。

家は差し押さえられた。

唯一持って来たノートPCを開いた。


梓は野鳥の会を開いた。

更新されていた。

「100万回生きたねこ、か」アブラハムの書き込みだった。

アブラハムはまだ生きている。


「三原くんしかいません! また中国に行かせてください!」

「三原は危険な男だよ」

「必ず解決してみせます」


三原とは連絡がつかなくなっていた。

ホームレスの人たちに聞き込みをすると、新入りが一人いた。

三原はパーラーにいた。

「係官」

「ドンマイ」梓は肩を叩いて対面に座った。

臭う。

テレビでは甲子園がやっていた。

「タイブレークか・・」三原は生気が無い。

「洗濯物、溶けちゃうんじゃないの?」

「何しに来たんですか?」

「お腹空いてる?」

「牛丼チェーンで食べたのが最後ですかね」三原は力なく笑った。

「深入りは危険ですよ」

「アブラハムをおびき寄せるの。また中国に行かなきゃ」

三原も無精ひげを触った。

「どうやって?」

「キリストのURLは分かってるわ。パッケージが変わった、ってのはどう?」

「飽食ですか」

「握手」梓は手を差し伸べた。

ズボンで汗を拭いて、三原は手を握った。

問い合わせは三原がした。

「後はいつも通りに」キリストの名で書き込んだ。

「返事次第ね」

「風間はどうしたんですか?」

「死んだ」

「死んだ?」

「強い自己暗示だった。まるで、そう、まるで殉教ね」

「確信犯ですか」

「イブの後を追って・・。基本に帰ろう。初志貫徹もいいけれど初心忘るべからず。初心ってのはね、初め出来なかった恥ずかしさを忘れないってことなのよ」

「何も出来なかった頃・・」三原は拳を握った。

「ヒック、エグ」

梓はくしゃみとしゃっくりが止まらなくなった。

「花粉症かしら? アレルギー?」

「来ました」

三原がノートPCを開いた。

「回収する」

「アブラハム」

「かかった」

三原はヘチマ襟を触った。


梓と三原はその足で中国に飛んだ。

三原は梓の横で口を開けてずっと寝ていた。

「无云不下雨」は開いていた。

クラゲの酢の物を二時間も三時間もかけてつついた。

「お客様」

「不吃」

「きっと出てきますよ。奴は店長だから」

夜もとっぷり更けた。

「ラストオーダーになります」

残った客は梓と三原だけになった。

二人はメニューを閉じた。

「フルコース」

最上階に通された。

窓がない。

「夜景は綺麗でしょうね」

三原が先に席に着いた。ナプキンをちゃんと下に敷く。

「前菜は何にする?」梓も席に着いた。

「二の腕トリュフ添え」

「好きな物から食べるの? 私その逆」

「腰痛が治ったんですよ」三原はベルトを見せる。

「やっぱり運動ですね」

食前の紹興酒が運ばれてきた。

ウェイトレスが三原に一礼した。

一口で三原はそれを飲み込んだ。


ORDER


店中が梓を見ている気がする。

小使が出てきて、もう掃除の支度にかかる。

雑巾を絞ると汗が出てくる。

「キムチはこの頃食べてないようね?」

「自家製でしたからね」ナプキンで口を拭う。

「RPGってのは何?」

「簡単ですよ。次々出てくる強い敵、成長に合わせて。口がおごる、グルメ。上客に育てる」

三原は煙草に火を点ける。

「一番おかしいって思ったのは、血統書付きですか、ってあなたが言ったこと。野鳥の会にも出て来たわ」

「血統書、キャリア、保菌者、腸チフスのメリー、軟禁されてまだ生きているということを係官に教えたかったんです。あなたを試したんですよ」

「フィギュアは?」

「姿形、死刑、いわゆる私刑も含まれます」

「他にも色々あるんでしょうね」

「そう、他にも色々とね・・」

「二の腕トリュフ添え」が来た。

「豚の悲鳴が聞こえてきそうですね」三原が手を広げた。

嗅いだことのない匂い。

罪の匂い。

梓は脂汗が浮き出てきた。

「召し上がれ」

フォークを刺す。

「騙されたと思って」三原は笑っていた。

思い出を食べる。

うす塩。

「口からうんこが出そう」梓は口を押さえた。

「口に合わないですか?」

「食べても分からない」

一入(ひとしお)ですね」三原はもう食べ終わっていた。

梓は完食した。

しばらくナプキンで顔を拭いていた。

その様子を煙草を吸いながら三原が拝見していた。

三原がパンパンと手を叩いた。

円卓の上部が開いた。

心騒ぎがする。

さかさに宙吊りにされた女が下りてきた。

ダラリと垂れ下がった髪に見覚えがあった。

首が付いている。

記憶の匂いが目に沁みる。

脂汗が涙に変わった。

吊るし上げられた女体から三原がベリベリと皮を剥がす。

クルリと回転させた。

にいなだった。

「安置室からお借りしました」

臭くて息ができない。

へそのあたりが破かれている。

「私、ちょっと・・」梓は椅子から転げ落ちた。

気が遠くなる。

「これが差別(けじめ)です」三原が椅子から立ち上がった。

こっちに来ないで。

「過去の方が正しいものですよ」

気を失う寸前、汚れたキスをされた。

記憶の匂い。

青春の面影。

風の記憶。

Marlboro。

外国の味がする。

「口惜しい」

鼻は泣いている。

「ウソつき」

「口に合いませんか?」

永が梓の唇の端を噛む。

「美人薄命、か」梓は気を失った。


目が覚めた時にはお化け屋敷のように消灯され誰もいなかった。

にいなさえも。

ヨロヨロとエレベーターまで辿り着くと、「故障中」の札が貼られていた。

つまずきながら階段を下りる。

「无云不下雨」を出た所で梓はまた気を失った。


「悪魔っていう物を初めて見たわ」

「天使でも悪魔でもない。ただの人だ」部長はけんもほろろだ。

「後のことは国際(I)刑事(C)警察(P)機構(O)に任せておけ」


梓はデータバンクに来ていた。

「ゲノムの方はどうなってる?」

「何のことですか?」

あのキスの後に「ゲノム」が浮かんだ。

「試しに調べてみてくれる?」

梓はラウンジで待った。

呼び寄せられるまでさほど時間はかからなかった。

「情報セキュリティにウイルスが・・。ゲノム情報が盗まれました」

売ったのは情報。日本国民のゲノム。

「RNAも」

「拡散」

「未知のウイルスです。その名も、・・その名もブルース・・・・ウイルス・・」

「7月13日金曜日」

身代金騒ぎの真っ盛りの時だ。

何で今まで気付かなかったのか。

どんなように悪用されるのか想像もつかない。

囮に使われたのは、私だったのか。


クリスマス・イブ。

何事もなかったように他人事に生きていくスクランブル交差点。

遠縁なんですよ、僕たち。三原の言葉が虚しく響いた。

大陸。

遠い昔のような気がする。

もう顔も思い出せなかった。

梓はその真ん中で頭を抱えてうずくまった。

バラバラバラバラとヘリコプターの音がした。


PROLOGUE


「いいんですか? これ公費でしょ」

梓と三原は中国旅行の帰りにワイキキビーチにバカンスに来ていた。

「レタス殺人ってのもあったわね。電解質が狂った夫にレタスを食べさせてカリウムで殺しちゃう。「畑を見に行った」殺害事件とか、後は、スリッパバラバラ殺人事件」

「平和ボケしてますね」

「私が事故だと思ってきたもの全て事件だった。その気持ちが分かる?」

「人の噂も七十五日。忘れますよ」

「梓なんて刑事になるために付けられたような名前」

「いいじゃないですか」

「ちょっと変えて、(さち)とかさあ。何してんの?」

「ビキニ鑑賞です」

「何言ってんの、ショッピングでしょ」

三原のカメラには梓の水着姿が収められている。

雨は上がらない。

太陽がいっぱいだ。

早晨(ツァオチェン)


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