96・優しい嘘
お風呂から上がり、私は宿のバルコニーに出て、熱った体を覚ましていた。
「邪竜……マルスラン……」
浴槽に浸かって、体の汚れを取りながら、ずっと考えていた。
驚くことが立て続けに起こって、正直頭が割れそうだ。
マルスランはどこに行ったのだろうか? そして、彼の次にする行動は?
課題が山積みだ。
それだけではない。
「レオンは──」
先ほどのレオンの言動について、湯で汗を流している間もずっと考えていた。
もしかしたら、彼は……。
「ここにいたのか」
考えていると、バルコニーに出てきたレオンに不意に声をかけられる。
「浴室を出て、君の姿が見当たらないから、どこに行ったのかと心配になったぞ」
「すみません。なんだか考えることが多すぎて、頭を冷やすためにも夜風に当たっていたんです」
「謝らなくてもいい」
そう言って、レオンは私の隣に立つ。
私たちはお互いに、バルコニーの柵に腕を置いて、夜の街の風景を眺めていた。
「レオン──記憶喪失が治ったと言っていましたが、本当に全て思い出したんですか?」
「もちろんだ。戦場で君に出会い、俺が一目惚れをして──結婚を申し出た。その話し合いの際、君だけに食べてもらったマカロンを選んだことも、つい昨日のことのようだ」
「私だけ?」
「なにか変なことを言ったか? あのマカロンはずっと、君も好きだと言ってくれたじゃないか。君の方こそ、記憶を失ってしまったんじゃないか?」
冗談混じりに言うレオン。
私は首を横に振り、
「いいえ。もちろん、全て覚えていますとも。あのマカロンの味は、ずっと忘れることが出来ません」
と微笑んだ。
ああ──やっぱり。
私の中で答えが出てしまい、心にぽっかりと空白が生まれたような感覚を受ける。
「あらためて、言わせてくれ」
私のそんな心情も知らずに。
レオンは体の向きを変え、真っ直ぐと私を見つめる。
「今まで記憶がないことにより、君を不安にさせてしまったが……俺は今後も君を大切にし続ける。これは俺なりの決意表明だ。仮にマルスランがよからぬことを企んでいたとしても、俺が全力で君を守る」
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけるだけで、気持ちが楽になります」
これは本当のこと。
不安なことは多いけど、レオンが私の傍にいてくれると思うだけで、安心感が生まれる。
だけど──一人、取り残されたような虚無感はなくならなかった。
「そろそろ寝よう。明日はすぐに、この街を発つ。帰ってからは、マルスランのことで少々忙しくなるのは億劫だが、早くエマやゴードンの顔も見たい」
と彼は私に背を向けて、部屋の中に戻っていこうとする。
「…………」
徐々に遠ざかっていく彼の背中が、やけにスローモーションに見えた。
どうしようもない寂しさが、胸を満たす。
だからだろう──。
「──私と二人きりの時は、記憶が戻ったふりをしなくてもいいんですよ」




