94・君は俺が守る
「これは──くっ! アレク! 俺はいい! 彼女を守ってくれ!」
レオンは瞬時に、私の体をアレクさんがいる方向に押しやる。
そして突如現れた闇の触手はレオンに殺到し、彼を取り囲んだ。
「記憶を喰った、嫉妬に狂う竜。果たして、君は耐えられるかな? 健闘を祈っているよ」
そう言って、私たちの前から去っていくマルスラン殿下。
アレクさんがすぐに追いかけようとするが──今はこの場をなんとかする方が先決だと考えたのだろう。
悔しそうな顔をして、足を止めた。
「レオン!」
名前を呼び、彼に駆け寄ろうとする。
だが、そんな私の腕をアレクさんが引っ張った。
「これ以上、近付くのは危険です! あなたも巻き込まれてしまいます!」
「ですが、レオンが!」
現れた闇の触手は、レオンの体を絡めとる。
レオンはなんとか逃れようと藻掻くが、触手に行く手を阻まれる。
「無駄じゃ。勝利の女神はやはり、最後に儂らに微笑んだ」
レオンの身を心配していると──先ほどまで気を失っていたはずのバーバラがむくっと顔だけを上げて、哄笑した。
「レオンを助ける術を、教えなさい!」
アレクさんが切羽詰まった声で、バーバラさんに問いを飛ばす。
だが。
「邪竜の力には、何人たりとも抗うことは出来ぬ! 我々とて危険すぎる産物のために、容易には引き出さなかった産物じゃからな!」
と、バーバラさんは答えた。
嘘──というわけでもなさそう。少なくとも、バーバラさんにもこの力を御すことは出来ない。
私たちでなんとかするしかないのだ。
「く……そっ……!」
闇の触手に絡め取られたレオンは、苦悶の声を上げる。
「アレク……彼女を連れて、ここから逃げろ……このままでは全滅だ……」
体が闇に侵食されながらも、レオンは私たちを気遣う。
「なにをおっしゃいますか! あなただけを置いて、私たちだけが逃げるわけにはいきません! ですよね? アレクさん」
振り向いて、アレクさんの顔を見る。
だが、アレクさんからすぐに答えは紡がれない。
一か八かレオンを助けるか──それとも私たちだけでも逃げるか──究極の二択を迫られているのだ。
とはいえ、アレクさんだけならレオンを助けに入っただろう。
しかし、ここには私もいる。
それがアレクさんの判断を鈍らせた。
「……フィーネ様、逃げましょう」
やがて、アレクさんは決断を下す。
「一度、体勢を整えるべきです。レオン様がここで、死ぬというわけではありません。殿下もおっしゃっていました。耐えることが出来れば、記憶が戻る……と」
「この期に及んで、まだマルスラン殿下が本当のことを言っていると!?」
「そ、それは……」
アレクさんは口を閉じる。
彼だって、気付いているのだ。
マルスラン殿下が本当のことを言っているとは限らない、と。
仮に本当のことだったとしても、マルスラン殿下はレオンが邪竜の力に耐えられるはずがないと思っている。
だからこそ、邪竜の力をけしかけた。
──どうすればいい。
こうしている間にもレオンは苦しみ、邪竜の力に取り込まれてしまいそう。
もう──悩んでいる時間はない。
「アレクさん……すみません。やっぱり私、レオンを見捨てることは出来ません」
「フィーネ様! お戻りください!」
強引にアレクさんの手を振り払い、私はレオンの元へ駆け出す。
「……っ!」
──熱い。
闇の触手にかするだけで、肌が焼けてしまいそうなくらいの痛みを覚える。
だけど私は怯まず、レオンの元へ辿り着いた。
「どうして……。どうして──君は俺なんかのために、そこまでしてくれるんだ?」
レオンは苦しみに耐えながらも、私に悲壮な瞳を向ける。
「私たちは夫婦です。レオンの痛みは、私の痛み。あなたの痛みを、私にも分けてください」
意を決して、レオンの胸に飛び込む。
痛みと熱さはさらに増していく。
「こんな記憶を失った俺のために、君は犠牲になろうとしているのか……? 夫婦というしがらみに、君が囚われる必要はないんだ」
「レオンのためなら、私はいくらでも犠牲になっても構いません。それに……記憶をなくしているかどうかは、この際、関係ありませんよ」
竜神祭の夜会で、満天の星を眺めながら願ったこと。
死ぬまで彼の傍にいたい──。
それが叶えられるなら、私は自分の命だって惜しくない。
視界が闇に染まり、徐々に感覚もなくなっていく。
「ひゃっは──っは! 愛の力で──ると? 愚か──! 死ぬが──い!」
バーバラさんの声が、途切れ途切れに耳に届く。
冷たい闇が全身を包み、深い海の底へと沈んでいくようだった。
怖い──。
このまま、消えてしまうんじゃないか……と。
だがその時──背中に確かな温もりを感じた。
見えなくても分かる──レオンの腕だ。
彼が私を守るように、強く抱きしめてくれている。
五感が薄れていく中で、唯一聞こえたのは──彼の胸の鼓動。
「君は──」
その声は闇に閉ざされた世界で、たった一つの道標。
レオンが傍にいてくれると思えば──なにも怖くない。
小さな勇気の花の蕾は、私に光を与えてくれた。
彼がいる限り──私は消えたりなんかしない。
「──君は俺が守る」
刹那──周囲の闇が散開する。
失われかけていた五感も急速に回復し、世界に光がもたらされた。
光を拒んだ闇が再び遅いかかってくる。
だが、レオンが握っていた剣を素早く振るい、闇を一閃した。
「なっ……!」
絶句するバーバラさんの姿。
「き、貴様……っ! どうして、生きておる! 邪竜様に取り込まれたのではないのか!」
「俺一人なら、やられていたかもしれないが──今の俺には彼女がいる。彼女がいる限り、俺は邪竜なんぞに負けるわけにはいかないのだ。それに……」
レオンはこう告げる。
「どうやらマルスランは、本当のことを言っていたようだな。邪竜の力に耐えることが出来れば、記憶が戻る……と」
次にレオンの視線が、私に向く。
「すまなかったな。今まで迷惑をかけた」
「レオン、もしかして記憶が──」
「ああ、全て思い出した」
思い出した──。
邪竜の力に触れ、耐えたことによって失われたレオンの記憶が戻ったのだ!
彼の優しい声を聞いて、私は歓喜する。
「た、耐えたじゃと……? 有り得ぬ。ま、まさか! 本当に愛の力などという形のないものが、邪竜を上回ったというのか?」
「それだったら、より一層ロマンティックだと思うんだがな。しかし今回は彼女のおかげらしい」
そう言って、レオンは右手に持つ剣に視線を移した。
──光輝く剣。
剣から放たれる光によって、周囲の闇が溶けていく。この光を前にしては、どんなに濃い闇も無力。徐々に場を包んでいた不穏な空気も、薄くなっていった。
──私の光魔法だ。
これが私の試してみたかったこと。
光魔法が効くのかは未知数だった。
効かなければ、バーバラさんの言う通り、私とレオンは邪竜に取り込まれていたのかもしれない。
しかし、私たちは賭けに勝った。
邪悪な闇に、私たちの光が打ち勝ったのだ。
それを──人によっては、愛の力と呼ぶのかもしれない。
「ま、まさかその光は──」
「それ以上喋るな」
レオンが歩を進める。
バーバラさんは「ひっ!」と悲鳴を上げて、座ったまま後ずさる。
苦し紛れに周囲のものを投げ、レオンの前進を阻もうとするが、それを彼は簡単に斬り捨てる。
「く、来るなあああああ!」
「許すわけにはいかない。俺だけではなく、貴様は彼女も危険に巻き込んだ。身柄を拘束し、たっぷりと話を聞かせてもらおう」
やがて、レオンはバーバラさんの前で足を止め、剣を振り上げた時──。
「へ?」
間抜けな声がバーバラさんから漏れる。
なくなりかけていた邪竜の力──闇の触手が最後の力を振り絞るように、バーバラさんに攻撃の矛先を向けていたのだ。
「ど、どうして儂が!? 儂は邪竜様を顕現させようとしたのじゃぞ? 邪竜様、間違っています。殺すべくはあの男──」
だが、バーバラさんの声は届かない。
闇の触手は、一斉に彼女に襲いかかった。
「があああああああああ!」
バーバラさんの断末魔は、まるで終わることを拒むかのように続いた。




