93・平等な世の中の実現
──ぞくり。
鳥肌が立つ。
反射的に後ろを振り返ると、そこには──渦中の人物であるマルスラン殿下が立っていた。
「殿下……っ!」
先ほどまで解きかけていた緊張を、レオンとアレクさんは咄嗟に結び直す。
それは私も同じ。
突然現れたマルスラン殿下に、警戒を強くする。
「あれ? なんで、そんな顔をするのかな? 僕をお探しだったんでしょ? それだから顔を出したのに……変な子たちだなあ」
一方、マルスラン殿下は全く気にせず、私たちに歩み寄ってくる。
それに対して、レオンとアレクさんが私を守るように立ちはだかった。
「殿下はこの者たちが、帝国と繋がっていることを知っていたのですか?」
まるで確認作業をするように、レオンが問いかける。
マルスラン殿下はあっさりと首を縦に振り、こう口を動かす。
「うん。っていうか、そもそも帝国とバーバラたちを繋げたのは、僕自身だからね。帝国の民になりたがっていたから、その助言をしてあげたんだけど……我ながら、僕もいいことをしたんじゃないかな?」
「ということは、殿下は帝国に寝返ったということですか?」
「うん」
レオンからの問いに、あっさりと答えるマルスラン殿下。
どうして、一国の王子殿下がそんなことを──もうほとんど答えは出かかっていたものだけど、あらためて愕然とする。
「何故そのようなことを? 我が国を裏切って、殿下には罪悪感がないのですか?」
「罪悪感? なんで? 僕はいいことをしているのに?」
「いいこと……?」
マルスラン殿下の悪意なき言葉に、私は愕然とする。
「この方たちが、なにをしようとしたのか知ってのことですか?」
「邪竜を顕現させ、この街──いや、国を混乱させようとしているんだよね?」
「だったら──どうして! もしそれが本当に可能なら、どれだけの人が犠牲になるとでも? 殿下はそのことを知ってなお、これが良いことだと言うのですか!」
邪竜のことだけじゃない。帝国は我が国と戦争をして、その度に少なくない人々の命が散っていった。
無論、あちらにはあちらの正義があるだろうが……亡くなった人の中には生前、私に親切にしてくださった方もいた。
マルスラン殿下の行為は国のために戦った彼らを、冒涜しているのだ。
だからこそ、私は思わず声を荒らげてしまった。
しかし。
「もちろん、知ってるよ。でも、『平等』を実現するための必要な犠牲だから、しょうがないんだ」
「必要な犠牲……だと?」
レオンも普段からは考えられないくらいに、怒っている。
しかしマルスラン殿下は、私たちの怒りを受けてなお、飄々とした顔をしていた。
「え? なにがいけないの? 平等な世の中が実現するんだよ。そのために、僕は帝国側についたんだよ?」
「……どうしてそこまでして、殿下は平等にこだわるのですか?」
冷静に問うアレクさん。
「だって、君たち──こういうの好きじゃないか!」
と、マルスラン殿下は高らかに告げる。
「貴族というだけで優遇され、実力によって人生が左右されない世の中は間違っている! 無能な貴族どもは権力と利権を貪り、民を虐げる! 人々は平等を求めて叫び、嘆き、苦しんでいる! だから僕は、その叫びを代弁し、実現してあげようとしているだけじゃないか! なのに、どうしてそんな目で見るんだい? 僕は間違ってない。僕は……悪くなんかないよね?」
──っ。
あまりの勢いに、言葉が詰まる。
そして、マルスラン殿下の真意を知った。
──この人は徹頭徹尾、自分が正義の味方だと思っているんだ。
竜神祭の夜会でマルスラン殿下と会った際、彼に抱いたちぐはぐな違和感の正体がよく分かった。
吐き気を催す邪悪でも、この人にとっては全て善意。
そのために人が死んでも、必要な犠牲だと切り捨てる。
そこに一切の悪意がなかったのだ。
言葉にするのは簡単だけど……人が死んでいく光景を目の前にして、考えを変えないことは難しい。
マルスラン殿下の無邪気な正義感に、私は鳥肌が立つ。
「……確かに、平等な世の中は迎合すべきだ。だが、そのために犠牲になっていい人間などあってはならない」
だが、レオンは真っ向からマルスラン殿下の考えを否定する。
「随分と理想を語るんだね。理想だけの君たちが、みんなが平等に暮らす世の中を実現出来るとでも?」
「……自信を持って、殿下の──いや、もう敬う必要はないな。貴様の問いに答えられない。だが、大切なのは死んだ者の思いを背負って、前に進もうとする覚悟。貴様にはその覚悟がない」
「君の言う覚悟は、ただの自己満足だ。現実から目を背け、自分に酔う理想論者そのものだよ」
レオンの怒りを真正面から受け止め、その上で飄々と答えるマルスラン殿下。
両者、一歩も引かない。
「……殿下はその目的のために、私たちを危険に巻き込んだのですか? レオンの記憶が戻るかも──と嘘を吐き、私たちを危険に巻き込みました」
「え? 違うよ。嘘なんて吐いていない。別に、危険じゃないって僕は一言も言ってないじゃないか」
「そんな詭弁を──」
「それに彼──レオン・ランセルの記憶が戻る可能性があるのも、本当のことだ。その証拠に──」
マルスラン殿下が胸元にすっと手を入れる。
それに対して、アレクさんがいち早く反応する。すぐにマルスラン殿下の身柄を確保しようとするが──遅かった。
「遅いよ」
あっ──と思ったのも束の間、マルスラン殿下は胸元から取り出した一枚の札を、ビリビリと破ったのであった。
その瞬間──。
闇が奔流し、それは蠢く触手となった。
「君の記憶を戻す『鍵』は、邪竜の力に触れることだったのさ。もっとも──この邪悪な力に耐えられれば……の話だけどね」




