9・専属侍女ができました
起床。
目を開けると、真っ白な天井。あったかくて、柔らかい布団。このままずっと身を委ねたくなってくる。
ここはどこ? 天国?
……って。
「そうだ……私、公爵家に嫁いできたんだった」
いつもと違いすぎて、頭が追いつかなかった……。
聖女の妹の代わりに公爵家から縁談話がきて。それは私の治癒魔法の腕を見込んでのことだって。どちらにせよ、実家に帰りたくなかったら有り難く縁談話を受けて。
結婚契約書に署名をして、無事に結婚が成立したのだった。
その後、日ごろの疲れもあってか、用意された自室に着いた途端、ベッドで熟睡してしまった。
おかげで体は絶好調。
こんなに、体が軽く感じたのはいつぶりだろう。
「落ち着いて考えると……ここ、すごく良い部屋だよね」
部屋は広いし、なにより清潔。
実家の馬小屋とは大違いだ。
昨日まで、あんな地獄みたいな場所にいたのに……とその落差に、未だに頭がクラクラする。
トントン。
ノックの音。
「はい?」
扉の向こうに声をかけると、「失礼します!」と元気な返事と共に、一人の女性が中に入ってきた。
「奥様! 体調はいかがでしょうか!」
服装から察するに、彼女は侍女のようだ。
「え、ええ。とても快調です。こんなに素晴らしい部屋を用意していただいて、ありがとうございます」
ベッドから降りて、ペコリと頭を下げる。
「ふふっ、そう言ってもらえると私も嬉しいです! それにしても、奥様は私のような侍女にも礼儀正しいですね? 天使ですか? 聖女ですか? 奥様が眩しすぎて、真っ白に見える気がします!」
声を弾ませる彼女。
かなり元気な子だ。私と同世代くらいかしら? こんなに元気な子と喋る機会はなかったので、ちょっと戸惑う。だけど不思議と不快にはならなかった。
「申し遅れました」
彼女は恭しく頭を下げて。
「この度、奥様の専属侍女になったエマと申します。これでももっとちっちゃい子どもの頃から、レオン様に仕えているので、侍女歴は長いんですよ? どうぞよろしくお願いいたします!」
「よ、よろしくお願いします」
専属侍女……私なんかにもったいない。
しかし私は公爵夫人になったのだ。これくらいは普通の待遇かもしれない。とはいえ、これを当然だと思わず、謙虚な気持ちでいなければ。
「色々話したいこともあるんですが……朝ご飯の時間です! じゃじゃーん!」
あらかじめ用意していたのか、エマさんは廊下から朝ご飯を持ってくる。
それを見て、私は思わずこう声を上げてしまうのだった。
「美味しそう!」
見ただけで分かる。美味しいヤツだ。
マフィンの上にカリカリのベーコンととろとろの卵が乗っているもの。海鮮類を使った色とりどりのサラダ。
朝ご飯と言いつつ、私の三日分の食事に匹敵する量に、これにはテンションが上がらざるを得ない。
「どうしましたか? もしかして量が少な……」
「そんなことありません!」
食い気味に答える。
「あ、あの。本当に頂いてもいいんですか? 最後の晩餐というわけではないですか?」
「なに言ってんですか!? ただの朝ご飯ですよ。最後なんかじゃないですし、気に入っていただけたらこれから毎日お出しします!」
「毎日!」
それはなんと……素敵なことだろうか!
さすがは公爵家。それとも、これくらいが普通なのだろうか? 朝ご飯なんて、戦場では簡素なものがほとんだったし、実家ではそもそも存在していなかった。どれくらいが普通なのか分からない。
「さあ、冷めないうちにどうぞどうぞ召し上がってください! お飲み物はいかがなさいますか?」
「えーっと、じゃあ新鮮な池の水を……」
「はい?」
「な、なんでもありません! 贅沢なことを言うかもしれませんが……紅茶はありますか?」
「紅茶ですね! 全然贅沢じゃないですから、もっと気軽に言ってくださいよ!」
勇気を出して言ってみたけど、本当に飲めるの!? ただの水でも私にとったら、贅沢品なんだけど!?
でもあんまり驚きすぎたら、変なヤツだと思って、離婚されてしまうかもしれない。
だから平常心、平常心。
まだ丸一日も経っていないのに、離婚なんてされてしまったら伝説だ。実家に帰ったら、折檻されること間違いなし。
「じゃじゃーん! 私が淹れた特製の紅茶です。どうぞどうぞ!」
「ありがとうございます。では……いただきます!」
私は早速、至高の朝ご飯に口を付ける。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
なにこれ。美味しい。ほっぺが落ちてしまいそう。
こんなのが本当に毎日でも食べられるんだろうか? 美味しすぎて、胃がビックリしちゃわないだろうか? 様々な疑問と懸念が渦巻く。
「ふふふ、奥様。とっても幸せそうです」
「す、すみません。はしたなかったですよね?」
「いえいえ、そんなことはありません! 私が作ったわけではないんですが……そうして美味しそうに食べて頂けると、自分のことのように嬉しくなってきます!」
「は、はあ」
エマさんのテンションに付いていけず、そんな曖昧な返事をしてしまう。
「あっ、よかったらエマさんも食べますか?」
「私も?」
「はい。私ばっかり食べてたら、申し訳なく感じますので……なんだか食べにくいです」
そう言うと、エマさんの目が光った……気がした。
「いいんですか!? たかが侍女の私なんかに、そんな施しを!」
「たかが? なにを言っているんですか。侍女も誇るべき仕事でしょう。エマさんは変なことを言いますね」
この世で不必要な仕事なんてない。
法に触れていない限り、胸を張るべきなのだ。
自分を卑下する必要なんてどこにもない。
「じゃあ、お言葉に甘えて……! わっ、すっごく美味しいですね!」
エマさんもベーコンと卵が乗ったマフィンを食べると、そう言葉を漏らした。
「ありがとうございます。レオン様には内緒ですよ? 奥様にご飯を分けてもらったって言ったら、雷が落ちますから」
「もちろんです。でも……レオン様って怒ると怖いんですか?」
なにげなく聞いてみた質問だった。
「怒ると超怖いです」
エマさんがブルブル震える。
「額にデコピンされます」
「デコピン?」
「指で弾くようにして、相手にダメージを与える技です。レオン様のデコピン、とっても痛いんですから」
エマさんの表情から察するに、なかなか恐ろしい技のようだ。
レオン様を怒らせないようにしよう。そう固く誓った。
しかしそれだけでは私のレオン様に対する心証が悪くなると思ったんだろう。
「まあ普段は優しいんですけどね。ちょっと愛想が悪くて女心が分からなくて融通が利かないところがありますが……」
そんなフォローになっているのかなっていないのか、分からないことを補足してくれた。
「ふふふ」
「どうしたんですか? 急に笑って。私、変なことを言いましたか?」
「いえ、そうじゃありません」
誰かとこうして楽しくお喋りしながら食べるのは楽しかったから。
つい笑いが零れてしまった。
そして私が朝ご飯を食べ終わると。
「では、行きましょうか」
「どこにですか?」
「レオン様のところです。その前に……」
エマさんは私の手を取って、こう続けた。
「身支度の時間です」