5・おもてなしを受けました
そして私は急ぎ足で、ランセル公爵──レオン様の住む屋敷へと向かった。
屋敷の前に着くと、入り口の正門では執事の方が出迎えてくれた。
「お待ちしていました、フィーネ様」
執事の男は、そう言って恭しく頭を下げる。
彼は若く、そして美しい顔立ちをしていた。ちょっと真面目すぎる雰囲気も好印象である。
それにしても……この方、どこかで見たことがあるような……。
「あっ」
気付き、手をポンと叩く。
「気付かれましたか」
と彼は柔らかく微笑む。
「アレクさん……ですよね?」
「はい、その通りです」
「どうして、そのような格好に? あなたは騎士だったのではないですか?」
アレクさん。
先日の戦場で、レオン様の傍で彼の身を案じていたお付きの騎士。
『軍医……! あ、あなたに頼みがあります!』
あの野営地で、彼が必死に頼んでいた姿が、昨日のことのように思い出せる。
服装も雰囲気も違っていたので、気付くのが遅れてしまった。
突然の再会に驚いていると、執事──アレクさんはこう答える。
「戦いでない時には、執事も兼任しているんですよ。どうですか、執事の格好もなかなか様になっているでしょう?」
アレクさんが両腕を広げる。
「ええ……とても似合っています。正直、驚きました。騎士の時とのギャップで、クラクラしちゃいます」
「ありがとうございます。ですが、レオン様を見ればもっと驚くと思いますよ。そんなことより……」
訝しむような口調で、アレクさんはこう続ける。
「馬車や従者の姿が見当たらないのですが……ここまで、どうやって来られたのですか?」
「え、えーっと」
一瞬言うのを躊躇ってしまうが、隠しても無駄だろう。すぐにバレることだ。
意を決して、私は口を開いた。
「歩いて……きました」
「はあ?」
ぽかーんとした様子のアレクさん。
「フィーネ様は、ヘルトリング伯爵家のご令嬢ですよね?」
「はい……」
「馬車くらいは出してもらえると思えますが……どうして、徒歩でこちらまで? そもそもここまで、歩いてだったらかなりの日数かかりましたよね?」
アレクさんの追及は止まらない。
──馬車なんて上等なもの、あのお父様が用意してくれるはずがない。
……なんて、言えるはずがない。
私が言うのを迷っていると、その動揺を悟ったのか、
「……失敬。詮索はよろしくありませんね。ひとまず、今はレオン様の元まで案内しましょう。こちらです」
と話を変えて、アレクさんは踵を返した。
よかった……言い訳なんて思いつかなかったから。
ほっと安堵の息を吐き、屋敷の敷地内に足を踏み入れる。
当たり前かもしれないけど、大きい屋敷に広い敷地。
使用人が優秀なのか、管理も行き届いて、庭は宝石のように光り輝いているように見えた。
きょろきょろと辺りを見ながら、アレクさんの後に続いていると、やがてある部屋に通された。
「来たか」
入ってすぐに、部屋の奥の椅子に座っている美男子に視線がいった。
「あらためて名を名乗ろう。レオン・ランセルだ」
彼は立ち上がり、固い口調でそう言った。
あの時、戦場でお会いしたレオン様の姿が脳内で重なる。
そしてさらにレオン様は続けて、
「先の戦いでは、世話になった。君のおかげで、今の俺の命があると言っても過言ではない。本当にありがとう」
と丁寧にお礼を述べてくれた。
「い、いえいえ! そんな……っ!」
レオン様の佇まいに、私は戸惑うばかり。
「あ、あの……そういった服装のレオン様も、とても素敵です」
いきなり褒めるなんて、失礼だったかもしれない。
だけど仕方がない。
だって本当に今のレオン様は素敵だったから。
あの時は重そうな鎧を身につけていた。
しかし今のレオン様はキレイなお洋服に身を包んでいる。
『ですが、レオン様を見ればもっと驚くと思いますよ』
先ほど、アレクさんにそう言われたけど、その意味がはっきりと分かった。
レオン様から放たれる強烈な色気に、私は頭に血が昇っていくのを感じた。
「ありがとう。お世辞でも嬉しい」
褒められ慣れているためなのか。
レオン様は表情一つ変えずに、そう短く言葉を返したのみ。でも不快には感じてなさそう。
「はあ……相変わらずの堅物さ……」
何故か、後ろからアレクさんの溜め息の音が聞こえたが、それに反応している余裕はなかった。
「取りあえず、座って話をしようか。長旅で疲れただろう。それとも……馬車の中で座りっぱなしだっただろうから、立ったままの方が逆に楽か?」
「い、いえいえ! お言葉に甘えさせてもらいます!」
さっきだってアレクさんに怪しまれたのに、また「歩いてきました」なんて言ったら、どんな顔をされるか分かったもんじゃない……。
そう思った私は、レオン様がソファーに座ったのを見届けてから、対面に腰を下ろした。
「フィーネ様。テーブルに置かれているお菓子も、どうか手に取ってくださいませ」
緊張している私を気遣ってくれたのか、アレクさんがそう声をかけてくれる。
「い、いいんですか!?」
「もちろんです。それとも……甘いものは苦手でしたか?」
「そんなことはありません! マカロン、大好きです!」
つい食い気味に答えてしまうと、アレクさんとレオン様は揃ってきょとんとした。
「す、すみません……! 大きな声を上げてしまって……」
「いえいえ、謝る必要はありません。先日、全く別のことが起こったので、面食らっただけです」
「?」
どういうことだろう?
「紅茶もお淹れしますね──どうぞ」
「ありがとうございます」
こんなに柔らかいソファーに座らせてもらって、マカロンも頂ける。
あまりの高待遇に、ちょっと罪悪感すら感じてしまうけど……せっかく用意してくれたのに、手を付けないのも逆に失礼だろう。
そう自分に言い聞かせて、マカロンを口に入れる。
「……! 美味しい!」
ほっぺが落ちてしまいそうなくらいの美味しさ。
色とりどりのマカロンは、見ているだけで心が弾む。
そしてその味も一級品。
噛めば甘さがあっという間に口内に広がった。
紅茶もマカロンの甘さによく合っている。これなら何個でもいけそうだ。
そのせいだろう。
気付けば、マカロンを食べる手が止まらなくなってしまった。
だけど。
「…………」
「す、すみません!」
途中でレオン様の視線に気付いて、私はすぐに顔を上げる。
いけない……。
お腹が空いていたのも、あったんだろう。それに甘いものなんて、滅多に口にすることはなかった。
目の前にレオン様がいることも忘れて、マカロンを夢中になって貪ってしまった……。
卑しいヤツだと思われないだろうか……。
「何故謝る」
しかしレオン様は、私の懸念を一蹴する。
相変わらず、表情は固いままだけど。
「正直、口に合わなかったら……と思って不安になっていたんだ。しかし安心した。君がそんなに喜んでくれて、選んだ甲斐があった」
「あ、ありがとうございます?」
なんのお礼だ……と思ったが、こういう状況は初めてなので、こう言ってしまったのも仕方がない。そう思おう。
とはいえ、マカロンと紅茶ばかり口にしていては、話も進まない。
私は後ろ髪を引かれる気持ちでマカロンから視線を外して、姿勢を正した。
「もうお腹いっぱいか?」
「は、はいっ! とても! 美味しかったです! ありがとうございました!」
本当はもっと食べたいけど……我慢我慢。
これでも、私は一応伯爵令嬢。
あまりはしたない真似をして、結婚話がご破産になったら洒落にならない。
お父様に鞭でぶたれること間違いなし。
「……君は妹と全然違うんだな」
「え?」
「なんでもない。さて……」
レオン様は首を横に振って、こう続けた。
「俺は君と夫婦関係になりたいと思っている。そのことはヘルトリング伯爵からも聞いているな?」
「はい、もちろんです」
レオン様の口からこう聞かされて、再び疑問が再燃する。
どうして、彼は私と結婚したいんだろうか?
コリンナじゃなくて、どうして私……と。
しかしそんな私の疑問は、レオン様が差し出した一枚の書類を見て、解消されるのであった。
「これが契約書だ。目を通してくれるか」
その一番上には『結婚契約書』という文字が書かれていた。