34・妹より優れた姉
「フィーネ様! 私の後ろに!」
アレクさんが私の前に立ち、剣を構える。
「コロ……す、コロ……」
自分の顔を右手で覆っているコリンナ。
爪が獣のように長く、髪が逆立っていた。あれだけいつも美容に気を遣っているコリンナとは思えない。そのくらい、今の彼女は魔物のような風貌であった。
「コリンナ……あなたは一体……」
「フィーネ様、あの者にもうあなたの声は届かないものかと。この状況……私は一度経験したことがあります」
「経験……?」
「説明は後です」
焦燥感を含ませた声で、アレクさんはこの場にいる動ける騎士全員に命令を発する。
「その者を今すぐ捕らえよ! 生死は問わない。相手を人間と思うな。魔物と思え。なんとしてでも、ここで食い止めるのだ!」
それに対して、騎士の間で動揺が広がったのは一瞬だった。
まだ状況も理解しきれていない者も多いだろう。しかし考えている余裕はないと悟ったのか、一斉にコリンナの元へ殺到する。
さすが修羅場を何度も乗り越えてきた、歴戦の猛者である。
しかしその前に、コリンナの連れてきた護衛騎士が立ち塞がる。
「悪いな。いくら性根が腐っている聖女とはいえ、俺らは彼女を守るのが仕事」
「そう簡単に聖女様を殺させるわけにはいきません」
護衛騎士の実力もなかなかのもの。彼らのせいで、コリンナに接近出来ずにいた。
「そんな悠長なことを言っている場合ではありませんよ」
気付けば、アレクさんがいなくなったかと思うと……彼はコリンナの護衛騎士の後ろに回り込んでいた。
「ぐ、はっ……なんだこの速さ」
「まさか疾風の騎士……」
それがその護衛騎士の最後の言葉だった。
アレクさんがなにかしたかと思うと、彼らは糸が切れた操り人形のように脱力して、その場に倒れ伏した。
「……その異名であまり呼んで欲しくないんですけどね」
とアレクさんが肩をすくめる。
そしてすぐさまコリンナの方へ向き直し──またもや姿が消失。
だけどそれは本当に消えているわけではない。
速すぎて、私の目じゃ動きが捉えられないのだ。疾風の騎士の名はだてではない。
本来なら、それで決着が着くはずだった。
「ワタシの……ジャマをするんじゃないわよ!」
だが、それでコリンナは止められない。
彼女が前に手を突き出したかと思うと、闇の衝撃波が出現。
アレクさんに衝撃波が直撃し、遥か後方に吹き飛ばされた。
「アレクさん!」
すぐさま彼を助けようと、駆け出そうとする。
しかしそんな私の前にコリンナが立ち塞がった。
「どいて! 私のことが気に入らないなら、あとでいくら叩いてくれてもいいから! 今はアレクさんのところへ……」
「ワタシに命令するな!」
それはコリンナの声であって、コリンナの声ではない。
脳に直接恐怖が植え込まれるような、そんな悪魔のような声だった。
コリンナが拳に闇を纏う。
そのまま彼女は拳を振り上げて、視線で私に殺意を飛ばした。
「シネ!」
その拳が振り落とされるのが、やけにスローモーションに見えた。
あっ、私……ここで死ぬんだ。
直感でそれを理解する。
「ちいぃぃいっ!」
しかし──その拳を剣で受け止め、運命を捻じ曲げる男が現れた。
「アレクさん!」
アレクさんが早くも体勢を整えて、私を守ってくれたのだ。
「フィ、フィーネ様……私を置いて、どうか逃げてください。この者は私の命がなくなろうとも、ここで止めます」
「そ、そんなっ! でもアレクさん、そんなに傷ついてるのにっ!」
コリンナは拳が剣で受け止められているのにも関わらず、その勢いを止めようとしない。どうやらあの纏っている闇が、剣から拳を守る盾のような役割を担っているみたいだ。
ジリジリと押されていくアレクさん。
頭からは血を流し、今にも倒れてしまいそうだ。
だけどアレクさんは引かない。それは私がすぐ後ろにいるからだろうか。
「待ってください。今すぐ治癒魔法をかけ──」
と言いかけた時であった。
「だから……ワタシのジャマをするなああああああ!」
コリンナの周りを中心として、闇の嵐が吹き荒れる。
その衝撃に負け、私とアレクさんは散り散りに吹き飛ばされる。
私は壁に強く体を叩きつけられ、すぐに悶絶する痛みが襲いかかってくる。痛みで意識が遮断されそうになるが、寸前のところで我慢。前を見据える。
「フフフ、やっぱりカオだけはいいわねえ」
するとコリンナがアレクさんの顎に手をかけ、うっとりした様子で彼を見つめているところであった。
「アナタ、ワタシのオトコにならない? アイジンの一人として、迎えてやってもいいわあ」
「……お生憎様」
ボロボロのアレクさん。喋るだけでも辛いのだろう。
しかしアレクさんは微笑みを浮かべて、彼女にこう言葉を吐きかけた。
「私はこれでも面食いなんですよ? あなたのような醜い女のものになる気はない。たとえどんな対価を払われてもね」
「……ふんっ。ならば、あんたはイラナイ」
「アレクさん!」
私は手を伸ばすが、それでアレクさんを救えるわけもなく。
コリンナが興味をなくしたかのように、アレクさんを片手で悠々と放り投げた。
アレクさんは為す術なく、そのまま地面に落下し動かなくなった。
「──っ!」
悲鳴が出てしまいそうなのを、寸前で堪える。
そう……戦場ではこういうことは珍しくない。
どれだけ必死でも、どれだけ死にたくなかろうとも、不幸というのは人々に平等に訪れる。
「コロス、コロス、コロス……妹より優れた姉なんて、ワタシにはいらないのよ」
私の行く手を阻むように、コリンナがゆっくりと歩を進める。
身長は私とほとんど変わらないくらい……だったはずなのに、妙に今の彼女は大きく見えた。
他の騎士たちも、私を助けようと駆け出そうとする姿が見える。
しかしコリンナの背中から、漆黒の触手なようものが生えていた。
彼女はそれを自由自在に操り、騎士たちの前進を遮っていた。
ああ……今度こそ死ぬ。
覚悟を決めても、目は瞑らない。
戦場で目を背けるヤツは、愚か者と恩師に教えてもらっていたからだ。
ゆえにコリンナが手を振り上げ、私に迫っていく光景もはっきりと見えていた。
「フィーネ!」
誰かが私の名前を呼んだ──気がした。
私は次に来るであろう痛みを待っていると……その代わりに、ふんわりと温かくて柔らかい感触が私の体を包んだ。
どうやら私は誰かに抱えられているらしい。
訳も分からず、ゆっくりと顔を上げると──。
「レオン様!」
そこには私の夫である──レオン様のお顔があった。




