104・その『鍵』は、世界一単純なもの(レオン視点)
コミカライズ7巻、本日発売です!
俺──レオンはずっと考えていた。
──どうして彼女は、あれほどまでに自分を押し殺しているのだろうか。
フィーネに関する記憶がなくなった俺は、知らない者を見るような感覚で彼女と接することになった。
そしてその間、俺の中でずっと渦巻いていた疑問だ。
彼女は伯爵家の出だ。家庭では虐げられて育ってから別なものの……俺と結婚し、彼女は公爵夫人となった。
そうでなくとも、非常に優秀な治癒士で、騎士たちは彼女に全幅の信頼を寄せている。彼女が嫁いできてから、さほど月日が経っていないというのに、騎士たちの信頼を得られるのは驚異的なことである。
さらに、目を見張るべきなのは──光魔法の使い手ということ。
歴史に名を残すほどの力だ。それでも、彼女は王都で皆から崇められながら過ごすのではなく、俺と共に歩むことを決めたらしい。
素晴らしい人物だ。文句の付けようがない。
それなのに──フィーネは、何故か酷く自分に自信がなかった。
公爵夫人だというのに、屋敷の掃除をしようとする。
自分のことを「大したことがない」と言う。
なにも求めず、唯一の希望が──俺の傍にいること。
どんな人生を送っていれば、彼女のようになれるのだろうか。ずっと不思議だった。
そして、何故彼女は俺をそんなに──。
そんなある日、マルスランの放った言葉が引き金となり、俺たちは危機に直面した。
『これは──くっ! アレク! 俺はいい! 彼女を守ってくれ!』
邪竜の力に漏れ、フィーネとアレクだけは咄嗟に逃そうとしたが──彼女は違った。
フィーネは爆心地に飛び込み、俺の胸元でこう言った。
『私たちは夫婦です。レオンの痛みは、私の痛み。あなたの痛みを、私にも分けてください』
その時、俺の胸を支配していたのは罪悪感だった。
俺のせいで、彼女が苦しんでいる。
もう、この苦しみから解放させてあげたい。
バーバラの言うことなど論ずるに値しないと思っていたが……俺は心のどこかで、ずっと彼女に罪悪感を抱いていたのかもしれない。
俺の傍にいて苦しむくらいなら、いっそのこと──と。
ゆえに俺は、咄嗟に嘘を吐くことにした。
記憶など戻っていないというのに、戻ったという嘘を。
そしてこの事実は、墓場まで持っていく。
そうすれば、彼女の苦しみも和らぐと思い──。
しかし、俺の目論見は外れた。
『私たちの関係が、当初の予定に戻るだけです。白い結婚と思い込んでいる時も、私はとても幸せでした。なにも問題はありません』
俺の嘘がバレた時、彼女はそう言った。
『どうして君は泣いているんだ?』
感情を押し殺し、涙を流すフィーネを見ていたら、俺の中の罪悪感はさらに強くなる。
俺はただ、彼女を抱きしめてやることしか出来なかった。
そして──邪竜だ。
邪竜の攻撃が、俺の前に迫る。
波動が俺の体を包んでから──俺はずっと、暗闇の中を彷徨い歩いているようだった。
意識はあるが、指一本すら動かない。外部の状況も分からない。俺は、死んでしまったのだろうか?
自分の体だからこそ、はっきりと分かる。
もう致命傷。治ることはない。こうして考え事が出来ているのは、神様がくれた生と死の間隙なのだろう。
やっと楽になれる──尊敬する両親と、同じ場所に行ける──と安心してもよかったが、俺には心残りがあった。
──フィーネに……もう一度、会いたい……。
下手な嘘を吐いてしまったことにより、彼女を深く傷つけてしまった。
そして、無事に帰る──という嘘すらも。
彼女に会って、謝りたかった。
俺が君の夫なんかで、すまん。俺は君を悲しませることしか出来なかった。愚かな男を、どうか殴ってくれ。
神がいるとするなら、頼む……!
この愚かな男に、どうか奇跡を──。
「レ……オン……」
その時。
暗闇の中で、彼女の声が確かに聞こえた。
次第に暗闇が晴れていく。どうやら自分の力で、瞼を開けているのだ──と気付く。
「フィー……ネ……?」
そして、目を開けて──フィーネの顔を見た瞬間、胸の鼓動が激しくなった。
それは『生』に歓喜するように。
彼女に会えた喜びを、爆発させるかのように。
もう二度と、彼女を離したくない。彼女を力一杯抱きしめたい。彼女と心を通わせたい──。
その瞬間、俺の中に記憶が傾れ込んでくる。
マカロンを、美味しそうに食べる彼女。
光魔法で、妹コリンナを救う彼女。
コリンナと共に、無魔法を成就させる彼女。
そして──フィーネに口づけをする、俺自身の記憶だ。
「ああ……」
渇いた声を漏らす。
どうして、俺は──今まで、こんな大切なことを忘れていたのだろうか。
「レオン……大丈夫ですか?」
「もう……大丈夫だ。なんだか長い夢を見ていたようだよ……フィーネ……君がまた俺を救ってくれたんだな。あの時と同じだ……」
そう言うと、フィーネははっとしたように目を見開く。
そして、勢いよく顔を近付け。
「私の名前を呼んでくださった……? レオン……もしかして、記憶が──」
「ああ。今度は本当だ。君のことを……全て思い出した。フィーネ、本当にすまなかった……」
「あなたが生きてくれるなら、それでいいんです! 謝らないでください!」
ポロポロと両目から涙を流しながら、フィーネが言う。
「俺はまた、君を泣かせてしまったか。泣かないでくれ、フィーネ」
俺はゆっくりと彼女の目元に指を近付け、涙をそっと拭ってあげた。
「これは……あの時とは違います。これは、嬉しさの涙なんです……! 本当に……本当に……よかった」
フィーネが嬉しそうに微笑み、
「レオン、お帰りなさい」
と口にした。
──ああ、やっぱり俺は愚かだ。
彼女の記憶を失っている間、俺はこんな簡単なことにも気付けなかった。
記憶を治す『鍵』は、世界一単純なものだったのだ。
「フィーネ──ただいま」
おかげさまで、朱城怜一先生によるコミカライズ7巻が本日発売となりました。
小説と併せまして、お楽しみいただけますと幸いです!




