98・戦場と化した街
「哭いている。愛する者を奪われた竜が、悲しみで哭いている──」
リファリオン。
一際高い建物の屋上で、一人の男──マルスランが街の光景を俯瞰している。
(無事に邪竜は、この地に顕現した)
マルスランは思う。
大昔、世界に大いなる災いをもたらしたとされるリファリオンの邪竜。彼はそれを召喚するため、バーバラらを用いて動いていた。
今まで、数えきれない者が犠牲になっただろう。
しかしマルスランは、これっぽっちも罪悪感も抱いていなかった。
「悪いね。僕が寝返るって言っても、疑い深い帝王陛下は信じてくれないんだ。帝王陛下からの信頼を勝ち得るため、この街には犠牲になってもらうよ」
街中では、人を形取った闇が人々を襲っている。邪竜によって召喚された闇の使者だ。
ここからでも、人々の悲鳴が耳に入る。
マルスランは愉快そうに、突如街に形成された地獄を眺め続ける。
「何人、死ぬかな。けど、これも平等な世の中を実現するための必要な犠牲だ。許してくれるよね?」
勇敢な戦士に向けて、マルスランは呟く。
「このままでは、リファリオンは全滅だよ? 果たして、どうする? レオン・ランセル──」
口元には微笑みを浮かべ、マルスランは事の成り行きを見守ることにした──。
◆ ◆
「戦う者は剣を取れ! 邪竜の影響は、街全体に及んでいる! 誰一人、犠牲者を出すな!」
レオンがみんなに、てきぱきと指示を出す。
──夜闇に突如現れた漆黒の竜。
私たちはそれを確認し、すぐに行動に移った。
まずは被害の確認。竜は街中で暴れ回り、建物を破壊していく。今もなお、被害は広がっているという。
さらにそれだけではない。
私たちが宿を出ると──人の形をした不気味な『影』が、そこら中で闊歩していたのだ。
さらに、その影は人々を襲う。
人々が逃げ惑い、恐怖する光景が目に入る。当然すぐに助けに入るが、次から次へと影は出現し、手が追いつかない。
現在、私たちは自警団の詰め所で状況の確認に努めている。
だが、状況は芳しくない。
平和だったはずの街は、謎の竜の出現によって一気に地獄の戦場と化してしまったのだ。
「あの竜はなんなんですか!?」
詰め所にいた自警団の一人が、そう声を荒らげる。
「……詳しく説明をしている時間はない。だが、俺はあれはこの街が長年竜神として崇めていたものだと思う。そして今は──邪竜として街を破壊している」
「竜神セリオン様が!? どうして街を……」
戸惑っているのは、目の前の彼だけではない。
急に今まで信仰の対象としていた竜神が邪竜と聞かされ、詰め所にいる人たちの間で動揺が広がる。
人々の記憶を喰らい、完全にこの世に顕現した場合は、大いなる災いをもたらされるという邪竜。
完全に決めつけるのは早いかもしれない。
だけど、街に出現した竜は、『夜に溶け込むような常闇の体躯に、街そのものを飲み込まんとするばかりの存在感を放つ』と、バーバラさんが聞いた情報と合致してしまうのだ。
偶然だと簡単には片付けられない。
「邪竜と同時に出現した人型の影……あれは、なんなのでしょうか?」
「分からない。だが、脅威なのは事実だ。『シャドウ』とでも名付けようか」
私の問いに、レオンは首を横に振って答えた。
邪竜だけでも手を焼くというのに、この上シャドウまで──。
大机の上には、リファリオンの地図が置かれている。
邪竜やシャドウによる被害は街全体に広がっており、今なお至る所で自警団が戦っているという。
レオンたちは地図を凝視し、考えを巡らせているようであった。
「レ、レオン様たちだけでもお逃げください! 他所から援軍が来るまで、我々だけでなんとか持ち堪えます!」
彼らだって混乱しているだろう。
しかしそれをぐっと堪えて、自警団の一人がそう言ってくれる。
「俺たちだけが逃げ帰るなど、もってのほかだ。俺はこの街を守るために戦う。それに──」
レオンは暗い表情をして。
「街の周りに、謎の結界が張られているとの報告を受けている。そのせいで外に出ることも出来ず、他からの援軍も期待出来ない」
「け、結界!? 邪竜の仕業でしょうか?」
「そうだと思うが……現時点では断定出来ない」
「ならば結界を壊すことは、出来ないんですか?」
今度は私から質問する。
「無論──結界を壊すために、現在も手を尽くしています」
私の問いに、アレクさんが答えてくれる。
「しかし結果は芳しくありませんね。結界を壊すだけに集中するならともかく、邪竜とシャドウの対処もしなければなりません。そう簡単に壊すことは出来ないでしょう」
「そ、そんな……」
愕然とする。
ゴードンさんだったり、王都の騎士団長──エアハルトさんが来てくれるなら希望が生まれるけど、それも期待出来そうにない。
仮に外部から援軍が来るまで耐えたとしても、その時にこの街はどうなっているだろうか?
現状でもいっぱいいっぱいなのだ。きっと、人がたくさん死ぬ。
結界を壊すことだけに、注力するわけにはいかない。
「では、邪竜を倒すしかないのでしょうか?」
「邪竜を倒そうにも、その前にシャドウが邪魔です。まずはシャドウを一体ずつ倒していくのが先決でしょう」
「可能なんですか?」
「可能──にするしかありません。ですが、シャドウの数は一向に減っていないという報告も受けています。一体、なにが起こっているやら……」
このような状況は初めてなのか、アレクさんの表情も曇る。
歴戦の騎士であるアレクさんにとっても、この状況は絶望的なのだ。
「──ここにずっといっても、事態は進展しないな」
レオンは覚悟を決めた顔つきになって、
「俺も出陣する。こうしている間にも、街の被害は増えていく。邪竜やシャドウと戦えば、なにか分かるかもしれない」
と剣を手に取った。
「レオン様、私もお供します」
「頼りにしているぞ」
アレクさんも声に戦意を宿し、レオンと視線を交錯させた。
「私は……」
「君にはここで、怪我人の治療にあたってほしい。戦いは劣勢だ。次から次へと、怪我人は運び込まれていくだろう。君に負担をかけてしまうことになるが……出来るか?」
「分かりました」
即答する。
戦う力を持たない私は、レオンたちを見送ることしか出来ない。
だけど、私は軍医だ。戦う力の代わりに、治癒魔法がある。この力を存分に使い、一人でも多くの人を救おう。
「頼んだ。俺たちは同じ場所にはいないが、共に戦う仲間だ。君の力で、一人でも多くの人を救ってくれ」
とレオンが私に声をかける。
「では──アレク、行くぞ。まずは邪竜に近付きながら、シャドウを掃討しよう。その間に、襲われている人々を助け──」
「あ、あの」
レオンの去り際。
無意識に、私は彼の服の裾を掴んでしまう。
「どうした?」
振り返り、不可解そうに私を見るレオン。
「また、あなたとお会い出来ますよね?」
私がそう言うと、レオンは一瞬きょとん顔。
しかしすぐに精悍な顔立ちに戻り、
「ああ、もちろんだ。必ず戻ってくる。この戦いが終われば、またあのマカロンを一緒に食べよう」
覚悟のこもった声で言って、私の頭にポンと手を置いた。
そうされていると安心感からなのか、胸がぽかぽかと温かくなった。
やがてレオンは私から手を離し、アレクさんと共に詰め所から出ていく。遠ざかっていく彼らの背中を、私は見送った。
──別にこういう経験は、初めてではない。
レオンは騎士だ。
公爵騎士に嫁いだ以上、妻として死地に挑む彼らを見守る覚悟は出来ていた。
不安でどうにかなってしまいそうだけど、そうするとただの迷惑になるから、私も我儘を言わない。
今まで、レオンもアレクさんと戦いの地に赴いても、必ず帰ってきてくれた。
だから今回もそうなるはずだ──と自分に言い聞かせる。
──だけど、どうしてだろう。
今回だけは、いつもとなにかが違う。
騒がしくなる鼓動を抑えるように、私は自分の胸に手を当てた。




