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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雨女子、濡女子

作者: 陸六 緑

 雨の中を私は歩いていた。

 今朝、出がけに見た天気予報じゃ雨の心配はないと言っていたはずなのに。土砂降りとはいかないまでもそれなりに強い雨だった。

降り始めはどうしたものかと頭を抱えそうになったけれど、折り畳み傘を入れっぱなしにしていた自分に感謝だ。

 雨が降ると知っているのといないとでは気持ちに大きな違いがある。心構え一つの違いだけれど、予期していない雨はとんでもなく気分を落ち込ませる。ましてや、おろしたてのパンプスを履いているときに急な雨だ。気分の落差は推して知るべし。それこそ家に帰ってから家事をやろうなどと思わないほどに。だからこの左手のコンビニ袋は何も悪くないのだ。悪いのは全部雨なのだ。

 そんな言い訳を考えているときだった。女性の姿が目に飛び込んできた。

 切れかけて不規則に明滅する電灯。その下で彼女は見えるはずのない星空を見上げるように、全身を雨に濡らしながら空を見ていた。


「どうかしたんですか?」


 思わず声をかけてしまった。正直、普段じゃ声をかけずに足早に通り過ぎただろう。ただ、彼女の横顔を見たとき、話しかけなきゃいけない、そう思った。

 私の声に反応したのか、こちらを向いた彼女は泣いていた。雨粒が偶然そんな風に見えただけかもしれない。でも確かに目尻から涙が零れていた。

 目が合った。彼女はとても綺麗な、寂しい笑顔を浮かべた。


「うちにおいでよ」


 そんな言葉が口から転がりでた。警戒させないよう、出来るだけ優しく笑いかける。そのまま彼女の手を取って歩きだした。コンビニの袋を持ったままな上、雨で濡れているせいですぐに手が離れてしまいそうで、何度も握り直した。


「ごめんね、何度も」


 謝ると、彼女はそっとコンビニ袋を持ってくれた。そのまま空いた私の手に自分の手を滑り込ませてくる。改めて握ったその手は酷く冷たかった。




 どうしてこんなことに。

 そんな言葉がぐるぐると頭上を回っていた。どうしても何も自分がここまで連れてきたんだ。

彼女は今私の眼の前に座っている。桃色に上気した肌が緩い首元からのぞいていた。まずは体を温めないと、そう思って風呂場に押し込んでシャワーを浴びさせたのだ。そして、上がってきた彼女は着替えにと渡した大きめのTシャツ姿で腰を下ろしている。


「はい、ドライヤー」

「すいません、ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 彼女が初めて口を開いた。水面に水滴が落ちるような、土に水が染み込んでいくような、心の内側に入り込んでくる、そんな声をしていた。

 明るい場所で見る彼女は思っていたよりも幼く見えた。下手をすれば成人すらしていないんじゃないかと思うほどに。けれど濡羽色の髪の毛が貼り居ついた首筋は妙に艶めかしい。綺麗なことには変わりないけれど、変にちぐはぐだ。


「とりあえずご飯にしよっか。足りないだろうから何か軽いもの作るよ」

「あ、すいません。お手伝いします」

「いや、大丈夫。ほんとにちょこっとだし、キッチンも狭いからね」


 立ち上がりかけた少女を止め、キッチンへ向かう。冷蔵庫にはろくなものがなかった。缶ビール、卵、しなびた大根、缶ビール、いつ開けたか分からない中途半端に使われたコチュジャンに、賞味期限の切れたカニカマ、半分だけの魚肉ソーセージ、そして缶ビール。

 仕方ないのでかに玉を作った。片栗粉は無いからあんかけにできない。醤油やマヨネーズ、ソースなんかで味を付ければ食べられなくはないだろう。


「お待たせ」


 少女は私が戻ってくるのを律儀に待っていてくれたみたいだった。


「それじゃあ食べよっか。いただきます」

「……いただきます」


 いただきます、だなんていつぶりに言っただろうか。少なくともここ数年言った記憶は無かった。誰かと食事なんて、飲み会くらいでしかしないし、そのときは乾杯がいただきますみたいなものだ。案外食事の度に言ってる人なんていないのかもしれない。

 そんな風に別のことに思いをはせられたのも鮭おにぎりを一つ食べるくらいの時間だった。


「すいません、食事までいただいてしまって」

「ううん、気にしないで」


 彼女は申し訳なさそうに鯖おにぎりを見つめていた。そんな顔をするより、おいしそうに思いっきりほおばってあげた方が鯖おにぎりも本望だと思う。

 そんなことを言えるはずもなく。


「そうだ、私は和泉(いずみ)(はじめ)。あなたは?」

「レオナです」

「いくつ?」


 訊ねるとレオナと名乗った少女は体を強張らせた。鯖が米からはみ出る。


「二十歳です」


 そう言って彼女はおにぎりにかぶり付く。明らかに嘘だった。これは割と本当に後日のニュースに載ることを覚悟しなければいけないかもしれない。二十歳と聞いていた、などと供述している、なんて書かれるんだろうか。同性だしセーフ、みたいにはならないだろうか。


「なんであそこにいたのかって聞いてもいいこと?」

「……あなたは濡女子(ぬれおなご)って知っていますか?」

「下半身が蛇の妖怪?」


 小さなオカルト雑誌の編集者って職業柄、妖怪やら妖精やらUMAやら、その辺りは勉強している。でも濡女子はまだ聞いたことがない。違うだろうな、と思いながらも濡女の特徴を言ってみる。


「それは濡女です。濡女子は人間と同じ見た目です」

「そうなんだ。それで、その濡女子がどうしたの?」


 案の定別物らしい。話の続きを促すと、レオナは箸で卵からはみ出たカニカマをつつきながら口を開いた。


「私がそうなんです。濡女子」

「え、つまりあなたは妖怪?」

「はい、そうです」


 頷くレオナ。これは、どう反応したらいいんだろうか。冗談で言ってるなら笑えばいいのかもしれないけど、もしも本人は本気で言ってるのだとしたら笑うのはまずい。


「妖怪なんて初めて見た。濡女子ってどんな妖怪なの?」

「その……私たちは近くを通りかかった男の人に笑いかけるんです。それで、それに笑い返してくれたら付きまとうんです。一生」

「えっと、一生ストーカーするってこと?」


 そう聞くとレオナは小さく頷いた。さらに返答に困る感じになってしまった。笑い返してくれた人のストーカーをする。それも一生。なんだろう、その、いわゆる、メンヘラとかそういう類なんだろうか。


「そんなだから山奥の、人なんか来ないところで暮らしてたんです。でも、お母さんが舞台見るのに便利だから都会に住みたいって言い出して。反対したんですけどお父さんもヒーローショーが見たいって言い出して、結局引っ越してきたんです」

「そうなんだ」


 妖怪が舞台やヒーローショーを見るために人里に降りてくるってどうなんだろうか……。


「お母さんはいいですよ、お父さんが対象なんですから。でも、私は違うんですよ。まだいないんです、そんな男の人。うっかり笑いかけちゃった人が酷い人だったらって思うと、外に出るのも億劫になって。それで私思ったんです」

「何を?」

「いっそのことその辺の男の人に笑いかけてしまおうって。それで、最初にこの道を通った人に笑いかけようって。それでお母さんたちが怒ったとしても、こんなに人がいるところに連れてきた方が悪いって言ってやりたくて」


 それで立っていたところを私が家まで連れてきちゃったって感じか。悪いことをしたと考えるべきか、自棄になったこの子を助けたと考えるべきか。まあいいことをしたと考えた方が私の胃に優しいんだけれど。


「あなたが優しい人で良かった」

「うん? まあ、あそこであんな風に雨に打たれてたら誰でも優しくするでしょう」

「でも、私は嬉しかったですから」


 そう言ってレオナは再び笑った。最初に見たものとは違う、明るい笑顔で。


「とりあえず、今日は泊まっていきなね。もう時間も遅いから」

「ありがとうございます、お言葉に甘えさせてもらいますね」


 その後、疲れて眠るまでずっとレオナは話したがった。自分のこと、家族のこと、住んでいた山のこと、友達の山姥のこと、野槌宅配便のこと。正直半分くらいは理解できないような、理解したくないような、そんな話だった。

 翌朝、何度も電話してきていた母親に叱られているレオナに助け船を出したり、なぜか分からないけど母親に気に入られたりして、そのまま連絡先を交換した。


「また遊びに来てもいいですか?」

「いいよ。ただ平日は仕事だし、土日に家にいないこともあるから事前に連絡してほしいけど」 

「分かりました。これからも、よろしくお願いしますね。肇さん」

「うん。よろしくね」


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[良い点] 濡女子:綺麗な、寂しい笑顔を浮かべた 肇:出来るだけ優しく笑いかける。 ↓結果 「分かりました。これからも、よろしくお願いしますね。肇さん」 こういう手法すごく好きです。最後まで読んだあ…
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