まだ見てる。
これは、私こと朝倉 ぷらすが実際に経験した出来事です。
時は、10年ちょっと前でしょうか。友だちと京都へ旅行に出かけて、それで、比叡山に行こうという話になったのですね。
その日は晴れの日で、ただ、午後から曇りのち雨だなんて予報があった3月の中旬でした。
若かったものですから、ろくに調べもせずに無計画に行き方を調べて、ケーブルカーとロープウェーがあるなんて楽ちんだなんて、4~5人で和気あいあいと向かうわけです。
さて、ここで詳しい人はピンときたかもしれませんが、実は当時、3月の中旬というと、ケーブルカーもロープウェーも期間休業でやっていなかったのですね。
どうしようかって、登れないなら諦めるのが普通なのですが、若かったものですから、なんて今なら冗談めかして言いますけれどね? 当時のオバマ大統領の言葉に仮託して、「Yes we can!」だなんて、ケーブルカーの線路の上を歩いていくという、行為に手を染めてしまったのです。
実に、1.5 kmのほぼ直線の階段です。
崖に沿った線路でしたので、右側は杉の木の頭が見えていて、線路わきの階段の端がボロボロと崩れて危ない状態でした。
とっても、綺麗な景色でした。
そんな青春ど真ん中、無敵の気分の私たちは、自分たちの行為を棚に上げて、永遠に続くような階段に悪態を吐いて、そして、途中から角度が急になることにもまた、不平不満の言葉を漏らして、バカみたいに笑っていたのです。そのうち、右側の崖もなくなって、木々の幹が増えてきて、空も曇り出し、そして、顔を上げた先に終着駅が見えてきました。
みんな、ああ、この背徳感による昂揚も、これで終わりだなんて、そんな自分勝手な感情を覚えて、でも、さすがにロープウェーに線路はないですから、続きは登山道をきちんと進んで行くしかありません。仕方がないな、なんて、真っ暗な駅舎を横切るのでした。空の雲は、雨粒をたっぷりと抱えて黒々としていました。
気付いたのは、その時でした。
誰か、いる。
それに気づいたのは、私だったでしょうか? 隣を歩いていた子だったでしょうか? ともかく、左側の駅舎、壁は全面窓になっていて、向こう側を全部見通せます。その中に、誰かがいるということを、誰かが気づいたのです。その影だけが、頭ひとつ飛び出してハッキリわかるからです。そして、それに気づけば、あとは普通の会話に紛れ込ませた囁きで、その場の全員に周知します。
空気が、ピリッと引き締まりました。
だって、私たちは明らかに入ってはいけない線路の側からやってきたのです。それを、駅舎の中の人が、見ていないハズがありません。私たちに出来ることは、できるだけ早くその場を立ち去る、ということだけでした。
ですが、ほんの少しだけ、好奇心が湧いてしまいます。
駅舎の人は、なんで暗いところに一人、ポツンといるのでしょうか?
チラっと見た限り、何かをしているという様子はなく、ただ、佇んでいるだけです。というか、そもそも、線路に侵入できたのも、麓の駅には誰もいなかったからなのです。そして、ロープウェーの駅舎には、誰もいません。
あれ? という違和感を、覚えました。
え? なんで? という囁きが聞こえました。
誰も、理由がわからなかったのです。
人気のない登山道の中ほど、ケーブルカーとロープウェーの中継地点の電気を落とした駅舎で、その人は微動だにせず佇んでいるのです。
「ひっ!」
それだけなら、どれほど良かったか。
「どうした!?」
「まだ見てる。こっち見てる。なんか笑ってた。」
――戦慄しました。
誰かが、振り向いてしまったのです。それで、見てしまったのです。
「行くよ。」
「うん。」
「早く。」
「わかってる。」
それでも、私たちに出来ることは、その場をできる限り早く立ち去ることだけでした。
駅舎の中にいた人が、本物の人だったのか、そうでなかったのか。
確認することもせず、逃げたのです。
だって、本物の人だったら、どちらにせよおかしな人なのです。
私たちみたいに、勝手に入っちゃった人なのか、何か理由があって入ったのか。それとも、駅員さんなのか。駅舎は、薄暗くなった辺りより、さらに一段と暗く、何かの作業ができるようには思えません。
そんなところに、ただ一人、です。
急かすように我先に、本来は、怖がって然るべき、夜ほども暗い林道へ足を進めました。
ただ、私も、ちょっとだけ、気になってしまったのです。
だからね?
私も、振り向いて、見てしまったのです。確認がしたかったのです。
それは、怖いもの見たさ、というのもあったかもしれません。
妙な、残尿感というか、ノドに小骨が刺さったような感じというか、気が惹かれたのでしょう。
ですから、振り返ってしまったのです。
しかし。
はたして何も、いませんでした。
ほとんど走るように逃げたのは、言うまでもありませんよね。
~fin~
その後、延暦寺では雪が降ったので、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりしました。